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仁和寺 [旅]

昼のビールでいい気持ちになりながら、帷子ノ辻で嵐電に乗り、御室仁和寺までやってきました。仁和寺は駅の正面に見えます。
ところで、仁和寺といえば、『徒然草』に仁和寺の僧の話が出てくると聞いたことがあります。いったいどんな話なのか。お寺のパンフにも書いてありませんでした。作者の吉田兼好はこの近くに住んでいたとか。
駅から歩くこと5分くらいで、二王門に到着。
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二王門をはいったところにある受付で拝観料を払ってから、まずは左手の御殿に。御殿は御室(おむろ)ともいい、皇族の住まいでした。
案内のパンフによると、仁和寺を創建したのは平安時代の光孝天皇(830-887、在位884-887)。しかし、完成したのは宇多天皇(867-931、在位887-897)の時で、仁和4年(888)です。仁和寺はこの年号をとって、名づけられたわけです。
 それ以降、仁和寺では皇子皇孫が門跡をつとめてきました。だから御室御所とも呼ばれるわけですね。格式の高いお寺です。
 靴を脱いで、御殿にはいり、廊下を歩くと、白砂が敷かれた庭が広がり、その先には勅使門がみえます。まるで御所のよう。
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宸殿を回ると、こんどはうってかわって緑あふれる世界が目に飛びこんできます。このあたりの転換がみごとですね。つくりは御所と変わりません。御所にいるのと同じといったところでしょうか。
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はっきり覚えていないのですが、この御所は明治20年に焼失したので、明治末から大正にかけて再建されたと、どこかに書かれていたような気がします。比較的新しい建物です。
書院もそうですが、宸殿の部屋にもさまざまな光景がえがかれています。さしずめ平安絵巻というところでしょうか。
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黒書院から霊明殿が見えます。檜皮葺(ひわだぶき)のすっきりとした屋根に宝珠が乗っています。歴代門跡の位牌を安置したところだとか。
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御殿をでて、広い境内を歩きます。朱色というよりピンク色になった中門を通って、少し行くと右側に五重塔があらわれます。
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正面には金堂。これは慶長年間に造営された御所の紫宸殿を移築したものだとか。国宝です。なかはみられません。
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金堂の右側には経蔵。お経を収めた蔵ですね。
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左に行くと、弘法大師を祀った祖師堂があります。ここは真言宗御室派の総本山なのです。
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家に帰ってから、仁和寺の僧が徒然草でどんなふうにえがかれているのかが気になって、手持ちの本を開いていました。といっても、ぼくが持っているのは橋本治の『絵本徒然草』。イラストは田中靖夫画伯です。
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いやはや読んでびっくり。
石清水に参拝してみたいと思ってでかけた仁和寺の坊さんが、ふもとのお寺だけみて帰ってきた話とか、童が坊主になるお別れ会で、鼎(かなえ)を頭にかぶって、ふざけて踊っていたら、鼎が抜けなくなって大困りした坊さんの話とか、坊さんが稚児を連れて双ヶ岡(ならびがおか)に紅葉狩りに行き、いいところをみせようとしたのに、ずっこける話とか。
せっかく格調高く構えている仁和寺がだいなしです。でも、ほうぼう取材して、こんな人間くさいエピソードを書き残している兼好に拍手したいと思いませんか。

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