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斎藤貴男氏と年金問題 [時事]


けさ(9日)の朝日新聞で、ジャーナリストの斎藤貴男氏が「問題は年金制度そのもの」と書いている。
最近の年金問題の不祥事に関連して、社保庁職員が賞与の一部返上を求められていることに、国民のあいだからも「とうぜんだ」という声が挙がっている。
しかし、斎藤氏はちょっと待ってくれ、これは江戸時代の「踏み絵」みたいではないかと反論する。
塩崎官房長官は、返納しない職員は2010年に改組される予定の「日本年金機構」に再雇用しない、とにおわせるような発言を平気でしているから、「踏み絵」というのも、あながち的はずれではない。

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ヒックスの「経済史」 [時事]


6月5日から15日まで8回にわたり、阪大名誉教授の宮本又郎氏が日本経済新聞にヒックスの『経済史の理論』について解説していた。
それが気になり、原著を読んでみたいと思った。
実はこの本の翻訳は日本でも講談社から「学術文庫」の1冊として刊行されており、たしか買ったはずだと思い、書棚を探したのだが、みつからない。
そこで、いろいろな書店を探しまわり、先週水曜にようやく東京駅丸の内北口の丸善で1冊見つけて買い求めたときは、うれしかった。
ところが、本棚に並べようとすると、皮肉なことに昔買ったものがひょっこりみつかったのである。
同じ文庫を買ってしまうことがつづいたので、きのうの日曜、一大決心をして、書棚を整理することにした。
とりあえず、著者名のあいうけお順に文庫を並べ変えてみようとしたのだが、やりはじめると、これがじつにたいへんだった。
「あ」行と「か」行がやっと終わったと思ったら、20冊近くある伊藤整・瀬沼茂
樹の「日本文壇史」が出てきて、もう一度かなりの部分を大移動するという具合だ。
くたびれはててしまった。
そんなわけで原著にあたる間もなく、宮本先生の解説でお茶をにごそうというのは、いささか情けないが、とりあえず要点をメモしておくことにする。
経済学にとって重要なのは現実の経済を分析することであって、過去の経済をぐたぐたと並べ立てる経済史など何の意味もない、というのが大方の意見だろう。
しかし、そうとも限らない。
自分で直接自分の顔を見ることができないように、いまという時代を理解したいと思うなら、歴史という鏡に頼らざるを得ないというのは事実ではないだろうか。
そのときどのような鏡を選ぶのか(手鏡なのか姿見なのか、それとも凸面鏡か凹面鏡か)は選択者の自由であって、またその鏡像を美しいとみるか醜いとみるかも本人の主観による。
ただし、どのような鏡にどのような像が写っているかは、ある程度客観的に記述できるはずで、その記述にどの程度真実をみるかは、あくまでもその読者の判断力にゆだねられている。
読者が歴史を通じてある種の冒険を味わい、いまここにあることの意味づけを獲得すること、それが歴史というものの醍醐味かもしれない。
宮本氏は『経済史の理論』について、こう記している。
〈この名著に込められたヒックスの関心は、有史以来の市場の歴史の探訪にあった。そしてそれは、移りゆく文明史の深層に迫る、壮大なスケールのテーマでもあったのだ〉
ヒックスは主にヨーロッパを対象に、資本主義が勃興する前に、いかに市場が勃興してきたかをまず探っている。
市場経済の以前には「慣習経済」と「指令経済」が平行して存在した。
「慣習経済」というのは共同体の伝統に沿って、生産、消費、分配がおこなわれる仕組みをもとにしており、いわばムラの経済を思い描けばいい。
これに対し、「指令経済」はいわば王家や豪族の経済で、戦争や防衛などの事態に対応するため、命令によって経済体制が組み立てられる。
ヒックスによれば封建制は「慣習経済」と「指令経済」が融合したものとして位置づけられるという(このあたりの説明は、わかったようで、よくわからない)。
そして、専門の商人が登場する。
その発生経路はふたつある。
ひとつは祭(宗教的祭祀)のときの市が、次第に「店舗」へと発展していって、商人が誕生するというもの。
いわば門前市のイメージである。
もうひとつは王家と王家、王家と豪族の交易で、これが日常化すれば、国際交易、国内商業を担う商人が登場する。
政商といってもいい。
いずれにせよ商人が活発に動きはじめると、市場経済が成立する。
そして国家が財産権と契約を保護するだけでなく、商人の広域にわたる活動を支持し、さらに貨幣を鋳造するようになると、市場は人々の生活に浸透していく。
18世紀後半には産業革命が起こる。
産業革命の特質を、ヒックスは、生産面における固定資本の著しい拡大ととらえている。
宮本氏はいう。
〈しからば、産業革命は何をもたらしたか。労働市場との関係では、近代工業における固定資本の大量使用は、それを操る工場労働者などに恒常的な雇用をもたらした〉
そして、農村における過剰労働力の問題が解消するにつれ、実質賃金は次第に上昇へと転じる。
20世紀はどういう時代になったか。
〈ヒックスは産業革命以後の投下固定資本の増大ゆえ、20世紀に固定価格市場が台頭し、自由な個人などで構成する競争的市場が衰え始めたと述べた〉
独占企業が価格の支配力を掌握し、市場が動脈硬化に陥りはじめたことに危惧を表明したのである。
しかし、それは杞憂に終わったようだ。
市場の力は、善きにつけあしきにつけ、われわれの生活を翻弄している。
宮本氏はヒックスの理論が欧州中心で、比較制度分析の視点を欠いていることを指摘しながら、最後にこう述べている。
〈もっとも、こうした点を割り引いてもなお、『経済史の理論』に示されたヒックスの洞察力の鋭さや彼の思想のスケールの大きさには驚嘆するばかりで、それが本書を名著たらしめているゆえんでもある。ポスト工業化社会、市場が地球全体を覆い始めた21世紀の世界は新たな「経済史の理論」を求めている〉
その通りだと思う。
市場社会は、現在に生きるわれわれにとっても最大のミステリーなのである。


