SSブログ

市場の発生と発展──ヒックス『経済史の理論』を読む(2) [商品世界論ノート]

71nPfKaNpDL._AC_UL320_.jpg
 市場はどのようにして発生するのだろうか。王国が存在し、そこに慣習的な農業経済がいとなまれているとする。そこに市場が誕生するとすれば、それはどのような経過をたどるか。ヒックスが想定するのは、そのような原初的な場面である。
 市場発生の前提となるのは、商業の専門化である。もちろん、人類の初期段階から交易は存在し、贈与のやりとりはあった。けれども、それは商業ではない。商人の登場こそが、市場発生のカギになるはずだ。
 そして、商人が商人になるのは、商品を手に入れるからである。だが、商人が山賊や海賊だったわけではない。
 市場が日常化する前には市(いち)があったと考えられる。それは祭の場からはじまり、やがて定期的に開かれる市となる。そこにやってくるのは農民たちだった。
 その農民のなかで豊かな者、あるいは商品(財貨)を多くもつ者が、商人に転化するというのが、商人の発生で考えられるひとつのルートである。そして、すぐに売れなくても、耐久的な商品を安全に保管し、いつでも売れるようにするところから、商店が生まれる。
 やがて、その商品は市にやってくる購買者の要望に合わせて加工されるようになるだろう。そうしているうちに市は発達し、商人の専門化もさらに進むようになる。
市が時間的に連続し、空間的にも広がり、多くの商人が登場するようになると、市場が誕生する。
 これがひとつのルートだ。
 だが、市場の発生には、もうひとつの道筋が考えられる、とヒックスはいう。
 それは王の経済から市場が発生する場合である。
 強大な王は近隣の族長から使節を受け入れ、貢ぎものを受けとる。それによって王は近隣地域との交誼を認め、返礼品として贈りものを渡す。
 そうした交易を実際に担うのは王の廷臣だ。だが、共同体間の対外交易(商品のやりとり)が定着するにつれて、廷臣は独立した商人へと転化する。廷臣が交易の報酬として、ある程度の利益を受けとる(そのためには商品が売られなくてはならない)ようになると、半ば独立した商人が生まれる。
 王の経済は対外交易にとどまらない。王室経済は貢租にもとづき現物で収められる、しかし、王室を支える者は数多くいる。多くの廷臣や軍隊は欠かせない。王室は専門技術をもつ数多くの手工業者や奴隷もかかえている。手工業者は王室だけではなく、次第に市場とのかかわりを深くしていくだろう。
 こうして王の経済のもとでも、対外商業と国内商業が合体して、相互に強めあい、市場化が促進されていくことになる。
 ヒックスはこう書いている。

〈メンフィスやテーベ[いずれもエジプト]、ニネヴェやニルムードやバビロン[いずれもメソポタミア]、長安や洛陽[いずれも中国]などの諸都市は、なによりもまず拡大された宮廷であって、王の従臣、そのまた従臣、さらにそのまた従臣が居住している点を十分考えるべきである。しかしながら、これらの都市に市場があったことについては疑いがない。〉

 こうして、これまでの慣習型経済、指令型経済のなかから、商人的経済が発生し、次第に独自の領域を占めることになる。
 商人経済は指令経済とちがって、上からの絶対命令的な計画にもとづくものではない。あくまでも個人主義的なものだ。だが、商人経済はけっして無秩序なものではなく、組織だっている、とヒックスはいう。
 市場は一種の集会であり、市場が維持されるには一定の秩序が求められる。そのため、政府の保護が必要になってくるだろうとも書いている。
 暴力にたいして財産が保護されなければならないのはいうまでもない。だが、市場において、それ以上にだいじなのは、商人の所有権が確認されることで、それを抜きにしては買い手との商品取引は成り立たない。
 売買契約が成立すると、買い手にたいし商品の所有権の移転が約束される。こうした契約は保護されなければならない。万一、不測の事態が生じた場合にも、それにどう対処するかが双方で合意されているなら、交易は持続し、促進されることになる。
 商人と非商人のあいだならともかく、商人と商人のあいだでは、こうした合意が成立しやすい。しかし、商人間でも商品の取引については、誤解や詐欺がおこらないとも限らない。その場合には紛争が生じるが、契約を保証するためには法的な諸制度が必要になってくる。
 商人経済が定着するには財産の保護と契約の保護がなされなければならない。だが、伝統社会においてはそれは期待できなかった、とヒックスは書いている。
 とはいえ、商人どうしで、ある程度の約束は可能だったし、また、そのために商人どうしが結束することもできた。さらに、第三者の商人によって契約のなかに仲裁条項を含める場合もあったという。
 だが、最終的には国家による法体系の確立が求められた。その点で、市場は国家と無縁に発生したわけではなく、国家による承認や保証とけっして切り離せなかったというのが、ヒックスの見解である。
 国家と市場との関係には紆余曲折があった。たとえばといって、ここでヒックスが例に挙げるのが、中国の明朝初期(15世紀)における海外交易の拡張であり、日本の徳川政権における国内商業の発達である。いずれも国家の保護なしには、その隆盛はありえなかった。
 だが、そうした商業は持続的にみずからを拡大していく成長力をもっていなかった。唯一の例外は、国家の支配者がみずから深く商業、とりわけ対外商業とかかわっている場合だけだ、とヒックスはいう。
 その例外がヨーロッパの「都市国家」だった。
「ヨーロッパ文明が都市国家局面を通過したという事実は、ヨーロッパの歴史とアジアの歴史の相違を解く重要な鍵である」と、ヒックスは論じる。
 ヨーロッパの都市国家をはぐくんだのは地中海である。その代表例が古代ギリシアの都市国家だが、中世イタリアの都市国家とルネサンスがそれを再現することになった。そして、地中海における商業の繁栄は、北海、バルト海沿岸のハンザ都市や、ドイツと低地地方の都市国家(とりわけアムステルダム)の繁栄へとつながっていく。
 ヨーロッパに生まれた典型的な都市国家こそが、商業を発達させる原動力になった、とヒックスはとらえている。

nice!(10)  コメント(0) 

nice! 10

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント