高砂の面影 [旅]
ぼくの通っていた中高一貫の学校は、姫路にあるカトリック系の進学校でしたが、この前、久しぶりの同窓会で友人と話していたら、ぼくの生まれ故郷、高砂から山陽電車を使って、この学校に通っていた人がずいぶん多かったことに、いまさらながら気づきました。
しかし、T君にしてもM君にしても、最近は高砂に戻ることもないようです。昔、住んでいたところも、いまは別の建物に変わったり、処分してしまったりしたという話を聞きました。
ぼくは商店の「あかんたれ」の長男でしたが、昔あれだけにぎやかだった商店街がすっかりさびれてしまったのは、どうしてなのだろうと、いまでも不思議な思いがしてなりません。いずれ原因はあったにせよ、キツネにつままれたような気がするのです。
この前、久しぶりに田舎に帰ったとき、ヨウコさんが何枚か街の写真をとってくれました。ぼく自身は、ここはもっとにぎやかだったのにという少年のころの思いばかりが、頭のなかをへめぐって、実は心穏やかではいられませんでした。しかし、ヨウコさんは、街のどこかひなびたさまが、おもしろかったようです。
その何枚かを紹介しておきましょう。
これは商店街ですね。いまはシャッターの降りている店も多く、人通りも少なくなってしまいました。
江戸時代につくられた港です。
その近くにある旧家。
古い蔵が残っている家もあります。
昔の神戸銀行の建物、いまは商工会議所になっています。
三菱製紙の社交場もありました。
この街は長い時間を越えて、静かにたゆたっているようです。
しかし、T君にしてもM君にしても、最近は高砂に戻ることもないようです。昔、住んでいたところも、いまは別の建物に変わったり、処分してしまったりしたという話を聞きました。
ぼくは商店の「あかんたれ」の長男でしたが、昔あれだけにぎやかだった商店街がすっかりさびれてしまったのは、どうしてなのだろうと、いまでも不思議な思いがしてなりません。いずれ原因はあったにせよ、キツネにつままれたような気がするのです。
この前、久しぶりに田舎に帰ったとき、ヨウコさんが何枚か街の写真をとってくれました。ぼく自身は、ここはもっとにぎやかだったのにという少年のころの思いばかりが、頭のなかをへめぐって、実は心穏やかではいられませんでした。しかし、ヨウコさんは、街のどこかひなびたさまが、おもしろかったようです。
その何枚かを紹介しておきましょう。
これは商店街ですね。いまはシャッターの降りている店も多く、人通りも少なくなってしまいました。
江戸時代につくられた港です。
その近くにある旧家。
古い蔵が残っている家もあります。
昔の神戸銀行の建物、いまは商工会議所になっています。
三菱製紙の社交場もありました。
この街は長い時間を越えて、静かにたゆたっているようです。
2010-12-25 07:06
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