米中提携強化論 [時事]


Economist 5月19日号が米中提携強化論を打ち出しているので、それを紹介しておくことにする。
3月22日、ワシントンで米中の政府代表が集まって「戦略的経済対話」なる会議が開かれた。
これを取り仕切ったのは米財務長官のハンク・ポールソン(投資顧問会社ゴールドマンサックス社の出身)で、もともと中国との付き合いが長い人物だ。
これで「アメリカの政治家がいだくアジア恐怖症が緩和された」と「エコノミスト」は会議を高く評価する。
アメリカの議会では、最近、中国への風当たりが強い。
中国の対米貿易黒字が急速に拡大している。
中国政府は通貨レートを操作しているのではないか。
不法な輸出補助金を出しているのではないか。
知的所有権を侵害しているのは周知の事実だ。
議会では、対抗関税を課すべきだとの意見も出るようになった。
元を切り上げさせるべきだとの主張も根強い。
それに中国の政治体制は相変わらず抑圧的ではないか。
こうした非難の声に対して「エコノミスト」は中国の立場を擁護する。
中国は世界貿易機関(WTO)のルールを守っている。
議会の中国たたきは、かつての日本たたきとそっくりだ。
しかし、中国は日本よりはるかに市場を開放し、アメリカの対中輸出はものすごい勢いで増えているではないかというわけだ。
アメリカ国内では、失業率が増加し、競争が厳しくなっているが、それはあくまでも国内問題であって、中国のせいではない。
中国の国内総生産(GDP)がまもなくアメリカと肩を並べそうだとか、オリンピックでアメリカよりメダルを取りそうだというのはやっかみにすぎない。
たしかに中国はパンダのようにかわいい存在というわけではないが、それをたたくのは非生産的だ。
中国の貿易黒字が増大するのは、中国人が節約するのにアメリカ人が浪費するからだ。
アジアでの供給パターンが韓国や台湾から中国へと完全にシフトしている以上、元を切り上げたところで、貿易の収支構造はさして変わらない。
元の多少の切り上げは中国も望むところで、そうなれば懸案となっている銀行の利率を上げることができるし、加熱気味の経済を安定軌道に戻せる。
アメリカが中国に関税障壁を設けたりすれば、「[安い商品が入らなくなって]民主党が保護すべきだと主張している人びと、つまり貧困層や中間所得層の財布に直接打撃を与えることになる」
安全保障上からみても、中国との通商関係に波風を立てないことが大事だと「エコノミスト」は論じる。
〈米中の外交関係において最大の目標は、通商関係で波風を立てないことである。北朝鮮やイランの核問題を解決し、台湾海峡での衝突の可能性を最小限に食い止めるうえでも、[中国との]戦争や紛争を避けることが最優先課題となる。
中国は現にアフリカに進出し、住民を虐殺しているスーダンとも微妙な関係を結んでいる。地球温暖化も重要な課題だ。中国は毎週のように石炭火力発電所を新設しており、この1年以内でアメリカ以上に温室効果ガスを排出するようになるだろう。世界が二酸化炭素の排出を抑制しなければならないとすれば、アメリカは自国内での規制を強めるだけではなく、中国が経済成長するにあたって環境問題を解決するよう手助けしなくてはならない〉
ああいえばこういうで、いろいろな見方があるものだ。
しかし、これが現在のアメリカ政府の考え方であることは間違いない。


