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ホブズボーム『帝国の時代』 を読む(1) [商品世界論ノート]

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 昔、読んでみたいと思っていたのに、つい読みそびれた本がある。これもその一つだ。値段が高くて買いそびれてしまったことを覚えている。
 何かの拍子でふと思い出し、図書館で借りて、読みはじめることにした。
 最近は何もかもすぐ忘れてしまうので、メモをとる。例によって、長いメモになりそうだ。

 エリック・ホブズボーム(1917〜2012)は、イギリスの歴史家。以前、拙ブログで、かれの『20世紀の歴史』、『いかに世界を変革するか』を紹介したことがある。
 本書『帝国の時代』は1875年から1914年までの歴史を扱っている。かれのいう「長い19世紀」を記述する3部作の最終巻であり、『革命の時代』、『資本の時代』につづくものだ。
 ヨーロッパにおける市民革命と産業革命の「二重革命」は、資本主義経済の世界制覇を導いた。1848年から1870年代にかけては自由主義が勝利を収める。しかし、『帝国の時代』においては、資本主義内部の矛盾が噴出し、世界は世界戦争の淵に立たされる。やがて第1次世界大戦によって、「ブルジョワジーの世紀」は幕を閉じ、世界は新たな時代を迎えることになる。
 これが19世紀全体の見取図といってよいだろう。
 ぼくが3部作の最後にあたる『帝国の時代』を選んだのは、この時代がほぼ明治時代(1868〜1912)と重なるからである。本書を読むことは、明治時代を世界史的な視野からとらえなおすことにもつながるだろう。

 それでは、さっそく読みはじめよう。
 1876年には「アメリカ革命百年祭」、1889年には「フランス革命百年祭」が、それぞれ万国博のさいに開催された、というところからホブズボームは筆を起こしている。その100年のあいだに、いったい何がおこったのか。
 第一に、世界がグローバル化したこと。地球上の場所はほとんど知られるようになった。南極、北極も探検された。鉄道、蒸気船、電信機が世界の距離を縮めた。
 第二に、人口が増大したこと。1880年代に全世界の人口は15億人となり、100年前のほぼ2倍になった。ヨーロッパ人が大量に海外に移住したのもこの時期の特徴だ。
 そのいっぽうで、世界は豊かな地域と貧しい地域、先進的な地域(第一世界)と後進的な地域(第二世界)に分裂していった。西欧諸国と他の世界のギャップが次第に広がっていく。この格差をもたらしたのは、主に科学技術だった。
 先進地域と後進地域との境界はあいまいである。ヨーロッパの内部においても、地域格差は大きい。
 それでも第一世界は第二世界へと拡張していく。
 ホブズボームは、こう書いている。

〈1880年代のヨーロッパは、世界を支配し転換させた資本主義的発展の根源的な中核であったばかりでなく、それにもまして世界経済とブルジョア社会の極めて重要な構成要素であった。歴史上、これほどヨーロッパ的な世紀は存在しなかったし、また再びそうした世紀が出現することもないであろう。〉

 まだ、アメリカの世紀になってはいない。アジアは大きく立ち遅れていた。
 第一世界では都市が発達した。農業人口はイギリスを除いてまだ国の半分を占めていたが、工業化が近代化の尺度だったことはまちがいない。
 ホブズボームによれば先進諸国の政治的特質はおよそ次のようなものだ。それはほぼ均質な住民からなる十分な広さをもつ領域国家であり、国際法上の主権を有し、代議制にもとづく政治・司法制度と地方自治制度を備えている。つまり、自由主義的な立憲的国民国家といってよい。こうした国家は非先進的な地域では見当たらなかった。
 このころ、世界の国家の数は44ほどしかなかった(現在は約200カ国)。ヨーロッパに17(オスマン帝国を含む)、南北アメリカに19、アジアに5(日本、中国、朝鮮、ペルシア、タイ)、アフリカに3(モロッコ、エチオピア、リベリア)である。多くが植民地になっていた。
 先進世界では、成年男子が自由で平等な個人として認められようとしていた。大衆教育が普及し、読み書きのできる人が増えている。それでも社会的特権をもっていたのは金持ちである。いっぽう非先進国では人権など認められず、いまだに平気で拷問などがおこなわれていた。
 19世紀は何よりも変化の時代だった。それをもたらしたのが、当時、世界資本主義の中心である北大西洋沿岸のダイナミックな地域だったことはまちがいない。
そうした直線的進歩をもたらしたのが、工業技術とそれにもとづく物的生産、交通・通信の発達である。近代の機械は大型で、主に石炭をエネルギー源とする蒸気力で動き、鋼鉄でつくられていた。その代表が機関車だった。
 電信網も張りめぐらされた。1882年には世界で2万2000隻の蒸気船が浮かんでいたが、積載総トン数ではまだ帆船のほうが上回っている。
 電話、蓄音機、白熱電灯、自動車が生まれたのは1880年代後半だ。だが、まだ普及にはいたっていない。
「進歩というものを一番はっきりと目で見ることができたのは、『先進』世界の物的生産能力と、迅速で大量の輸送能力であった」と、ホブズボームは書いている。
その恩恵は人口の大部分を占める労働者階級にまでおよんでいない。しかし、一般庶民の状態も次第に改善されつつある。ヨーロッパの先進地域で最後の大飢饉が起きたのは1860年代だった。身長や平均余命も延びつつある。読み書きできる人の数も増えてきた。
 しかし、先進諸国以外では、進歩は外国からの危険であり、挑戦以外のなにものでもなかった。資本主義が住民のそれまでの生活を破壊していた。進歩という観念のかたわら、人種という差別的な観念が生まれ、白人崇拝が広がっていく。
 こうして「世界は『進歩』が生来的なものであった小さな地域と、『進歩』が外国の征服者──彼らは地元の協力者の支援を受けた──として到来したはるかに広大な地域とに分かれた」。
近代の「帝国の時代」がはじまったのだ。日本はこの「帝国の時代」に近代化への道を歩みはじめる。

