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早稲田での憲法講義(2)──美濃部達吉遠望(25) [美濃部達吉遠望]

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 早稲田大学法律科での美濃部達吉による帝国憲法講義がつづいている。
 国家の作用は、具体的には立法、司法、行政のかたちをとり、それを裏づけるのが予算であることはいうまでもない。憲法講義ではそれらのことも詳しく論じられている。
 立法、司法、行政が、それぞれ議会、裁判所、政府という国家機関を構成するとすれば、立憲君主制のもと国家の外に存在するわけではない天皇もまたとうぜん国家機関として位置づけられることになる。
 達吉がとりわけ力を入れて講じたのは、国民とは何かということであり、さらには天皇と内閣、議会という三つの国家機関の関係についてだった。
 国民について、達吉はいう。国民とは国家に属するすべての人民のことである。したがって、いわゆる臣民だけではなく君主も国民であり、領土内に滞在する外国人も国民と言わなければならない。
 国民は国家の統治権に参与する権利を有する点において公民であり、いっぽう国家の統治権に服する義務をもつ点で臣民であるという二重性をもっている、と達吉は論じている。
外国人は領土内に滞在を認められるあいだは、統治権に服従するかぎりにおいて国民と同じ扱いを受け、原則として国民と同じ権利を有するが、兵役義務は除外されるものの、参政権を享有することはできない。
 ここで注目すべきは、達吉が国民が国家にたいして義務を有しているだけではなく権利、すなわち公権を有していることを強調している点である。近代においては、国民は国家の奴隷として国家に服従するのではなく、一個の侵されざる人格として国家に対している。また国家も公法で定められる以上に国民にたいして統治権をふるうことはできない。
 国民は自由意志の主体としての権利を有している。権利とは自己の利益を主張する意志の力のことだが、その権利は法がそれを認めることによって生じる。こうした権利は歴史的に徐々に形成されてきたものである。
 国民の権利には公権と私権がある。公権は法によってはじめて付与されるものであり、私権は婚姻や売買などにしても、慣習のなかから形成されてきたものが多い。もっとも、私権とてけっして法とは無関係とはいえない。一般に公法に属するものが公権であり、私法に属するものが私権といえるだろう。
 公権は公益にかかわっている。公権は(1)参政権(2)国家の行為を要求する権利(3)自由権の3つに大別される、と達吉はいう。
 国家の機関が国民に義務を課することができるためには、国民の参政権によって、その国家機関たることが承認されなければならない。君主が皇位につき、議員が議員の地位につき、官吏がその立場にふさわしい行動をとることができるのも、大きくみれば国民の承認があるからである。
 国家の行為は国民の利益のためにおこなうものである。ただし、それは直接に個人のためではなく、公共の利益のためにおこなわれる。そして、国民は国家に公共の利益をはかるよう求める権利をもっている。
 さらに、国民は自由権をもっている。自由権とは個人が法律によって定められた制限以外は、国家によって自己の自由を侵害されない権利をいう。たとえば集会結社の自由とは、法律で定められた制限以外は国家によって集会結社を妨げられないことを意味する。
 達吉は皇室の地位が特別であり、それが皇室典範によって定められていることを強調する。そのうえで、国家の機関としての天皇とその輔弼機関について述べる。
 君主である天皇は国家の最高機関であり、対外的な統治権発動の源泉である。こうした最高機関がなければ国家は成立しえない。しかし、天皇は国家の最高機関であっても統治権の主体ではない、と達吉はいう。
 天皇が国家の機関だなどというと、何となく君主の尊厳を害するように思うかもしれないが、天皇が国家の機関であるのは、国家が永続的かつ統一的な団体であることから生じるもので、皇室の尊厳とは何ら関係がない。
 しかも、君主はひとりの人格、言い換えれば一身上の権利として統治権を有するわけではない。国家の委任を受けて、統治権を行使するわけでもないというのだ。
 憲法の明文にもとづき、いまでも君主は統治権の主体だと主張する者が多い。だが、それは学理的には支持しがたい、と達吉はいう。
 立憲君主国においては、君主の統治権はさまざまなかたちで制限されている。君主の国務上の行為は大臣の副署を必要とするという規定もそのひとつだ。裁判権も独立の地位を有している。立法権もそうだ。法律は議会の議決をへなくては成立しえない。その意味で、統治権のすべてが君主に帰属しているわけではないのである。
 だが、このことは、君主が統治権の全体を総攬する妨げにはならない、と達吉はいう。なぜなら国務大臣も裁判所も議会も、君主からその権限を与えられているからである。
 天皇は実際には統治権の全部を総攬(そうらん)しているわけではないけれども、統治三権の活動を承認するという意味において、最高機関としての性格をもつというのが達吉の考え方だといってよい。法律が議会での議決をへたのち、天皇が裁可することによって、はじめて施行されるのも、そのためだ。
 君主は自己の権利をおこなうものではない。国家の機関として天皇がおこなうところは君主の権利ではなく、国家の権利である、と達吉はいう。それであるがゆえに、天皇は不可侵権、すなわち神聖にして侵すべからずという原則によって守られ、一身上の尊厳を維持するための栄誉権と財産権を有しているのだという。
 わが国の君主の大権はイギリスよりずっと大きい、と達吉は論じている。それは帝国憲法がプロイセン憲法を模範としたためでもあるが、その大権はプロイセン憲法よりも大きい、と達吉は説明している。
 国家の機関として次に重要なのが国務大臣である。国務大臣は君主の国務上の行為を輔弼し、その責に任ずる機関であるという。ここで、明治体制が現在のような議員内閣制を採用していないことはいうまでもないだろう。
 達吉によれば、独裁君主国においては、国務大臣の役割はあくまでも君主の輔弼にとどまる。しかし、立憲君主国においては、君主は国務大臣の輔弼なくしては、例外を除いてすべての国務行為をおこなうことができない。ここで、その例外のなかに軍事上の命令が含まれていることが、その後の軍部の暴走を招くことを、後世のわれわれとしてはコメントしておきたいところである。
 それはともかくとして、立憲国であるわが国においては、総理大臣を筆頭として、国務大臣は無任所の者を除いて、各省(外務、内務、大蔵、司法、陸軍、海軍、農商務、文部、逓信)の大臣を担任する。国務大臣は君主の行為を輔弼するために、みずからの職責をはたすものとされている。
 さらに、達吉が国家の機関として重要なのが議会だと指摘するのはとうぜんだろう。
 近代においては、君主と議会は統一的団体である国家の機関として存在する。そして、その議会は中世とは異なり、全国民を代表するものとして、選挙によって選出されるものとなったという。
 口語に直すと、議会について、達吉はこんなふうに述べている。

