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早大闘争──中野翠『あのころ、早稲田で』を読みながら(2) [われらの時代]

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 社研といっても、堅苦しい学習や議論ばかりしていたわけではない。
 信州での合宿もあって、みんなで雑談をしたり、山歩きをしたりして、楽しかったという。
 同じ部室の「文研」は、どちらかというと生真面目な「社研」にたいして、どちらかというと一癖ありそうな人が多かった。そのなかの一人がのちの呉智英(くれ・ともふさ、というよりゴチエー、本名、新崎智)である。中野は本書で彼のことにもよく触れている。ともかくおもしろい快男児だったらしい。
 早大闘争がはじまったのは、1968年ではなく、著者が1年生の1965年11月である。闘争は翌年6月まで約7カ月つづいた(ストは1月18日から6月22日までの150日間)。
 ぼくが早稲田に入学したのは、早大闘争が終わったその翌年で、キャンパスにはその余塵があちこちにただよっていた。それにまた火がつくのは、68年の日大、東大闘争をきっかけとしてである。
 その後、ぼくも全共闘の周辺をうろうろし、そのあと、1970年の三島事件、1972年の連合赤軍事件で、ふとわれにかえるという経過をたどる。
 66年の早大闘争は体験したわけではないので、著者の話を復唱することにしよう。
 きっかけは、大学が新たにつくる第二学生会館の管理問題だった。
 それがくすぶりはじめたところに、65年12月末、大学当局は授業料値上げを決定した。
 法文系57%、理工系44%という大幅値上げ計画に学生たちは猛烈に反発し、翌年1月から全学ストに突入する。そのとき、全学共闘会議議長に選ばれたのが大口昭彦だった。
 集会でアジ演説をする大口の印象を、著者はこう書いている。

〈議長の大口さんは、いかにも(昔ながらの)ワセダという風貌だった。顔も体つきもガッシリとしていて髪の毛はごく短く刈っていた。服は黒の学生服だったり、ベージュのジャンパーだったり、ファッションには興味がない様子。剣道の達人だという噂。そこがまた、大口さんの人柄をしのばせて、男子にも女子にも人気があった。あまりにも人気があったので女性週刊誌も取材に来ていたほどだった。ワセダならではのスター性があったのよ。〉

 そのころ学生のあいだでは、自殺した活動家、奥浩平の遺稿集『青春の墓標──ある学生活動家の愛と死』がよく読まれていたという。
 1966年1月半ばから下旬にかけて、大学の各学部は「学費の大幅値上げ粉砕!」「[第二]学生会館の管理運営権の獲得!」をスローガンに挙げて、つぎつぎ無制限ストライキに突入した。
 各学部校舎入り口には机がうずたかく積まれてバリケードが組まれた。男子学生たちはピケを張ったが、大学当局は警官隊や機動隊を導入することも辞さなかった。大口議長はじめ、何百人もの学生が逮捕されている。
「もうこのへんから女の出番は無いですね。男の世界ですね。校舎内に泊まり込んでザコ寝なんてできないもの、不潔でイヤだもの」と、著者はふり返る。
 体育会系の右翼がなぐりこんでくることもあったという。
 久米宏もアジ演説をしたことがあって、達者なもんだと、みんな感心したという。久米宏の劇団仲間、田中真紀子は大学側についた。
 民青には「あかつき隊」というゲバルト組織があって、その隊長を務めたのが宮崎学だった。そのころのことをえがいた『突破者』が抜群におもしろい、と著者(すみません、まだ読んでません)。
 そのころは、学生会館の1階ラウンジで、活動家たちが、「精鋭が30人集まれば革命は起こせるんだ」などと大声で話していたという。
 大学では荒々しい闘争がつづいていた。でも、「家に帰れば、何事もない、ありふれた、おだやかな、変わらぬ日常生活」。「その二つの世界を、毎日毎日、まるで8の字を描くように私は往還しているのだった」と著者はいう。それは、のちに下宿生活を楽しむぼくらもさして変わらなかった。
 4月23日には大浜信泉総長が辞意を表明、6月22日にはいちおうストが終結して、150日にわたる早大闘争は終わる。
 この年の入学試験は、機動隊に守られながら、2月末から3月はじめにかけて実施された。入学式は5月1日になったという。ぼくが入学するのは、その1年後だ。
 著者はそのころ出会った社研や文研の仲間(早く亡くなった人もいる)の思い出を書き綴っている。
 そして、社研で理論武装の日々を送っているうちに、彼女は気づきはじめる。

〈この頃から私は自覚し始めた。私は『思想的人間』ではないな、「感覚的人間」だな、と。だから無意識のうちに、社研よりも文研の人たちのほうを面白がってしまうんだな、と。〉

 このあたりから中野翠の世界がはじまったといってよい。
 アルバイトをしたり、喫茶店で友達とおしゃべりしたり、音楽を聴いたり、映画を見たり、本やマンガ(手塚治、ジョージ秋山、赤塚不二夫、白土三平、つげ義春、佐々木マキ)を読んだりしているうちに、世界は広がっていく。
 だが、時代はベトナム反戦運動が巻き起こり、文化大革命で紅衛兵が暴れ回るなどして、けっして平穏ではなかった。「よくも悪くも、世界的に、戦後生まれのベビーブーマーたちが力をふるいはじめていた」時代だった。

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