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雨宮処凜の闘争ダイアリー [本]

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雨宮処凜(あまみや・かりん)はいまプレカリアート〔不安定なプロレタリアート、ワーキングプアの人たち〕の最前線に立って闘っている。
その戦闘服はロリータ・ファッションで、合言葉は「生きさせろ!」だ。
本書は彼女が1年間ウェブマガジンに掲載した闘争記録をまとめたもので、おまけに森永卓郎との対談がついている。
まず客観的な数字を挙げておく。
彼女はこう書いている。
〈OECD調査では、日本の相対的貧困率は先進国で第2位の15.3%。日本の貧困者、数にして1800万人。厚生労働省調査では、非正規雇用層の8割が月収20万円以下。もちろん非正規雇用である限り、昇給することもなければボーナスもない上、仕事を続けられるという保証もない〉
相対的貧困率というのは、全国民の年収の中央値に対して、その半分に満たない人の割合を指す。
つまり経済格差を表す指標だ。
先進国で1位はアメリカで17.1%だが、白人だけをとればその比率は10%で日本より低い。
ヨーロッパ諸国はほとんどが10%を切っている。
日本はついこのあいだまで1億総中流社会と呼ばれていたのに、あれよあれよというまにアメリカと変わらない格差社会になったことを痛感させられる。
とくに気の毒なのは現在30歳代の人たちで、就職氷河期にぶつかった「ロストジェネレーション」は10年以上不安定なフリーター生活を強いられている。
そしていま「ネットカフェ難民」ならぬ「マック難民」が誕生しているという。
ネットカフェなら1泊1000円かかるところ、マックなら100円で粘れるからだ。
事態はもはやそこまで進んでいる。
若者が「ホームレス」状態になるのは、「自己責任」の問題、つまり本人の「人生に対する取り組み方」がまちがっているからなのだろうか。
19歳から24歳までフリーターを経験した彼女は、こう書いている。
〈フリーターだったらまだいい。自殺したり、ひきこもっている人も少なくない。しかし、それは決して本人の責任だけではない。社会が、企業が、グローバル化した経済が求めたものこそが、取り替え可能な低賃金労働者ではないか。必要とされるから増えたのに、なってみると「だらしない」などと説教される立場なんて、フリーター以外に存在するだろうか〉
巻末の森永との対談でも、彼女はこう話している。
〈私は過労死や過労自殺の取材もしているんですが、非正規の人も正規の社員も両方大変な世の中になってしまっています。非正規の派遣社員であれば、派遣会社にとっては派遣先がお客さんなので、派遣した派遣社員を、「もういくらでも使ってください」みたいなことを言って、めちゃくちゃな長時間労働させられて過労自殺してしまったというケースもあれば、フリーターの人が製造業で「派遣・請負だから」と危険な仕事をやらされて、事故で死んでしまった例が、かなりあるんですよ。
 正社員は正社員で、成果主義やノルマに忙殺され、給料も裁量労働制とかなって、残業しても残業代出してもらえなくって、50万円くらいの手取りだったのが、残業代が全部カットされて、手取りが14万ぐらいになった人もいる。
 こなせるはずのないノルマを課せられて、長時間労働で亡くなってしまった人のようなケースを見ていると、ほんとに究極の使い捨てで、もう死ぬまで働かせるというか、そしてそれをある種許容している社会になっているし、過労死が出ても企業に罰則というものが全然ないですよね。……こんな労働者の使い捨てが容認されている社会が、ほんとに不思議でたまらない〉
国も地域も企業も家族も自分を守ってくれない弱肉強食社会が出現したのだ。
だれもが自分のことにかまけて、他人(ひと)のことなどかまっていられない風潮が蔓延している。
雨宮処凛はそこで凛として立ち上がった。
だからといって、悲壮ではない。
右翼も左翼もなく闘争を楽しむという新しいスタイルをつくりあげたのだ。
コミケ(コミック・マーケット)の乗りだといえばいいだろうか。

そこには「万国のフラレタリアよ団結せよ!」と唱える「革命的非モテ同盟」なるものも登場したりする。
「武装より女装」というプラカードを掲げた変な格好のグループも街を練り歩くし、「東アジア反日物騒戦線『猫の肉球』」というわけのわからない団体もデモに加わる。
ほんとうに屈託がない。
〈すごい。すごい。すごい。今、あらゆるところで反撃が始まっている。今、若者たちによる新しい労働運動/生存運動がメチャクチャ盛り上がっている。ホントに食えないほどの低賃金で働かされる現場から、怒濤の反撃が始まっている。これってもはや一揆じゃないか? ホントに時代が変わろうとしている。これから始まることを、私はきっと、ずっと忘れないと思う〉
これはまさに現在の「共産党宣言」だ。
〈今の政治は、ぶっちゃけると「市場競争で勝ち抜く能力と意欲がない奴は今すぐ国に迷惑かけずに死んでくれ」と言っているだけだ。そこで動員される言葉が「自己責任」。こうなったら、貧乏人、役立たず、フリーター、ニート、ひきこもり、メンへラーが堂々とのさばって生きる、それだけで充分に闘争だ〉
応援したくなるではないか。
彼女の目は世代を超えて、オールド全共闘世代にも向けられる。
たとえば2007年6月15日に東京・日比谷で「9条改憲阻止集会」が開かれた。
彼女はこの集会にも出かけている。
〈6月15日、日比谷野外音楽堂で「9条改憲阻止の会」による改憲阻止集会に参加してきた。この「9条改憲阻止の会」というのは、60年、70年安保を闘った世代が作ったものであるらしい。一言で言えば爺さんだ。その爺さんたちが「9条改憲」を阻止しようと数十年ぶりに集い、ハンストやデモなど、いろいろとやらかしているらしい〉
雨宮処凛なら、爺さんといわれても腹が立たないどころか、かえってうれしくなるところが不思議である。
〈国会前で孫を連れて連日ハンストを繰り広げたという爺さん、「もうデモは体力的にキツいけど、動かないことは得意」なので酒を飲みながら同じく国会前でハンストをしていたという爺さん、そして癌に冒され、死にかけているのに安倍の「改憲」という喧嘩を買わないで死ねるか、とアジる爺さん(いや、治療に専念した方がいいのでは……)……「失うもののなさ」を、60年、70年安保を闘った爺さんたちに見た。老人はもうすぐ死ぬ。老い先短い彼らはもう何のしがらみもなく、何も気にすることなく運動に取り組める。逮捕されたって別に仕事をしてるわけでもないので、あまり迷惑もかからないだろう。定年後、退職金を得て、意味もなくそば打ったり土いじったり陶芸を始めたり、果てはアジアの国に家を購入して移住したりという「個人の最大幸福」のみを追求する爺さんもいるが、そして私はそういうジジイを心の底から軽蔑するが、老人となり、彼らに残ったテーマは「改憲阻止」だったのだ。ある意味、筋が通っている〉
闘う爺さんはすばらしい。
元気を与えてくれる本だ。
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