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行財政整理座談会──美濃部達吉遠望(61) [美濃部達吉遠望]

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 1931年(昭和6年)5月15日の午後、美濃部達吉は東京朝日新聞の企画した「行財政整理座談会」に出席するため、帝国ホテルにはいった。
 この日の出席者は達吉を含め、井上準之助(蔵相)、田中隆三(文相)、久原房之助(政友会幹事長)、山本条太郎(政友会政調会長)、山道襄一(民政党幹事長)、武藤山治(衆院議員、元鐘紡社長)、藤原銀次郎(貴族院議員、王子製紙社長)、上田貞次郎(東京商大教授)など16人だった。
 5時間におよぶ活発な議論が交わされ、達吉も持論の陸海軍大臣文官制などを主張したが、話はまとまらず、日をあらため、6月2日に第2回目の座談会を開くことになった。このときも、達吉は出席し、随所で発言している。
 東京朝日新聞は5月16日から6月14日にかけ、座談会の内容を紙面に連載した。のちに『打開の道を討して』と題し、「朝日民衆講座」シリーズの1冊として単行本としても刊行されている。
 この座談会では、さまざまな行財政改革案が出された。行政面では省庁の統合、事務の簡素化、民間への委託などが提起され、財政面では恩給法の改正、補助金や機密費の縮小、官吏の減員減俸、官業の整理、特別会計の改善、公債問題、郵便貯金の運用改善などが話しあわれた。さらに討議は軍制の改革や軍事費の整理、国防計画にまでおよんだため、出席しなかった陸軍内部からは強い反発が巻き起こった。
 この座談会が開かれた背景には、1929年の世界恐慌以来の不景気を受けて税収が落ちこみ、民政党の若槻内閣が苦しい予算編成を強いられていたことがある。緊縮財政のもと、行財政の整理が求められていた。
 第二次若槻内閣は経済重視の内閣だった。金本位制(金解禁)のもと固定通貨レートを維持しながら、世界恐慌後の不況に対応するというむずかしい舵取りを迫られていた。
 経済界ではいわゆる昭和恐慌のもと、カルテルが結ばれ、産業の合理化が進められていたが、政府も同様に官吏の減俸を実施し、さらに陸軍の整理に踏みこもうとしているところだった。不況が深刻化するなか、農村は疲弊し、都市では失業が増えていた。
 この座談会で、達吉は忌憚のない意見を述べているが、ここではそのひとつを挙げておこう。長い引用になるけれども、かれの話しぶりが伝わってくる。

〈私は何ら経験もありませぬし深い考えもないですが、まず根本において決しなければならぬ問題は、私は政府のやるべき仕事の範囲、これを現在より縮小すべきかどうかということがまず第一の問題じゃないかと思うのであります。もし政府の今までやっておる仕事が政府のなすべき正当なる任務であるといたしますならば、たいした整理は行われないのでありますが、私はいま政府のやっておることは余計なことをしておる。政府のなすべからざることにまで手をだしておることがかなり多くはなかろうか、すなわち政府の任務をむしろ縮小するということに方針をとることが国民の福利の方面からいっても適当ではなかろうかと思っておるのであります。
 もっとも産業方面にいたりますと、だんだん政治と経済との関係が密接になり、ことに自由放任主義ということが今日はとうていとりえない状態になっておるのでありまして、経済方面の仕事については政府の仕事が今後ますます増える傾きがありますが、たとえば自治団体[地方公共団体]にたいする監督であるとか、あるいは教育行政のことであるとかいうような問題になりますと、むしろ政府は下の者の自由にまかせる、政府はあまり干渉を加えない、したがって内務省の現在の仕事、文部省の現在の仕事というものはかなり縮小する余地はなかろうかと思うのであります。
 したがって文部省は私は廃止せらるべきものではなかろうかと思っておる。内務省の一局とするのが適当であろう。またその後、事務の縮小のともない局課の廃合がありましょうが、そういうことは比較的小さい問題になるのでありますが、そこでこの自治体などを自由にまかしておくということに致しますると、いよいよ腐敗する、自治団体の種類によっては非常なる腐敗を来すことはないとも限らんのであります。しかし政府が監督しておったからといって、それを矯正するということはむずかしい。政府の力をもってしてはだんだんできなくなる。むしろ腐敗するものなら腐敗させて他日自覚するときまで構わずほうっておく。人民が自覚するまで自治団体のなすようにまかしておくくらいの覚悟をもってやるが至当ではなかろうか。〉

 達吉は「小さい政府」を唱えているといってもよい。省庁を統合し、文部省などは内務省の内局にしてしまえばよいという。さらに地方のことは政府が干渉せず自治体にまかせるべきだと主張した。
 いったん話しはじめると、堰を切ったようにとまらなくなる。達吉はさらにことばを継いで、とうとうと弁じる。

