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穀物と輸出奨励金──スミス『国富論』を読む(18) [商品世界論ノート]

 今回は第3編第4章の「戻し税」と第5章「輸出奨励金」を読んでみることにします。
「戻し税」は、国内の生産物ないし輸入品に課されている税金を、輸出ないし再輸出に際して還付する制度を指しています。
 アメリカが独立する以前、イギリスはメリーランドやバージニアのタバコをほぼ独占していたといいます。それは西インド諸島の砂糖でも同じで、それらの輸入関税を再輸出にあたって還付していたわけです。しかし、フランス産のワインなどについては、そもそも輸入が制限されており、それが再輸出される場合でも、関税還付の割合は限られていたようです。
 戻し税制度はもともと中継貿易を奨励するための制度だった、とスミスは書いています。そして、輸出にあたって関税や物品税をすべて払い戻す制度は適正なものだとみています。これは、かれの自由貿易論から考えて、とうぜん導かれる結論ですね。
 いっぽう、輸出奨励金についてはどうでしょう。輸出奨励金の支持者は、これによって「イギリスの商工業者は外国市場で競争相手と変わらない価格か、もっと安い価格で商品を売れるようになり、その結果、輸出額が増えて貿易収支が改善する」と主張していました。しかし、そもそも奨励金をもらわなければ輸出できない商品を、長期にわたってつくるのはむずかしいのではないか、とスミスは疑問を投げかけます。
 イギリスでは穀物に輸出奨励金が支払われていたようです。そのため豊作の年には、穀物の輸出が極端に多くなり、国内での穀物価格が本来よりも高い水準で維持されてしまっている、とスミスは指摘しています。
 輸出奨励金は、国内市場を犠牲にして外国市場を開拓しようとする政策であり、それによって、商品価格が上昇し、また税金も高くなるという点で、国民に二重の負担を強いるものだ、とスミスは断言します。

〈輸出奨励金によって穀物の輸出量を無理に増やせば、それぞれの年に外国市場を拡大して消費を増やした分、国内消費が減るうえ、国内の人口と産業を抑制する結果、最終的には国内市場の着実な拡大を妨げ抑制することになる〉

 これがスミスの見方です。ところが、当時は輸出奨励金によって、農業経営者の利益率が高まり、穀物の生産が増加すると考えられていたのです。
 これに対し、スミスは、輸出奨励金がもたらすのは名目価格の上昇だけで、「銀の真の価値」は低下するのだと批判します。つまり、スミスは、輸出奨励金がインフレをもたらすと考えていたわけです。そして国内の名目価格が上昇していけば、外国製品の価格は相対的に低下し、たとえば当時最大のライバルだったオランダの産業がイギリスの産業に対して有利になってくるだろうといいます。結果的に国内の製造業が打撃を受け、農業経営者も大地主もたいして利益を得るわけでもないといいます。したがって、輸出奨励金でもうかるのは穀物商人だけだというのが、スミスの主張です。
 さらに、こんなふうに書いています。

〈農村の地主は穀物の輸入に高率の関税をかけ、平年作の年に輸入が事実上不可能になるようにしたとき、そして輸出奨励金を設けたとき、製造業者の行動を真似たようだ。輸入関税によって国内市場を独占できるようにし、輸出奨励金によって国内市場で穀物が供給過剰にならないようにした〉

 しかし、穀物には毛織物や亜麻布といった製品にはない特質があるといいます。それは穀物が「商品の真の価値を測定し決める際に最終的な基準になる商品」だということです。つまり、穀物は労働者の生活水準を決める商品だということです。
 たとえ価格が変化しても、「穀物の真の価値は変化しない」と、スミスはいいます。その背景には、労働者の賃金が、穀物の価格に応じて決まるという考え方があります。労働者が生きていくには、一定の食料が必要ですから、その名目価格が上がれば、とうぜん賃金も上がっていかねばなりません。
 スミスは輸出奨励金の問題点を次のように指摘しています。

(1)本来なら利益の少ない分野、あるいは損失をこうむる分野に、労働の一部を振り向けてしまうこと。
(2)財政に大きな負担をかけ、国民全体に重い税をかける結果になること。
(3)産業の発達を阻害し、農地の改良を遅らせてしまうこと。
(4)国内における穀物価格の上昇をもたらし、労働者の生活水準の改善には寄与しないこと。

 ここでのスミスの主張は、穀物の輸入を規制し、輸出を奨励することが、他の産業分野の発展を阻害し、かえって農業の発展を遅らせてしまうばかりか、労働者の生活改善にも役立たない、ということになります。スミスはここでも自由貿易を唱えているわけです。
 当時、イギリスでは農業革命が進展し、輸出が可能なほど穀物が豊富に生産されるようになっていました。スミスが自由貿易論を唱える背景には、イギリス農業の発展があったはずです。産業革命はようやくはじまろうかというころです。
 歴史学者のトレヴェリアンはこう書いています。

〈われわれは〔「産業革命だけではなく〕「農業革命」をも18世紀の所産とみなすことができよう。……18世紀においては、地主たちはひとつの階級として、彼らの個人的注意力と蓄積された富を土地と耕作方法のために傾注する能力をもっていた。(中略)「農業革命」の結果、1820年までには開放耕地が囲い込まれて、長方形に垣根を張りめぐらした耕地が出現し、そこでは作物と牧草の科学的輪作が実施されて、家畜は以前には夢想もされないような重さと大きさのものとなった。何千何万エーカーもの荒蕪地や昔からの森林も耕地に転用するために囲い込まれた〉

 イギリスの産業革命は、農業革命を基盤とすることによってはじまるのです。もちろん、囲い込み(エンクロージャー)が、これまでの小農や小作農を放逐して産業予備軍をつくりだし、大きな社会不安を招いたことも指摘しておかねばならないでしょう。
 スミス自身はイギリスが穀物を海外から自由に輸入しても、何ら支障はなく、かえってその価格が下落し、労働者の生活が改善されるばかりか、国内農業を刺激して、農業生産性の向上に寄与すると考えていたはずです。もちろん輸出奨励金なども論外ということになります。
 スミスが亡くなるのは1790年ですが、その後、イギリスは穀物に関してはかえって保護政策を強め、1815年には外国産小麦の輸入を事実上禁止する「穀物法」が制定されます。この法律が廃止され、穀物輸入が自由化されるのは1846年になってからです。
 穀物法が廃止されてからも、イギリスの農業は一般の懸念をよそに、1870年代まで発展しつづけます。しかし、アメリカからの輸入農産物が増大することによって、イギリスの農業は次第に衰退し、前に述べたように1910年代には食糧自給率が42%まで落ちこんでしまいます。それが国家の手厚い保護により、現在は70%まで回復しているわけですが、自由貿易論にはこうした厳しい側面があることも認識しておく必要があります。
 自由貿易は両刃の剣です。ただし、スミスがめざしていたことは、人びとが自由貿易を通じて、国家という閉鎖的な共同体を脱し、それによって世界が対等につながり、世界じゅうが豊かになっていくことだったはずです。自由貿易のはらむ政治性、反倫理性、非対称性については、スミス自身も警戒していたのではないでしょうか。

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