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台湾の旅(2) [旅]

けさ(4月2日)の新聞を読むと、東日本大震災に対する台湾からの寄付が100億円を突破し、さらに増える勢いと書かれていました。ありがたいことです。台湾では与野党の議員が「給料1日分を寄付しよう」と国民に呼びかけ、これに応じる人が多いというのですから、頭が下がります。
台湾の面積は九州より少し小さいくらいで、人口は約2300万人、そのうち台北に400万人が集中しています。いまでは人口の98%が中国人で、先住民は2%になってしまいました。ただし中国人は、戦前から台湾に住んでいた人と、戦後、大陸から台湾に渡ってきた人にわかれ、昔からの人(「本省人」)が8割以上ですが、国民党政府の移転にともない、「外省人」と呼ばれる多くの人がやってきて、台湾を支配し、もともとの住民とあつれきを起こしました。
人口大多数を占める本省人は、大半が河洛(ホウロウ)と呼ばれる福建出身の人々(先住民との混血を含む)です。しかし、「中国のユダヤ人」とも称される古代漢民族の末裔で、広東省や福建省から来た客家(ハッカ)の人々も多く、独自の言語と文化を保ちながら、台湾で堂々たるポジションを占めています。元総統の李登輝も客家ですが、ぼくの知っている戴国輝さんもそうでした。
台湾では、いわゆる北京語(国語)と台湾語、客家語、それに先住民9部族の言語がいまでもそれぞれ用いられています。ガイドの劉さんは台湾育ちの福建人だったと思いますが、奥さんは客家の人で、結婚するときには両家のあいだを台湾語と客家語が行き交いし、それを通訳するのがたいへんだったと、笑いながら話していました。
さて、この日(3月8日)は台湾一周ツアーの2日目でした。朝5時50分にモーニングコール、それからホテルであわただしくバイキング式の朝食をとり、7時15分にバスで出発というスケジュールは、早起きのぼくはともかくヨーコさんにはつらかったでしょう。そうもいっていられません。
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バスのなかで、劉さんが台中は急速に発展しており、そのせいかどうかはともかく、カラオケの火事で若者が9人死亡するという事故も起きていると教えてくれました。そのかたわら、小さな声で、台湾の女性は気が強い、日本の男性がうらやましいとつけ加えましたが、ここは真横に座っている人の手前、ちょっと反論がしにくいところです。
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8時前には宝覚寺というお寺に着いていました。周囲にダイオウヤシ、バナナ、クスノキ、グァバ、コクタンなどの木が見られるのは、さすがに南の国です。ここには野外に30メートルもある巨大な金の布袋が鎮座しています。ちょっと日本人の好みにはあわないかもしれませんが、沈鬱で悟りすました仏像より、あっけらかんと明るい、笑ってしまうほかない楽しげな巨大な布袋さんのほうが、ほんとうはありがたいのかもしれませんね。
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宝覚寺は日本統治時代の1928年につくられた禅宗のお寺で、ここには台中で亡くなった居留日本人のお骨が祀られています。昔のお寺は老朽化が激しいため、いまではコンクリートの新しいお堂におおわれていました。
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われわれのツアーはこのお寺の見学を終え、あわただしく次の目的地、日月潭(にちげつたん)へと向かいます。

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