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民俗学とモダニズム [柳田国男の昭和]

《連載15》
 昭和初期のファシズムとマルクス主義、フォークロア(民俗学)運動、農本主義を同じ範疇でくくるとすれば、それは「モダニズム」になるという気がする。
 突拍子もないこじつけかもしれない。しかし、そういってみたい気分がどこかに潜んでいる。
 モダニズムは近代化とは意味が異なる。近代化が古い時代からの全般的離脱を指すのに対して、モダニズムは近代にひねりをくわえた文化現象をいう。ヨーロッパの世紀末芸術がその典型である。
 強い不安感や懐疑をともなうのが特徴だった。
 イギリスの歴史家ノーマン・デイヴィスは、モダニズムは芸術分野(美術、建築、工芸品、文学など)にとどまらなかったといい、「特にフロイト派の心理学、アインシュタインの相対性理論、フレイザーの人類学、さらには無政府主義理論にまで」、その影響力がおよんでいると指摘する。
 これにニーチェの哲学やドストエフスキーの作品、ストラヴィンスキーの音楽を加えれば、さらに昭和初期のモダンのイメージがわいてくるだろう。

 日本において、近代化は常に外来文化の取り入れというかたちをとり、それが明治期には文明開化、大正期から昭和期にかけてはモダニズムの流れを招き寄せていた。
 ファシズムは国家の全機関、全国民を軍事体制下に統合しようとした最後のモダニズムだったといえなくもない。プロレタリア独裁政権の樹立をめざすマルクス主義に対抗して登場した。
 これに対し農本主義は、都市の発展を抑えて、農村中心社会をつくろうとする。それは日本独特の運動のようにみえて、アナーキズムという流行思想と強い連関性をもっていた。
 だとすれば、柳田民俗学とは何だったのか。
 表面だけみれば、それは日本民族の一体性を確認する運動にちがいなかった。
 日本人は多様なようにみえて実は同一の文化──言語や伝説を含めて──を保有している。そのことを確認したいと願う切迫感からみると、民俗学もまた、個が不安にさらされる近代の産物だったことは間違いない。そして、その手法は意外にもフレイザーをはじめとする西欧の先端的な学問(フォークロアやエスノロジー)の影響を受けている。

 いまとなっては、上に挙げたいずれの思想や運動も、古さびた姿を歴史のかなたにさらしているようにみえる。しかし、昭和初期においては、その思想はどれもモダンだった。
 ただしフォークロア運動がほかの三者と決定的にちがっていたのは、いちばん怪しげで、無用にみえて、それだけが非政治的で実証的な立場──鶴見俊輔に言わせればプラグマティズム──を保っていたことだ。そして、その無用性は、近代の渦に日々巻き込まれて悪戦苦闘している人びとに、もうひとつの思考回路を開く可能性を示そうとしていたのである。

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]


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