おカネに強くなるために [時事]


『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』の著者、山田真哉(しんや)氏の新刊『食い逃げされてもバイトは雇うな』が売れているというので、買ってみた。
これまではベストセラーと名のつくものは読まなかったが、編集者という仕事から足を洗って、少し時間ができてみると、売れる本がどんな顔つきをしているのかが気になり、手に取ってみる気になった。
まず定価735円というのは昼飯代程度で買いやすい。
序文を読むと、身近な話からはいっていて、読みやすいし、「1時間で読めて効果は一生」と書いてあるのもいい。
短い時間でさっと読めるところがミソである。
ビジネスに追われる現代人は、年がら年中数字に振り回されているといっても過言ではない。
だから、この数字を自家薬籠中のものとし、できればそれを使いこなして、数字の支配者として君臨したいと願うのも当然の願いだろう。
会計学は現代ビジネスマンの必須アイテムなのだ。
この本には〈攻め〉と〈守り〉の数字の話がでてくる。
標題となった「食い逃げされてもバイトは雇うな」というのは〈守り〉の話だが、まず〈攻め〉の話をいくつか紹介してみると、本のタイトルにしても『江戸の最後の藩主』というより『江戸300藩最後の藩主』とつける方がはるかにリアリティがある。
「タウリン1グラム」というより「タウリン1000ミリグラム」のほうが確かに効きそうな気がする。
6億円が当たりそうだというので、サッカーくじのビッグに申し込みが殺到したというのも数字の魔力である。
これに対して守りの数字は、要するに「感情より勘定を」という話だ。
ビジネス社会を生き残る秘訣は、どちらが損かをよく考えること、利益=収益−費用という数式を徹底して意識するということ、そして利益を出す唯一の方法は収益を増やして費用を減らすことに尽きる。
これはごくあたりまえのことだが、実行するのは意外とむずかしい。
キリンビールが出遅れていた発泡酒に進出するにあたって、4つの工場を閉鎖したという例を山田氏は挙げているが、ぼくのやっていた単行本でいえば、さしずめ売れ筋のジャンルをねらって、費用のかかる翻訳本などはとりやめるというのが会計学から見た常道ということになる。
ぼくの場合はそれができず、売れそうもない費用のかかる企画にこだわったために、社から見切りをつけられる結果になった。
それでも、まったく反省がないから、「ばかは死ななきゃ直らない」の典型かもしれない。
本書の付録にはわかりやすい「貸借対照表」の見方もついているので、企業の決算書をどう読めばいいかのヒントにもなる。
これからのビジネスマンは、おカネに強くなければ生きていけないことを痛感した。


6億円の夢はどこへ [時事]


