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金曜日の妻たちへ──大世紀末パレード(1) [大世紀末パレード]

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 暇つぶしといえば語弊があるかもしれないが、これはたしかに暇なじいさんの、まるで緊張感のないブログにはちがいない。それでも、ますますぼんやりしていく頭の片隅で、漠然と「大世紀末パレード」というテーマをひねりだしてみた。どうでもいい話かもしれない。
 ここでいう「大世紀末」とは、およそ1985年から2000年までの時期をさしている。21世紀からは新しいミレニアム(千年紀)である。そのため、千年に一度の大世紀末だというのに、そこにキリスト教でいう世界の終末といった意識は感じられず、むしろあのころ時代は漫然と過ぎていったように思われる。
 たしかに何かが終わったという雰囲気が世界を包んでいた。そして、何かおかしいという不安感が膨らんでいくのは、むしろ21世紀という新しい世紀にはいって、しばらくたってからである。だとすれば、気づかぬうちに大世紀末にすでに歴史的な地殻変動がはじまっていたのではないか。
 何かが終わり、何かがはじまるのは、いつの時代も同じである。だが、それはふだんあまり意識されず、日々の仕事のなかで一瞬驚きをもたらすニュースとして流れるだけで、たちまち消え去っていく。大きなできごとは少しずつ時間をかけて人を包みこんでいくのだが、自身はそれに気づくことなく、流されていく日常を必死にもがきながら前に進もうとしていたのではないか。
 1985年から2000年にかけても、そんな時代だった。ぼくも会社の片隅で本の販売や編集という地味な仕事をしていたが、無能な人間なりに、一生懸命、与えられた目の前の仕事に励んでいた。あのころの自分のことを書くのは気が進まない。冷や汗の出る思いがする。要するに自慢できることはほとんど何もないのだ。
 それよりは、むしろ、あのころちらっと垣間見ただけで通り過ぎたできごと、そして、あのころの本などを取りあげて、遅まきながら、あのころ自分のまわりで何が起こっていたのかをたしかめてみたい。
何かえらそうなことを論じようというのではない。大きな歴史を書こうというのでもない。自分がサラリーマンとして中年を過ごした時代の回想である。
 本を取りあげるのは、これまで本とかかわることが多かった職業柄による。とはいえ、ここで扱うのは、自分に関心のあるごくわずかな本にかぎられてしまうだろう。教養のなさを痛感せざるをえない。
つまらぬ前置きはおしまい。だらだらと書いていく。はたして最後までいきつくか、先のことはわからない。

 まずは、はじまりの年、1985年を取りあげてみよう。吉崎達彦の『1985年』が失われた記憶を呼びさましてくれる。
 そのころテレビでは『金曜日の妻たちへ』がはやっていた。TBSから放送された、いわば不倫ドラマで、85年はシリーズ最後のパート3になる。8月30日から12月6日までの秋から初冬にかけ、毎週金曜日、午後10時から1時間の枠で放送されていた。脚本は鎌田敏夫だった。
 出演は古谷一行、板東英二、奥田瑛二、いしだあゆみ、小川知子、篠ひろ子といったあたり。小林明子が歌った主題歌「恋におちて Fall in love」が大ヒットした。

もしも 願いが叶うなら
吐息を 白いバラに 変えて
逢えない日には 部屋じゅうに
飾りましょう 貴方を想いながら
Darling, I want you 逢いたくて
ときめく恋に 駆け出しそうなの
迷子のように 立ちすくむ
わたしをすぐに 届けたくて
ダイヤル回して 手を止めた
I’m just a woman・・・
Fall in love

 作詞は湯川れい子、作曲は小林明子。英語をはさんだ歌詞もいやみがない。30代後半と思われる人妻の一途な恋が、いますぐにでも逢いたいのに逢えないという状況のなかで、切々と歌いあげられている。
白いバラは純愛をあらわしている。ダイヤル回して手をとめるのは、ためらいのなす業である。
 実年齢でいうと、このとき古谷一行は41歳、板東英二は45歳、奥田瑛二は35歳、いしだあゆみは37歳、小川知子は36歳、篠ひろ子も37歳だった。みんなほぼ団塊世代(戦後第一世代)だといってよい。
 ドラマでの役名を省略していうと、古谷一行は大手建設会社の設計部課長で、その妻が篠ひろ子だ。ふたりは東急田園都市線の町田あたりに住んでいる。小川知子は印刷会社の会社員板東英二と再婚し、長津田で「ソル・エ・マール(太陽と海)」というレストランを開いている。いしだあゆみは映画会社で翻訳字幕の仕事をしているが、かつて古谷一行と下落合のアパートで同棲していたことがある。奥田瑛二はいしだあゆみの務める映画会社の後輩だが、妻との関係はうまくいっていない。
 篠ひろ子と小川知子、いしだあゆみは、仙台のお嬢様学校、青葉女学院で幼稚園から短大までいっしょに過ごした仲だ。しばらく連絡がとれなくなっていたいしだあゆみと小川知子が偶然、銀座で再会したところからドラマは幕を開け、そのあと古谷一行や奥田瑛二がからんで、はらはらどきどきする1時間が展開する。最高視聴率は23.8%に達したという。
 お堅い厚生省もこの現象に注目し、のちに1998年の厚生白書「少子社会を考える」のなかで、「団塊の世代の専業主婦たちの不満と主婦役割からの脱出」というページを設けて、こう論じた。

〈『妻たちの思秋期』にしても、「金曜日の妻たちへ」にしても、今までなら何の不足もないと思われていた生活の中で、主婦たちというのは不満を抱いているものなんだ、ということを前面に押し出しました。これに世間はびっくりした。妻の座を得たら女は三食昼寝つきで安泰のはずなのに、なんと不満をもっているらしいぞ、と。〉

 放映から10年以上たっていたのに、このドラマの記憶が残っていたところに、「金妻」の影響力の大きさがあらわれている。しかし、政府の「白書」に、「今までなら何の不足もないと思われていた生活」とか「妻の座を得たら女は三食昼寝つきで安泰」といった記述があるのが男のホンネを感じさせる。そこに「主婦たちというのは不満を抱いてものなんだ」という「発見」がかぶさる。
 ここから、「白書」が女性の社会参加という政策を打ちだすことも目にみえるようだ。
 ところで、「白書」には「金曜日の妻たちへ」の前に『妻たちの思秋期』という本の名前がでてくる。『妻たちの思秋期』は共同通信の社会部記者、斎藤茂男が1982年に出版したルポで、書籍化にあたっては、ぼくが編集を担当した。
 このルポは、都市中流家庭の中高年の女性たちを登場人物にして、アルコール依存症におちいっていく主婦や、自分から離婚を宣言して夫と別れる妻たちの生の声が集められている。
「ごめんね、こんなになって。でももう少し飲ませて、お願い。手が震えてどうしようもないんだもの……」
「なにさ、よくもよくもほったらかしやがって! 25年間も! 25年もほうっといて! なにが仕事よう、聞きあきたよもう……」
 斎藤(さん)が取りあげようとしていたのは、記事として表面化することのない日常のなかにひそんでいる事件だった。
 味も素っ気もなくいってしまえば、事件記者から離れたあとの斎藤(さん)のテーマは、一貫して日本資本主義論だったといってよい。経済至上主義で突っ走る男たちの世界から侮蔑され、切り捨てられた、そのじつ経済社会を支える根源になっている女たちや子どもたちや虐げられた人たちの世界を抽象としてではなく、生の事実としてえがくこと。ぼくはすくなくとも、彼のテーマをそうとらえていた。
 じっさい『妻たちの思秋期』の「まえがき」にも、こう書かれている。

〈どうやら女たちは、男が疑うことなく営々と構築作業に精を出しているこの現代資本主義社会の、そのありように対して、夫という存在を通して本能的ともいえるような感性で疑問を感じとり、心と体のナマ身の表現で男たちに何かを呼びかけはじめている──この取材を通じて私はそのことを感じとった。〉

 しかし、現代資本主義論といってしまえば、いかにもおもしろくない。斎藤ルポの迫力は、あまり表にはでてこない、経済至上主義では片づかないナマの現実を、当事者の声としてそっくりそのまま読者に伝えるところから生まれていた。

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