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金子直史『生きることばへ』を読みながら(1) [人]

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 2018年9月13日、共同通信文化部の金子直史さんが大腸がんのため亡くなった。享年58歳。その遺稿集が2019年8月に出版された本書である。
 個人的な思い出をいくつか。
 金子さんとはじめて会ったのは、2002年8月28日。当時、文化部長の立花珠樹さんもいっしょだった。ぼくは、あのころ子会社のKK(株式会社共同通信社)図書編集部にいて、田口ランディさんの新企画をめぐって文化部から相談を受けたのだった。同じ部の但木幸子さんにつきあってもらったことを覚えている。そのときの金子さんは元気そのもので、どこか無頼派の雰囲気さえただよわせていた。
 2008年3月には、辺見庸氏の連載「水の透視画法」の出稿作業を、立花さんとともにぼくが金子さんから引き継ぐことになった。この作業はぼくの定年後もつづき、その後、KKからの単行本化へとつながっていく。
 最後に金子さんと会ったのは2014年5月28日に日本プレスセンターで開かれた講談社の鷲尾賢也さんを偲ぶ会でのことだ。「やあ、どうも」といった軽いあいさつしか交わさなかったが、そのとき彼の顔が赤黒くなっているのが気になった。思えば、これが彼を最後に見かけたときだ。もっと話をしておけばよかったと悔やまれる。
 年譜をみれば、2013年1月29日に、金子さんは渋谷の日赤医療センターで大腸がんの手術を受けている。だから、その1年数カ月後に会ったとき、彼は引きつづき、抗がん剤治療を受けていたのかもしれない。そのことに気づかないぼくは、相変わらずの脳天気ぶりだった。
 2016年6月の検査で、大腸がんの再発がわかり、10月6日に渋谷の日赤で12時間におよぶ手術。
 年末にはがんが肺に転移していることがわかり、翌2017年1月6日の執刀医診断で、余命宣告を受けた。「まあ、何もしなかったら1年。処置をして2年?……3年かな??」
 いきなりの宣告である。
 そのときの日記には「『これはなんだ? いったいなんだ? 悪夢か?』と思った」と記されている。
 それから1年8カ月、金子さんはがんばる。原稿を書きつづけた。
 いま、その遺されたことばと、ぼくは向き合っている。

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