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『山片蟠桃の世界』を上梓 [雑記]

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しばらく、本づくりの作業に没頭していて、このブログもほとんど休眠状態でした。
やっと本が完成しました。
タイトルは『山片蟠桃の世界』。上下巻で、原稿の量は400字で1300枚あります。
AmazonのKindle本で買うことができます。Amazonで「山片蟠桃の世界」と検索してみてください。
Kindleブックを持っていなくても、パソコンで読むことが可能です。
お値段は上が108円、下が107円です。
その序だけ以下に示しておきますが、中身は物語で、けっしてむずかしくありません。古文の直接引用もありません。
よろしければ、お読みください。

  序

 升屋小右衛門は浪華でもよく知られた伝説の商人だった。
 だが、かれが蟠桃という別の名前をもっていることは、ほとんどだれも知らなかった。
 山片蟠桃は徳川時代後期に新たな知の可能性を切り開いた思想家である。近代の知への扉を開けたこの経済人は、ある面で近代を激しく拒否する人でもあった。
 近代とは国家幻想と産業社会の膨張に彩られる時代である。その近代が近づく予感に、かれの知はあらがおうとしていた。
 人は生まれながらにして自由で平等ではない。身分の枠はきびしかった。だが、知の前に自由と平等は開かれる。たとえ身分や役割にしばられていても、人はそれぞれ知を得るところから出発しなければならない。
 そのためには、まず神仏や鬼神のもたらす虚妄をしりぞけ、現実を見つめる必要がある。格物致知は世界が神秘化・絶対化へと逆行するのを防ぐための営為にほかならなかった。
 蟠桃は個々の知が大知へと結集し、公共の場が形成されていくことを願っていた。かれにとっては市場こそが、そうした大知のあらわれだった。だが、大知がつくられるのは、もちろん市場においてだけではない。政治における大知こそが求められていた。
 蟠桃の知は西洋に向けて開かれていた。だが、その根本は儒の教えである。儒の教えは普遍と信じていた。それは単なる道徳や秩序意識ではない。人の生き方を示す普遍的な思想だった。
 和魂洋才ではない。東洋道徳西洋芸術(技術)でもない。洋学はあくまでも普遍的な儒学のなかに吸収されるべきものとして存在した。
 人は時代の制約をまぬかれない。それでも、かれは成熟する江戸文明のなかを懸命に生きた。
 これは大坂船場の商人、山片蟠桃をめぐる物語である。

 ブログもぼつぼつ再開したいと思います。
 今後ともよろしくお願いします。

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