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ヒックス『経済史の理論』を読む(1) [商品世界論ノート]

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 ジョン・リチャード・ヒックス(1904〜89)は『価値と資本』、『資本と成長』などの著作で知られる理論経済学の巨匠だ。その巨匠が1969年に経済史に関する本書を出版したことに、経済学者のあいだでは当時、驚きの声が広がったという。ヒックスはそれまでの理論経済学の業績にたいして、1972年にノーベル経済学賞を受賞するが、本人はむしろ『経済史の理論』のほうを評価してほしかったと語っている。
 訳者解説によると、本書は市場社会の発達に主軸を置いて、全世界にわたる人類史全体を取り扱った野心作だという。経済史の事実をこと細かに論じた歴史書ではない。タイトルに「理論」──「セオリー」というほうが、かえってイメージしやすいか──とあるように、あくまでも経済制度(システム)の発展に重点が置かれている。
 これもツンドク本になっていた。もうあまり先がないから、そのまま処分してもいいのだが、それではちょっと心残りだ。本棚の整理と頭の体操を兼ねて、パラパラとページをめくってみる。読んでも、すぐ中身を忘れてしまうから、例によってメモをとることにした。
 最初に強調されるのは、これが特殊な状況や個人の行動を扱った歴史ではなく、あくまでも一般史だということである。歴史上、統計的に扱える一般性をもつ現象に光をあてること、さらに社会の経済的状態について、その標準的な発展を記述すること、世界経済史をひとつの趨勢として取りあげることが強調されている。とりわけ重視されるのが資本主義の勃興に先立つ「市場の勃興」であり、それがいつどのように生じたかである。さらにそれが「工業主義」、すなわち産業革命にいたり、その後、市場にたいする否定的反応(すなわち社会主義)が生じるまでが論じられる。
 経済学者は市場の存在を当たり前と考えがちで、市場をできるだけ完全なものと想定する傾向が強かったと述べている。その後、ソ連の中央計画経済や戦時の統制経済を研究しなければならなくなったことから、非市場経済組織の研究がはじまる。しかし、完全な市場経済が存在しないように、完全な中央計画経済が存在しないこともあきらかだという。ヒックスが本書を出版した1969年は冷戦時代のさなかで、ふたつの政治経済体制が存在していたことを頭に入れておく必要があるだろう。
 とはいえ、かれが最初に取りあげるのは、歴史の流れからいえば、部族国家をはじまりとして、古代から中世にいたる時代である。
 この時代においても、もちろん商品は存在し、市場もなかったわけではない。しかし、商品や市場はまだ社会の中心となっていたわけではないし、商品世界は成立していない。
 ここで、かれは大なたで割ったように大胆なコンセプトを持ちだす。非市場経済は「慣習経済」と「指令経済」のふたつのタイプによって成り立っていたというのだ。そして、それはもはや消え去ったわけではなく、いまも残っているという。
 出発点となるのは原始的非市場経済である。その経済の特徴は「慣習経済」で、個人の役割は伝統によって定められ、その共同体は長期間、ほかから妨げられることなく存続していた。
 ところが、その共同体が危機に面して軍事的性格をもたざるをえないことがある。このとき共同体は「慣習経済」から「指令経済」へと移行し、軍事的専制主義に向かって直進する。そのきっかけとなる危機は人工の圧力による場合も考えられるし、他部族の侵入による場合も考えられる。
 いずれにせよ、軍事的専制主義は古代帝国への道を切り開くことになるだろう。めざすのは領土の拡張であり、奴隷を基盤とする指令経済である。
 だが、ほとんど純粋な指令経済は、非常事態を別として長くは存続しない。いずれは軍政が民政に移行し、形式上はともかく、中央権力は権力としての実態を失ってしまう。「封建制」はそうした状況をさす、とヒックスはとらえている。
 封建制のもとでは、将軍たちが領国の支配者に任じられ、さらに司令官が一地区の支配者となる。かれらは中央にたいして忠誠の感情をもっているとしても、中央の権力は非常に制限されたものになってしまう。
 指令経済であっても、慣習経済であっても、支配階級を養うのが貢納であることはまちがいない。それらは当初、強制されるようにみえるかもしれないが、次第に慣習化されていく。
 王のもとでの軍事的専制は封建制に移行しやすい。王国が大小の領国からなる場合は、いったん中央政府に税を集め、それを地方に分散するよりも、地方領主が税を集め、残りを中央に収めるほうが合理的だからである。すると、純粋な封建制のもとでは、中央政府は長期的には衰退していく危険性にさらされることになる。
 そこで中央権力は権力の浸食に立ち向かおうとする。その手段となったのが官僚制だ、とヒックスはいう。
 官僚を統制するには、官僚への監察制度と昇進制度、さらには新人登用制度が必要になってくる。早い段階で、こうした官僚制度を活用した文明のひとつが古代エジプトだった。さらに官僚制が成功した国家としては、中国を挙げることができる。
 それでも封建制への移行の芽は常にひそんでいた。官職は世襲になりがちで、加えて地方貴族の出現が中央の権力をおびやかす恐れがあった。
 ヒックスは「非市場経済」を「慣習経済」と「指令経済」、さらにその混合型としてとらえている。古代帝国の官僚制のもとでは「指令経済」の要素が強い。しかし、「指令経済」は世襲的な貴族制や伝統的なカースト制の引力によって、「慣習経済」に引き戻される傾向をもっている。
 しかし、「慣習経済」であっても「指令経済」であっても、「非市場経済」には共通するものがある。つまり、貢納にもとづいていることだ。
 農民は「承認された権威」にたいして貢租を支払う。「承認された権威」は政治的権威とはかぎらない。宗教的権威の場合もある。
 帝国の形態をとる指令経済のもとでは貢租は中央権力に高度に集中され、封建制のもとでは大小さまざまの領主が貢租を収めることになる。
 支配者はこうした貢租を軍隊と官僚を養うためだけに用いるわけではない。非常事態が去れば、みずからの権威を誇示するための豪奢な消費のためにも用いる。それは領民の心をつかむ消費ともなりうる。分業が生まれるのは王の宮廷からである。
 非市場経済は「貢納経済」としてとらえることができる。貢納経済は市場経済とは対照的なもので、経済のひとつの本来的な形態である。貢納経済は市場に先行する。言い換えれば、国家は市場に先行するということだ。
 市場経済は貢納経済を背景として生じる。たが、市場の成立後も貢納経済は残存し、自由放任主義の全盛期においても、けっして消滅することはなかった。租税が消滅することはなかったからである。
 おもしろいことにヒックスは、中央計画経済からなるソ連型の社会主義を、一種の貢納経済とみていた。国民の余剰は企業と政府に分散されるのではなく、中央政府に集中されるからである。
 だが、そのことはともかくとして、いまは次の章、「市場の勃興」、「都市国家と植民地」に焦点を移すことにしよう。非市場経済がどのように市場経済に移行したかが論じられる。

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