〈また同時に産業政策であるとか、教育行政、あるいはいろいろの施政が政党政治で内閣が変わるたびに方針が変化するということでは誠に困るのであります。政府の自由になしうる権力というものは現在よりはるかに縮小して、たとえば水力電気の許可を与えるというような権力も政府の自由にできないようにする。それには何か永久的な合議機関、何か裁判所のような──裁判所ではありませんが、そのような機関を設けて、許可とか認可というようなものについて企業者から出願するとそれに対して利害関係者から反対意見を述べることを得せしめる。裁判所みたいな公平な特殊の機関を設けてそれに許可とか認可とかやらせる。政府のなすべき仕事は、現在よりもはるかに縮小して、五人くらいの合議体で内閣を組織するというような方針にするのがよくはないかと思うのであります。しかしこれは私の空想でありまして実際のことは知らないのでありますからすぐ実行しうる策ではないかも知れません。井上さんにいわせれば不可能とおっしゃる(笑い声)かもしれませんが……〉

 達吉が求めるのは、行政機能の継続性と、役所組織の簡素化、さらには役所本体から分離した許認可機関の設立、さらには小回りのきく政府といったところだろうか。
 ここで達吉から水を向けられた蔵相の井上準之助は、和気藹々とした雰囲気のなかで、こう答えている。

〈私は美濃部君の説にはだいたい賛成です。政府があまり余計なことに手をだして干渉しすぎた弊害が、日本の政府のやり方にはかなり認められるだろうと思うのであります。美濃部君のように極端なことはすぐに行われようとは思いませんが、自分の頭からいえば美濃部さんの説に賛成しております。イギリス流のごく簡単な政治がよい政治と思う。文部大臣がここにおられるので文部省を内務省の一局とするようなことがよいか悪いか述べられませんけれども(笑い声)……美濃部さんのおっしゃることは参考になることが多いと私は思います。〉

 井上には金本位制(金解禁)を堅持するという信念がある。日本は第一次世界大戦中に離脱した金本位制に昨年ようやく復帰したばかりだった。欧米のスタンダードである金本位制を維持してこそ、日本は世界の先進国だという誇りがある。そのためには、多少のがまんも必要だと考えていた。いまはしんぼうの時期だ。
 だが、こうした緊縮政策に批判的な意見がなかったわけではない。鐘紡の元社長で、いまは衆議院議員として国民同志会を率いる武藤山治は、座談会の冒頭、こう発言していた。

〈行財政の整理の必要なことは私が申し述べるまでもありませぬが、今日は国民経済が非常に悲境に陥っている、不景気の極度に達している、この場合において、政府がはたして徹底的に行政財政の整理をするということの、経済界に及ぼしきたる影響はどうであろうか。もし今日政府が徹底的にこのうえ行政財政の整理を行えば、現在の経済界に向かって購買力の減少となり、消費のいっそう減退となって不景気をいやがうえにも促進する結果をおこすと私は思います。〉

 政府のとっている緊縮政策が、金本位制と恐慌のダブルパンチのなか、よけいに不景気を長引かせるだけではないかと批判したのである。
 これにたいし、蔵相の井上は、これから政府の実施しようとしている官吏の減俸策が、国民精神にいい意味での節約意識をもたらすにちがいないと論じている。

〈歳入が減ったならばそれに応じて歳出を減らす。歳出を減らすならば行政組織も変えてみよう。すなわち行政組織をただ今いうごとく簡捷(かんしょう)を計ろう、無駄なことをやめよう。こういうことを考えておる。これは私やむをえませぬと思います。……それは俸給を減らしたように何割というようにはわかりませんが、とにかく私は時代相当に国民が節約せんければならぬというので緊張するということが、実際収入の減るよりも世の中に至大の影響を与えると思う。……むしろ収入が実際減るということと人間が緊張するということは同じであって、非常にいいことじゃないかと思っている。〉

 武藤が「それは間違っていると思います」と反論するのはとうぜんだった。官吏の減俸は経済の各方面に影響をもたらす。さらに現在の物価下落が、多くの企業倒産を招き、景気に悪影響をもたらすと指摘している。
 この座談会に登場しない陸軍が、官吏の減俸につづくと思われる軍制の整理を苦々しく思っていたことはまちがいない。
 実際、大正期以来の軍縮によって、陸軍では21個師団のうち4個師団が廃止され、将校約1200人を含め、9万6400人の軍人が解雇されていた。軍の内部では、政府によってこれ以上軍備縮小が進められるならば、満蒙問題が緊迫化するなか、国家は重大な危機に面するという思いがつのっていた。
 そして、9月18日、ついに満洲事変が勃発する。

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