 歴史は重層をなしている。ホブズボームがえがこうとしているのは、そうした重層的な歴史である。
本書では、まず19世紀後半において時代の流れを変えた「経済の変容」が論じられる。
 先進国では1875年から1890年ごろにかけて、これまでにない景気の変調と沈滞に見舞われていたという。
 イギリスでは物価の低落、利子率の低下、利潤の低下がめだっていた。不況の影響をもっとも強く受けたのが農業である。外国との競争により、小麦価格は1867年から1894年にかけ、ほぼ3分の1になった。
イギリスでは農業は衰退するままにまかされた。デンマークは農業を近代化し、畜産物を主力にするようになった。ドイツ、フランス、アメリカは農産物に高い関税をかけ、農業価格を維持した。イタリアやスペインなどからは多くの移民が生まれた(アイルランドの大量移民は1840年代後半の大飢饉によるものだ)。
 物価の下落は工業製品にもおよんだ。1873年から96年にかけ、イギリスの物価水準は40%下落した。それが利益率を低くした原因である。このころ激しい競争のもとで、工業生産力は増大していた。にもかかわらず、消費財市場の発展は遅れていた。
 物価が下がったのに生産コストが下がらなかったことも利益が圧縮される原因だった。世界の中心国は金本位制を維持しようとしていたが、金銀の交換レートの不安定性が経済取引を不活発にしていた。
 自由主義を唱えるイギリスを例外として、ドイツやフランス、イタリアは農業保護政策をとっていた。イギリスは最大の工業製品輸出国だったが、砂糖、茶、小麦、食肉、羊毛、木綿などをどの国よりも輸入していた。穀物消費量の56%を海外からの輸入に頼っていた。その反面、19世紀半ばのイギリスは世界工業を半ば独占していた。
 ホブズボームはいう。

〈資本主義経済は世界的規模のものたらざるを得ず、また事実そうであった。19世紀にはその傾向がさらに定着した。資本主義経済の活動は、この地球上のはるか遠隔の地にまで拡がり、あらゆる地域をかつてないほど根本的に変化させた〉

 そのいっぽう、資本主義は「国民経済」を単位としていた。イギリスであれ、フランスであれ、ドイツであれ、資本主義は国民国家をひとつの経済単位とせざるをえなかった。
 工業化と大不況が進展するなかで、保護主義だけで経済を保つわけにはいかなかった。そこで経済危機への対応としては、経済の集中と経営合理化が求められるようになる。
 カルテルやトラストに加え、テイラー・システムなど科学的管理(具体的には労働者管理)が導入されるようになった。大企業は株式会社となり、資本家に代わって経営者が組織の経営を担うようになった。また、より多くの利潤を求めて、資本が海外へと市場を広げようとし、それが帝国主義とつながった面は否定できない、とホブズボームは述べている。

 1890年代半ばから第1次世界大戦にかけては、一転して繁栄の時代となった。この時代をベル・エポックと呼ぶ人もいる。
 景気上昇のスピードは驚異的だった。この時代を特徴づけるのは、イギリスの相対的衰退と、アメリカ、ドイツの相対的上昇である。この時代にドイツの工業品輸出はイギリスを上回る。イギリスは1860年ごろのような「世界の工場」ではなくなっていた。
 新しい産業がイノベーションを起こすとするなら、それは19世紀はじめには綿工業であり、1840年代には鉄道だった。しかし、1890年代にはのちの高度成長を導いた化学、電気、石油などの各産業はまだ本格的に稼働していない。だとすれば、何がこの好景気をもたらしたのだろうか。
 ホブズボームは資本主義諸国における工業化の拡大にその答えを求めている。イギリスをはじめとして、ドイツ、アメリカ、フランス、ベルギー、スイス、チェコに工業化が広がっただけではない。周辺のスカンジナビア、オランダ、北イタリア、ハンガリー、ロシア、日本にも工業化の波が押し寄せていた。
 これらの地域では急速な都市化が進んだ。それとともに膨大な需要が生まれていた。大衆の時代がはじまろうとしていたのだ。
 そのころ国際市場の80%は先進諸国の手に握られるようになっていた。こうして中心国と衛星国、植民地の区別が確定されていく。
「帝国の時代」の世界経済をホブズボームは次のように概括する。
 第一に、地理的な基盤が拡大されたこと。工業地域と工業化途上地域が拡大するとともに、第一次産品が世界市場に組みこまれていった。
 第二に、イギリスが唯一の経済大国ではなくなったこと。帝国の時代は諸国家が競い合う時代となった。とはいえ、イギリスは金融大国としての地位を保っている。
 第三に、技術革命が進展したこと。鉄道に加え、電話、電信、蓄音機、映画、自動車、飛行機が登場しつつある。
 第四に、巨大企業が誕生したこと。
 第五に、都市化と実質賃金の上昇により、大衆消費市場が生まれたこと。庶民が紅茶を飲み、新聞を読むようになった。
 第六に、第3次産業部門が拡大したこと。商業従事者が増え、ホワイトカラーも増えつつある。
 帝国の時代は、こうした経済状況を背景に進展していった。
 少しずつ読んでいくことにする。

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