先週末は日本全国の多くの人が6億円の夢を見たのではないだろうか。
サッカーくじBIG(ビッグ)の話である。
けさ(21日)の新聞を見たら、ぴたりの1等は7口で、当せん金はそれぞれ約5億6000万円だったとか。
今回のビッグ全体の売り上げは約61億円、くじは1枚300円だから、2000万枚以上が売れた計算になる。
売り上げの半分は払い戻され、そのうち8割が1等の賞金に当てられるというが、サッカーくじを運営する日本スポーツ振興センターは笑いが止まらない。
けさの日本経済新聞の「春秋」は、このままいけばビッグ単独でも年間の売り上げが3000億円になるかもしれないと予想する。
〈[totoが売り出された]サッカーくじ元年の20001年[の売り上げ]が最高で604億円、昨季132億円まで低迷したことを思うとまさに夢の逆転シュートになりそう〉
「春秋」の記事は、大逆転をもたらしたアイデアをべたほめしている。
言い換えればこれまでのtoto(サッカーくじ)はそれほど人気がなかったのだ。
人気のなかった原因は、くじの購入者が、全試合を頭に思い描いて、どのチームが勝つか負けるか、あるいは引き分けるかを自分で予想しなければいけなかったことだ。
サッカーくじは全14試合を対象に、前日までにホームチームの勝ちを1、引き分けを0、負けを2の3種類の数字で示し、それが正解であれば大当たりとなる。
かなりサッカーがわかっている人でないと、くじを買いにくい。
それに、賞金は最高で2億円と触れ込んでいても、実際には思ったほど購入者が増えなかったために、ほんとうに当たってももらえる金額は意外と少なかったようだ。
ところがビッグの場合は、チームについて知らなくても、コンピューターが勝手に数字を選んでくれる。
ちなみに今回の1等は10212102212212だった。
確率は480万分の1、当たりそうでいて、なかなかあたらない数字である。
今回は、これまでの繰越金が貯まって、最高額の6億円が出そうだというので、大騒ぎになった。
ジャンボ宝くじでも3億円なのだから、その倍というのはなかなか魅力的である。
いっぺんに人気が沸騰した。
totoの不人気で累積赤字に苦しんでいたスポーツ振興センターは、これで赤字脱却の見通しが出てきた。
念のために払い戻されなかった金額はどうなるかというと、経費を差し引いて、残りの3分の2がスポーツ助成金、3分の1が国庫(管轄は文部科学省)に入る(毎日新聞による)。
経費を差し引いて、というあたりがくせものだが、ギャンブルではなく寄付だと思えば、購入するにも抵抗がない。
ぼく自身は今回買わなかったが、パソコンを通じて引き落としにすれば、1口300円で166口(約5万円)まで簡単に買えるから、サッカーを知らない素人でも簡単に手が出せそうである。
いくつかのコンビニでも扱っている。
日曜日にブログを見ていると、6億円当たったらどうする、という話題が目白押しだった。
だいたいの人が、家を買いたい、ポルシェを買いたい、豪華客船で世界一周旅行をしたいなどと答えていたが、分散型の投資信託で堅実に収入を確保するという現実派や、美女と遊びまくるという享楽派、ひいきのチームに寄付するというけなげ派もいて、なかなかおもしろかった。
さて、ほんとうにくじに当たった7口の人は、いったいどうするのだろう。
宝くじにせよ、ビッグにせよ、これまでくじを当てて大金の転がり込んだ人は、その後幸せなくらしを送っているのだろうか。
そんな脳天気なことを考えていたら、昔ずいぶんお世話になった先輩が午後2時に亡くなったという知らせを受けた。
かれもよく宝くじを買っていたが、当たったという話は聞いたためしがない。
一度くらい大当たりがあったらよかったのに。
合掌。


江角マキコさんの手紙 [時事]


