ヒヴァ──ウズベキスタンの旅(6) [旅]
5月12日(日)つづき
幻想の森のように木の柱がそびえ立つジュマ・モスクを出たわれわれはタシュ・ハウル宮殿に向かいます。
かつてヒヴァはヒヴァ・ハン国の首都だったのですから、宮殿があるのはとうぜんなのですが、ここが中央アジアの元王国かと思うと、なにやら感慨がわいてきます。
19世紀の後半、ロシア帝国はヒヴァ・ハン国に加え、ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国を併合し、トルキスタン総督府(首都はタシケント)を樹立しました。
タシュ・ハウル宮殿は19世紀のなかごろ、ヒヴァ・ハン国の王がいた場所で、ここには接見の場と儀式の場、それにハーレムが残されています。
フランスやドイツから、多くの観光客がおとずれていました。ここは接見の場でしょうか。
壁のタイル模様を写真に収めます。
天井も彩色されて美しいです。
真ん中のくぼみが星空につづいているみたいで、おもしろいですね。
壇上では、何か儀式がおこなわれていたのでしょうか。それとも、踊りが踊られていたのでしょうか。いまは靴下屋さんが靴下を並べて売っています。
おや、中庭にユルタ(天幕)がありますね。
この天井もにぎやかです。木の柱を横に並べています。
ハーレムはこのあたりでしょうか。王には4人の正妻がいたようです。
寝室はこんな感じ。わりあいこぢんまりしています。
そろそろ昼食の時間です。レストランの外にあるかまどで、おばさんがナンを焼いてくれています。綿の木を薪にしているそうです。
次に訪れたのはクフナ・アルクと呼ばれる古い宮殿で、17世紀に建てられたものです。いまは歴史博物館になっています。
このなかにもモスクがあります。
博物館では、造幣局の様子や古い壺の展示、それにチンギスハンに抵抗した王(ムハマド王?)の絵も飾られています。ヒヴァではティムールより有名だといいます。首をもつ女兵士の絵はちょっとショッキングでした。
だいぶくたびれてきたので、座り込む人もでてきます。それに、さっきも同じところを見たような錯覚にもおちいってきます。
とつぜん、ガイドさんはアルミニウス・ヴァンベリーの『中央アジア旅行記』を勧めます。あまり聞いたことのない人ですが、19世紀半ばに中央アジアを探検したハンガリー人で、ヒヴァのことも書いているとか。ちょっと気になります。
クフナ・アルクを出たところに、カルタ・ミノルという未完成の巨大ミナレットが立っています。これをつくっていたムハンマド・アミン・ハンが、ペルシアとの戦いで死んだため、1855年に建設が中断され、このかたちになりました。
その隣、ムハンマド・アミン・ハン・メドレセは、同じハンによってつくられた神学校です。いまはホテルになっていて、内部は見学できませんでした。
ガイドさんによると、ソ連時代は一時刑務所として使われていたとか。いつごろまでか、聞きそびれてしまいましたが、たぶんごく最近までででしょう。
少しフリータイムがあったので、ふたりでホテルの横にあるイスラーム・ホジャ・ミナレットにのぼってみました。最初は真っ暗でどうなるかと思ったのですが、だんだん目が慣れてきました。ヒヴァの町が一望できます。
夕方、ヒヴァを出発。郊外にあるクプラ・トザ・ボク宮殿というロシア風の建物で夕飯をいただました。
ウルゲンチ空港に向かい、しばらく待って、タシケント行きの飛行機に乗ります。途中のブハラで下りるから注意するようにとガイドさん。飛行時間は約1時間でした。
深夜、ブハラのホテル(グランド・ブハラ)に到着しました。
幻想の森のように木の柱がそびえ立つジュマ・モスクを出たわれわれはタシュ・ハウル宮殿に向かいます。
かつてヒヴァはヒヴァ・ハン国の首都だったのですから、宮殿があるのはとうぜんなのですが、ここが中央アジアの元王国かと思うと、なにやら感慨がわいてきます。
19世紀の後半、ロシア帝国はヒヴァ・ハン国に加え、ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国を併合し、トルキスタン総督府(首都はタシケント)を樹立しました。
タシュ・ハウル宮殿は19世紀のなかごろ、ヒヴァ・ハン国の王がいた場所で、ここには接見の場と儀式の場、それにハーレムが残されています。
フランスやドイツから、多くの観光客がおとずれていました。ここは接見の場でしょうか。
壁のタイル模様を写真に収めます。
天井も彩色されて美しいです。
真ん中のくぼみが星空につづいているみたいで、おもしろいですね。
壇上では、何か儀式がおこなわれていたのでしょうか。それとも、踊りが踊られていたのでしょうか。いまは靴下屋さんが靴下を並べて売っています。
おや、中庭にユルタ(天幕)がありますね。
この天井もにぎやかです。木の柱を横に並べています。
ハーレムはこのあたりでしょうか。王には4人の正妻がいたようです。
寝室はこんな感じ。わりあいこぢんまりしています。
そろそろ昼食の時間です。レストランの外にあるかまどで、おばさんがナンを焼いてくれています。綿の木を薪にしているそうです。
次に訪れたのはクフナ・アルクと呼ばれる古い宮殿で、17世紀に建てられたものです。いまは歴史博物館になっています。
このなかにもモスクがあります。
博物館では、造幣局の様子や古い壺の展示、それにチンギスハンに抵抗した王(ムハマド王?)の絵も飾られています。ヒヴァではティムールより有名だといいます。首をもつ女兵士の絵はちょっとショッキングでした。
だいぶくたびれてきたので、座り込む人もでてきます。それに、さっきも同じところを見たような錯覚にもおちいってきます。
とつぜん、ガイドさんはアルミニウス・ヴァンベリーの『中央アジア旅行記』を勧めます。あまり聞いたことのない人ですが、19世紀半ばに中央アジアを探検したハンガリー人で、ヒヴァのことも書いているとか。ちょっと気になります。
クフナ・アルクを出たところに、カルタ・ミノルという未完成の巨大ミナレットが立っています。これをつくっていたムハンマド・アミン・ハンが、ペルシアとの戦いで死んだため、1855年に建設が中断され、このかたちになりました。
その隣、ムハンマド・アミン・ハン・メドレセは、同じハンによってつくられた神学校です。いまはホテルになっていて、内部は見学できませんでした。
ガイドさんによると、ソ連時代は一時刑務所として使われていたとか。いつごろまでか、聞きそびれてしまいましたが、たぶんごく最近までででしょう。
少しフリータイムがあったので、ふたりでホテルの横にあるイスラーム・ホジャ・ミナレットにのぼってみました。最初は真っ暗でどうなるかと思ったのですが、だんだん目が慣れてきました。ヒヴァの町が一望できます。
夕方、ヒヴァを出発。郊外にあるクプラ・トザ・ボク宮殿というロシア風の建物で夕飯をいただました。
ウルゲンチ空港に向かい、しばらく待って、タシケント行きの飛行機に乗ります。途中のブハラで下りるから注意するようにとガイドさん。飛行時間は約1時間でした。
深夜、ブハラのホテル(グランド・ブハラ)に到着しました。