〈立憲国においては、議会の組織によって、国民の全体がひとつの国家機関としての地位を得るようになった。とはいえ、この国家機関はみずからその権限を行使することができない。議会を通してのみ、これを行使することができる。議会は国民の代表機関として、国民の名において、その権限を行使するのである。議会の決議は、法律上の意義において国民の意志なのである。〉

 議会は国民の代表機関として、その議決を通して国民の意志を表明するというのが、達吉の見方である。
 さらに、議会は憲法によって直接定められた国家の機関であり、君主によって授けられたものではなく、君主の命令に服するものではない、とも明言している。それは君主と同じく国家の直接機関なのである。
「君主と議会という二つの直接機関が並び存することは、立憲国が専制国と区別されるゆえんである」
 とはいえ、議会は君主と平等の地位を有するものではない。議会の権限はもっぱら立法権にとどまる。国内における国家意志の作成に参与し、行政を監督するにとどまり、直接国民に対してはいささかも統治権を発動することができない。
 議会について達吉は、ほかに二院制の理由、選挙権の要件、その他さまざまな問題をことこまかに論じている。現行選挙法の欠点についてもふれている。
 議会の主要な任務は、法案の制定に参与し、政府の重要な行為(とりわけ予算)に同意し、行政の監督をなすことである。そのことを強調しながら、達吉は議会の発展に期待したのだといってよい。
 帝国憲法のもと、国家機関としての天皇と内閣、議会がそれぞれ適切な役割を果たしつつ、近代国家として日本が成長していく姿を達吉は期待していた。だが、支配層のなかでは、絶対天皇の名のもとでみずからの政策を押し通そうとする者がいまだに多かった。かれらは天皇が国家機関だとすれば、その国家機関がいつか失われる可能性があることを恐れていたのである。


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