朝日新聞の連載特集「家族」に女優の江角マキコさんが寄せた手紙を、20日の朝刊で読んだ。
島根県の出雲市で生まれた彼女は、3人きょうだいの長女。
お父さんは農協に勤め、元バスガイドのお母さんはベニヤの合板工場で働いていた。
〈父は勉強に熱心で、私が小学校中学校のころから「お父ちゃんテスト」をしてくれました。新聞の漢字を書き出し、意味を辞書で調べる。読んだ感想を作文に書く。算数のテストを作り、赤丸をつけて採点してくれました〉
高校1年のとき、そのお父さんが仕事先の松江で、37歳の若さで亡くなる。
「勉強して、大学へ行けよ」というのが父の勧めだったが、マキコさんは進学をあきらめ、地元の会社に入り、実業団のバレーボール選手として活躍する。
その後、けがでバレーボールを引退してから、ファッションモデル、女優の道を選び、テレビドラマの「ショムニ」などで人気を集めたのは誰もが知る通りだ。
お父さんが亡くなってから20年以上がすぎたおととし、今度は3歳ちがいの弟さんががんの告知を受けた。
7月に胃を全摘し、「もうだいじょうぶだから」とマキコさんははげましていた。
しかし、去年4月、脳にがんが転移していることがわかり、医者から「余命1年」と告げられる。
〈帰りの車の中、ふたりとも何も話しませんでした。「だいじょうぶだよ」。それしか言えませんでした。弟と別れ、車に乗ったとき、ひとり大声で泣きました〉
再入院してから1カ月後、弟さんは亡くなる。
〈最期は、私がみとりました。苦しく息をしている弟に「もうがんばった。家族のことは姉ちゃんに任せて。安心していいよ。いつか生まれ変わったら、またきょうだいよ。お父ちゃんとお母ちゃんの子どもだよ」と耳元で言いました。すると、うそのように、すーっと息をするのをやめ、医師も見守る中、ほんの数分で心臓が止まりました〉
36歳だったという。
マキコさんは手紙のしめくくりに、こう書いている。
〈今日がある──。こんな当たり前のことが私たちにとっては、幸せです。開いて置いてある窓辺の本が、そよ風でページがめくられるような何気ない毎日。幸せなことです〉
生かされていることに感謝しなくてはならない。
家族のきずなの深さを思った。
その一方で先週、会津若松市では、高校3年生があたかも自身を抹消するかのように、母親を殺害し、その頭部を切断するという異常な事件も起こっている。
青年がみずから家族のきずなを断つにいたった葛藤の背後に何があったのだろう。
どこかに救いの手はなかったのか。
やるせない事件だ。


グローバル化の波に乗る [時事]


16日の日本経済新聞によると、日本企業の2007年3月期決算は絶好調で、5期連続で最高益を更新する企業が目白押しだという。
〈今期の決算の特徴は海外需要が収益拡大を牽引したこと。なかでも景気拡大が続くアジアや欧州などの収益の比重が高まり、従来の米国頼みの収益構造の変化が鮮明になってきたことだ〉
と記事は伝える。
つまり、日本国内の需要は頭打ちだが、それに代わって海外の需要が日本企業の好調を支えているといってもいい。
その海外需要もいままでのようにアメリカが中心ではなく、アジアとヨーロッパ、とりわけ中国と欧州連合(EU)が大きな割合を占めるようになってきた。
日本企業はバブル崩壊後の苦難を乗り越えて、アメリカ主導だったグローバル化の波をついにとらえたのである。
今週、経済誌の「日経ビジネス」と「エコノミスト」は対照的な特集を組んでいる。
「日経ビジネス」の特集は「5億人市場最前線ルポ 気がつけばユーロが主役」とEUを前向きにとらえるのに対し、「エコノミスト」は「中国株バブル バブルの構造と崩壊の3つのシナリオ」と、中国に対し、なかなか厳しい見方を示している。
まずはEUの話から。
いまやEU加盟国は27カ国で、人口は約5億人、域内の国内総生産(GDP)は約1800兆円という規模を誇る。
ちなみに日本の人口は1億3000万人でGDPが505兆円、アメリカの人口は3億人弱でGDPが約1600兆円、中国の人口は約13億人でGDPは約260兆円というあたり。
GDPの数字は為替レート換算なので、あてにならない面もあるが、ともあれ、この数字をざっと見るだけでも、いかにEUが存在感を増してきたかがわかる。
さて、そのEUと日本との関係だが、「日経ビジネス」によると、「東欧は日韓メーカーの一大生産基地に変貌した」という。
トヨタが自動車工場をもっていることはいうまでもない。
松下はチェコで、ソニーはスロバキアで、シャープはポーランドで、すでに薄型テレビの生産を始めているし、東芝と船井もポーランドでの工場建設を急いでいる。
安い労働力が魅力だ。
それに、ここから高速道路を使えば、ドイツまで1日、フランスまで2日、スペインとトルコまで3日もあれば、製品を運搬できる。
海路、中国からはるばると船で運ぶより、よほど効率がいい。
しかもユーロ高が進んでいるので、最近は「ドル箱」ならぬ「ユーロ箱」という言い方もされるようになったという。
一方、「エコノミスト」は中国株式市場の「バブル崩壊」に警鐘を鳴らす。
岡三証券上海首席代表の塩川克史氏によると、中国の上海総合株価指数は5月の連休明けで4000ポイントに達し、1年前と比べて2.6倍にはねあがっているという。
中国の株式市場が特異なのは、外国人投資家による取引を制限し、ほとんど中国国内の個人投資家と投資信託に市場をゆだねていることだ。
中国では現在、不動産投資が規制され、インフレを勘案すれば預金金利は実質マイナスになっている。
しかも、貿易黒字と海外からの資金流入で、極度のカネあまり状態となっており、当局がこれを抑制しようとしても、ほとんど決め手がない状態だ。
そのため、このまま行けば「向こう数カ月で上海総合指数は6000ポイントも視野に入ってくる」と塩川氏は断言する。
バブルがはじける可能性はきわめて高い。
山が高くなればなるほど、谷が深くなる。
しかし、上海などの閉鎖的な「ローカル市場」がはじけたところで、世界経済にたいして影響はあるまいと考えるのは、どうやらあさはからしい。
問題は中国本土市場の規模が東京市場の約4割、中国のGDPの約8割ときわめて大きいことだ。
これがはじければ、世界の工場といわれる中国の生産体制は打撃をこうむるし、中国の個人消費もがた減りする恐れがある。
「米中依存度を高める世界経済が受ける衝撃は、グローバル化が現在ほど進んでいなかった1990年代とは比較にならないほど大きいのではないか」と塩川氏は指摘する。
経済が地球ベースで動いていることを実感せざるを得ない。


かくれみのがほしい [時事]


今月下旬からスウェーデン、バルト3国などを歴訪されるにあたって、天皇、皇后両陛下が記者会見されたという記事が15日の新聞に載っていた。
宮内庁のホームページによると、会見の最後に外国メディアの記者から「もし、ご身分を隠して1日を過ごすことができるとしたら、どちらにお出かけになろうと思われますか、また何をなさりたいですか」と尋ねられて、皇后陛下は「都内の美術館でよい展覧会があり、ぜひ見たいと思ったのですが、……[けっきょくあきらめなくてはならなくなり]このときは、透明人間のようになれたらなあと思いました」と答えておられる。
さらにつづいて皇后陛下が持ちだされたのが、童話の「かくれみの」の話である。
新聞には短くしか紹介されていないので、このさい全文を引用しておこう。
〈[かくれみのというのは]日本の物語に時々出てくるもので、いったんこれを着ると他人から自分が見えなくなる便利なコートのようなもので、これでしたら変装したり、偽名を考えたりする面倒もなく、楽しく使えそうです。
皇宮警察や警視庁の人たちも、少し心配するかもしれませんが、まあ気を付けて行っていらっしゃいと言ってくれるのではないでしょうか。
まず次の展覧会に備え、混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います〉
まるで『ローマの休日』の名場面を思い起こさせるような、素直なお気持ちの表れたご発言である。
ぼく自身も思わず美智子さまファンになってしまいそうだ。
きのう発売の「女性自身」には「雅子さま(43)に希望——『お作業』」(種蒔き、田植え、養蚕)に積極参加で、美智子さま(72)から『皇后教育』を」という記事も載っていた。
希望というのは、皇太子妃の雅子さまにお病気回復のきざしが見えはじめたということだろう。

