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ホブズボーム『いかに世界を変革するか』を読む(2) [本]

 かりに、われらの時代のマルクス主義と名づけてみよう。
 ホブズボームはそれをどのようにとらえているか。
 今回は第14章の「マルクス主義の影響力──1945年から1983年まで」と第15章の「マルクス主義の後退期──1983年から2000年まで」を読んでみる。
 第2次世界大戦後もマルクス主義の影響は大きかった。マルクス主義はピーク時には人類の3分の1を支配した体制の公式イデオロギーになっただけではない。世界各地の革命運動を鼓舞する役割をはたしてきた、と著者はいう。
 第2次世界大戦後もマルクス主義の存在感が大きかったことはまちがいない。ソ連への信奉性は薄れ、社会民主主義政党はマルクスの影響を否定するようになった。それでもマルクスの影は大きく、1990年代までマルクス主義は、たとえ少数派だとしても力強い政治勢力を保ってきた、と著者はいう。
 著者はこの時期のマルクス主義の発展を4つの局面にわけて分析している。

(1)ソ連などの社会主義諸国
(2)「第三世界」の国々
(3)60年代末の学生反乱
(4)70年代以降の動き
(5)80年代半ば以降

 それを順番にみていこう。

(1)ソ連などの社会主義諸国
 ソ連では1956年にスターリン批判がはじまった。これに呼応した東欧諸国では、ポーランド事件やハンガリー事件が発生する。1960年ごろには中国とソ連が対立するようになる。1968年には「プラハの春」という悲劇的なできごとがあり、その後、ポーランドでは一連の地殻変動が生じた。60年代末から70年代半ばにかけ、中国では文化大革命が発生した。
 こうした動きにたいし、西側のマルクス主義者は「ソ連からキューバやベトナムにいたるまでの現存社会主義体制は……こうであって欲しいと願っていた姿とは、似ても似つかないものであったという結論」に達していた、と著者はいう。つまり、西側のマルクス主義者はソ連型の社会主義体制に幻滅しはじめていたのだ。
 そこからは、ふたつの道が生じた。ひとつはロシア革命以前の社会主義の理念に立ち戻ろうとするもの。もうひとつは、社会主義そのものに失望して、マルクスのすべてを拒絶しようとするものだ。

(2)「第三世界」の国々
「第三世界」という曖昧な概念はもともとマルクス主義のなかには存在しなかった。それは欧米先進国とソ連社会主義圏のどちらにも依存せずに、脱植民地後の発展を遂げようとする低開発国全体を指す言い方だった。
「第三世界」を称する新興国は、欧米諸国からの自立をめざして、社会主義をかかげることが多かった。だが、その後の発展は容易ではなく、「第三世界」ということばは次第に使われなくなった、と著者はいう。
 I・ウォーラーステインによれば、世界はいくつかの「中枢」先進諸国が「周辺」を支配し、世界市場を形成することで成り立っている。こうした世界システムは16世紀以降に生まれ、「中枢」が発展したのにたいし、周辺は取り残された。第三世界とは、ウォーラーステインのいう「周辺」にあたる。
 それでは、周辺地域が自立的発展を遂げるにはどうすればよいのか。第三世界の左翼勢力は、米帝国主義と独裁政権に抗する共同戦線を提唱し、議会での勢力獲得をめざした。国内における攻撃は、主に大土地所有者に向けられていた。大土地所有者は広大な土地と農業経済を支配し、世界市場向けの輸出品をつくっていた。革命の目的は大土地所有の解体に向けられていた。
 だが、議会主義にあきたらない極左勢力は、資本主義そのものの廃絶をめざして、各地で蜂起した。社会主義そのものの建設が目標とされた。フィデル・カストロによる1958年のキューバ革命は、社会主義の明るい未来を切り開くかに思えた。だが、社会主義建設は困難をきわめた。

(3)60年代末の学生反乱
 1960年代末の急進主義の波は、突然かつ予期せぬ事態だった、と著者は書いている。それは急速に盛りあがり、また凋落した、とも。その運動をおこしたのは若いインテリたちであり、フランスとイタリアでは労働者階級の運動に飛び火した。それは資本主義国だけではなく、ユーゴスラヴィアやポーランド、チェコスロヴァキアにも波及した。
 新たに登場した新左翼は、アナーキズムやテロリズムの傾向すら含んでいた、と著者はいう。1950年代初頭以降、労働者階級の生活水準が改善されるにつれて、マルクス主義はどちらかというと退潮気味だった。だからこそ、新左翼の動きは劇的なものとなった。
 学生たちの急進化は、経済的不満や経済危機によるものではなかった。それは「経済の奇跡」と呼ばれた資本主義の繁栄期に発生した。彼らは労働者や農民と一体化していたわけではない。新左翼運動は大衆からはほとんど受け入れられず、孤立のうちに発展した。それは秘儀的な言語や哲学と結びついており、理論中心主義の傾向があった、と著者は評している。
 新左翼に理論以上の何かがあったとすれば、それは反戦運動や環境問題と結びついていたことだった、と著者はいう。新左翼が大衆政党を生みだすことはなかった。とはいえ、その運動は大学から大学へと広がり、情報的国際主義をも可能にし、それによって、いったん消えかかったマルクス主義を広げるきっかけになった。

(4)70年代以降の動き
 70年代以降の特徴は、かつてのソ連共産党がもっていたマルクス主義の教理が失われたことだ、と著者はいう。60年代末の学生反乱をへて、さまざまな解釈が生まれ、マルクス主義は多元的になった。
 そのいっぽうで、マルクス主義の理論家が生まれた。マルクス主義は知の分野を構成する要素となり、哲学者や思想家のあいだで論じられ、構造主義や実存主義、精神分析などと結びつくようになった。
 さらに、これまで世界を分析する唯一の武器であると思われていたマルクス主義は、次第に自分たちの外を見ることを余儀なくされた。マルクス経済学者は、大学のブルジョワ経済学を単なる資本主義擁護の学説と片づけることができなくなった。実際、社会主義国でもオペレーションズ・リサーチやプログラミング抜きでは経済分析すらできなくなった。
 つまり、マルクス主義者は、もはや非マルクス主義者の知識を避けて通ることはできなくなった。そのいっぽうで、それまでマルクス主義とは無縁だったフランスの歴史学も、マルクス主義の業績を取り入れる動きがではじめた。
 マルクス自体にさかのぼる研究もさかんになってくる。マルクス研究は公式のドグマからかなり自由になって、マルクス主義者のあいだからも、これまでにない命題や考え方が提示されるようになった。
 マルクスの再評価とマルクス主義の現代化が生じたのだ。主流派と非主流派の区別はもうなくなった、と著者はいう。
 原典からの時間的距離が大きくなるいっぽう、教条としてのマルクス主義は見捨てられるようになった。
 マルクス自身は体系的な理論を完成したわけでもないし、ポスト資本主義社会への道筋や未来社会の姿をえがいたわけでもない。そのため、70年代には、さまざまな解釈や論議が巻き起こった。
 人間社会のすべてを解明するというマルクス主義の目標は、いまや大言壮語とみられるようになった。資本主義の崩壊や、プロレタリアートによる革命、あるいはきたるべき社会主義の姿などについての古い確信はもはや信じられなくなった、と著者はいう。
 1970年代には、マルクスやマルクス主義関連の出版物が世界各地でピークを迎えた。だが、それとは裏腹に、現存社会主義の実態が、知識人、そしてそれ以上に大衆を、マルクス主義から遠ざけることになった。こうして1980年代に、マルクス主義は後退期を迎える。

(5)80年代半ば以降
 1980年代以降、マルクスは時代遅れとみなされ、ほとんど世界中でマルクス主義は「ゆっくりと朽ちてゆく中高年の生き残り集団の単なる思想一式に落ちぶれた」と著者は書いている。
 ヨーロッパではマルクス主義は見捨てられ、中国も劇的な進路変更をはたしていた。そしてソ連邦が崩壊する。「マルクス・レーニン主義」は一掃された。
 ソヴィエト・モデルの崩壊は、共産主義者だけではなく社会主義者にも大きな爪痕を残した。マルクス主義者は、未来にたいする歴史予測が完全にはずれたことを認めないわけにはいかなかった。
 旧社会主義国でも、社会主義の崩壊後、体制のエリートたちはマルクス主義の教義を捨て去り、国家に守られながら、ジャングル資本主義やマフィア勢力に身を投じた。
 しかし、マルクス主義の後退は、70年代から徐々にはじまっていたのだ、と著者はいう。1974年にはフリードリヒ・ハイエクが、76年にはミルトン・フリードマンがノーベル経済学賞を受賞する。経済学ではケインズ派に代わって新自由主義が主流となった。
 いっぽう、社会学や歴史学はマルクスの方法を取り入れていた。それまでの政治史的な歴史学に代わって、社会経済史というジャンルもあらわれる。その代表がフェルナン・ブローデルの仕事である。イアン・カーショーも、ヒトラーについてのこれまでにない研究をあらわした。それらの仕事は、教義的なマルクス主義とはまったく無縁だった。
 80年代以降は、全般的にマルクス主義の後退がみられたといえるだろう。とりわけレーニン流の党組織と、中央統制型の社会主義には批判が集まった。これに代わって注目されたのは、たとえばチェ・ゲバラなどによる小グループのゲリラ闘争である。しかし、こうした「行動による宣伝」は、テロリズムに後退するほかなかった、と著者はいう。
 社会変革を求める政治的行動主義が沸騰したのは、むしろ非ヨーロッパ諸国においてである。西側諸国では、社会民主党や労働党すら、資本主義システムにのっとるのはとうぜんと主張するようになった。
 社会主義から資本主義へというのが1990年代以降の風潮である。学位をもつ億万長者が登場し、学生たちは社会変革よりも出世をめざすようになった。
 18世紀的な啓蒙主義にもとづく社会変革イデオロギーは後退し、近代化された伝統的宗教が興隆ないし復活した。こうして、マルクス主義は全面的に周辺化していく。マルクスには、テロルと強制収容所からなる社会主義のイメージがつきまとい、それがマルクス主義を嫌われ者にしていった。
 いまや西側の自由民主主義的資本主義が世界的規模で優位性を誇っているかにみえる。それでも、と著者はいう。「資本主義は……それ自身の無制約のグローバルな影響によって、自らの将来が問われている」
 資本主義は人類に危機をもたらそうとしているのかもしれない。そのとき、深い闇の奥からよみがえるのは、資本主義は永遠不滅ではない、資本主義世界は変革されなければならないというマルクスの声ではないか、と著者は論じている。
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