こういうほのぼのした話ばかりだと世の中は楽しいのだが、今週あたりの週刊誌をみると、やはりあまりにも暗く、うっとうしい事件が後を絶たない。
「週刊朝日」によると、1973年に2人の子どもを北朝鮮に拉致したとして国際手配された木下陽子という女性は、その子どもたちの母親の殺害も指示していたらしい。
なぜ、そんなことになったのか。
木下は在日韓国人の父と日本人とのあいだに生まれ、青山学院大学に入学、その後ユニバース・トレイディングという北朝鮮系の会社の役員となり、前社長の高大基(コデギ、拉致された2人の子どもの父親でもある)のもとで、南朝鮮革命の謀略に従事した。
拉致の過程で母親が殺害されたのは、生々しい三角関係が原因だったのか。
木下陽子は現在、平壌にいることが確認されており、工作員の高大基は収容所に入っているという。
革命幻想が呼び起こした惨劇である。
同じ「週刊朝日」には、携帯電話のエッチ画像を見つけられた夫が逆上して妻を絞殺したという事件の後日談が載っていた。
ぼくも最初はひどい男がいるものだと思っていたが、事実はそう単純ではないらしい。
入籍し、妻となったばかりの女性はバツ2で、家庭内暴力(DV)の常習者だった。
つまり逆DVである。
記事によると、夫は「日常的に[彼女から]暴力を振るわれ、日に数十回も殴られ、お皿や鏡、時には鉄アレイまで投げつけられ、耳を噛みちぎられそうになったことも」あるという。
夫は「温和でまじめ」。
これに対して、妻は「若くてキレイで」、奔放。
17歳前後から町田のスナックでホステスをし、その後、東京でクラブに勤めてから、また町田に戻ってきた。
酒を飲むと酒乱になり、精神安定剤を常用し、腕にはリストカットの痕が無数。
どちらの犯罪も物悲しい。
犯人に同情するわけではない。
しかし、どこかにすべての人を包むマントがあればいいのにと思ったりもする。


スコットランド独立の可能性 [時事]


フランス大統領選挙では民主運動連合(UMP、右派)のニコラ・サルコジ前内相が新大統領に選出されたが、6日(日曜)の毎日新聞によると、3日に行われたイギリスの統一地方選挙では、スコットランド独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が、スコットランド自治議会で第1党になったという。
単独過半数ではないし、労働党とはわずか1議席差。
しかし、第3党の自民党はスコットランド独立に反対しているので、すぐに独立問題が浮上する可能性は低い。
イギリス、あるいは英国という言い方は、もともと江戸時代にオランダ語から採用された表記で、その語源は英語でいうイングランドである。
ふつう、われわれはイングランドがイギリスだと思い込んでいる。
ややこしいのは20世紀半ばまで、イギリス人もそう思っていたことである。
「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」というのが、現時点におけるイギリス、すなわちUKの正式名称である。
かつてはイギリスが、グレートブリテン王国だった時代もあるし(1707−1800)、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国(1801-1922)となったこともある。
そしてグレートブリテンはイングランド、スコットランド、ウェールズからなることは言うまでもない。
イングランドがウェールズと合同するのは1536年、さらにイングランドがスコットランドと合同するのは1707年、いわゆるスチュアート王朝の成立によってである。
スコットランド独立の動きは、スコットランドを1707年以前に戻そうというのと等しい。
傍目から見れば、国が分離独立するというのはたいへんなことである。
流血の惨事が起こるのではないか、と心配する向きがあっても不思議ではない。
しかし、ノーマン・デイヴィスは、イギリスとアイルランドの全史を描いた名著『アイルズ』で、こう書いている。
〈愛国心は健全な資質ではあるが、国家が後押しする「イギリス国あるいはイギリス国民」からは徐々に消えていっている。イングランドは豊富で優秀な人的資源、高い文化、経済的富、世界的支持基盤をもつ偉大な国である。消極的な衛星国家を率いるよりは、独立独歩でいくほうがよいのではないか。アイルランド共和国が独自で繁栄できるなら、スコットランドもできるにちがいない。ウェールズは、近代のどの時点よりもまとまろうとしている。……長期的に見るなら、北アイルランドの向かうべき道は、おそらく自治州として統一アイルランドになることだろう。しかしそこにいたるには、すべての陣営の暴力集団が武器を置かなければならない〉
こういう夢が平和裏に実現する可能性が生まれたのは、何よりも欧州連合(EU)という母体が誕生したおかげである。
これからの成り行きに注目したい。


憲法を選び直す [時事]


加藤典洋氏が今月号の「論座」に
「戦後から遠く離れて」と題する
なかなかの力作を寄稿している。
戦後日本が置かれてきた状況は、
次のような卓抜な比喩で示される。
〈[戦後憲法における戦争の放棄は]
占領軍の駐留、戦後の日米同盟
(日米安全保障条約)
それに基づく日本列島への米軍の残置と
コミの形で、存在してきた。
ちなみに、日本はこれまで、一度も丸腰で
国際関係の中に立ったことはない。
これをまとめるとこんな図が得られる。
時計の文字盤の12時の位置に天皇、
3時の位置に憲法9条、
6時の位置に日米安保条約、
9時の位置に駐留米軍がいる。
天皇は地位保全で憲法9条のおかげを被り、
憲法9条はその政治的基盤を
日米同盟によって支えられ、
日米同盟は、その存立の現実的基盤を
駐留米軍の存在でまかなっている。
そして駐留米軍の存在に代表される
戦後の日米関係は、
少なくとも昭和天皇在位の間は、
昭和天皇の親米的な姿勢によって、
守護されてきた〉
憲法9条が日米同盟と、その根拠となる
日米安保条約によって支えられている、
という加藤氏の主張はそのとおりである。
ただし、ちょっとちがったニュアンスでいうと、
安保条約には最初からヤヌスの二つの顔が
あったということを認識しておかねばならない。
ひとつは、いうまでもなく日米軍事同盟だが、
もうひとつは日本に対する軍備放棄の強要である。
それによって、アメリカは
日清・日露戦争以降、太平洋戦争にいたるまで
存在した、東北アジアにおける
日本の軍事的プレゼンスを排除して、
みずからがそれに取って代わったのである。
加藤氏は旧社会党流の非現実的な非武装中立論を
ベースにした憲法9条絶対擁護論を否定する。
かといって、自民党などの主張する改憲論、
つまり、少なくとも憲法9条2項を廃止して、
自衛隊を自衛軍に改称しようという案には
くみしない。
〈[もし対米的に独立して、独自に戦争のできる
改憲路線をとれば]
「米国に対してノーと言える」日本、
つまり米国に対して戦争を仕掛けることもありうる
日本へと進むことを意味する。
国際的な孤立は必定。このような行き方が、
一般国民の支持を勝ち得ることができないことは、
火を見るより明らかなのではないだろうか〉
加藤氏はそう主張する。
日本に自衛軍が誕生すれば、
「東アジアに緊張が高まるだろうし、
短期的には日米間に蜜月が生じるとしても
長期的には必ずや日米間の対立が高まるだろう」
というのが加藤氏の見通しである。
そこで、かれは「憲法の選び直し」を提案する。
それは9条の意味をとらえ直したうえで、
それを変えないことにする、という選択である。
〈他国が攻めてきたら怖い、
でも、他国を攻めるのもいやだ。
憲法9条は、自衛隊と「合わせ技」で、
こういうふつうの人の不安と願いに応えてきた。
これにもっともよく応えるのが、
憲法9条を動かさない、変えない、
しかもなかば灰色の状態で「自衛隊」を
もち続ける、そうしながら、この先を考えていく〉
そうとらえると、
まもなく成立すると思われる国民投票法も、
憲法を選び直すひとつのきっかけとも
なりうる。
しかし、それが崖っぷちの選択になることは、
間違いなさそうである。