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「ドルメン」再刊に寄せて [柳田国男の昭和]

《連載56》
 時代の波が周辺の人びとをいやおうなく巻き込んでいくなかで、国男は頑固なくらい自分のペースを守りつづけた。
 東京・丸の内ビルで開かれている「日本民俗学講座」では酒の問題、餅の問題、伝説の社会性、民間年中行事といったテーマで、たゆまず話しつづけ、自宅でもほぼ隔週、木曜会を開いて、同人からの報告を聞き、問題の所在を指摘していた。東京女子高等師範、国学院大学、宇都宮農林学校、津田英語塾、東京外国語学校などでも生徒を前に話をし、日本言語学会や方言研究会などの学会にも顔を出して報告をしている。中西悟堂の主催する「野鳥の会」の探鳥会にはよく出かけ、秋口からは毎週水曜日に長い散歩をする習慣を課するようになった。
 さまざまな雑誌に、実に広範なテーマの文章を書きつづっていたことも変わらない。果てしなく連想が広がっていって、最後に環の口が閉まるように、突然の区切りがくる独特のスタイルは、もはやおなじみとなっていた。

 国男とつきあいが深く、そのわがままに振り回されてしばしば煮え湯をのまされた、岡書院の岡茂雄が久々に成城の柳田邸を訪れたのは、この年の春先のことである。岡はかつて「ドルメン」という人類学・考古学・民俗学の学際的な研究誌を発行していた。このときは国男に声をかけることはなかった。以前「人類学・民族学講座」という大きなシリーズを企画している途中ではしごをはずされ、ひどい目にあったのを忘れられなかったからである。
 雑誌「ドルメン」は1932年(昭和7)から35年(昭和10)まで4巻8号(つまり4年間で8冊)発行されたが、岡がしばらく出版の世界から離れたために中断を余儀なくされていた。
 しかし、その復刊を望む声は大きく、岡は出版の仕事に復帰することを決意し、復刊についての意見を拝聴するために、おそるおそる柳田邸を訪れたのである。
 こう回想している。

〈そんなわけだから、お訪ねしても玄関払いを食うか、そっぽを向かれるかもしれない。それも仕方があるまいと覚悟をして、春の日差しを浴びながら、久しぶりにお訪ねしたのであったが、予期に反し、たいへんご機嫌で迎えてくださり、少々薄気味悪いほどであった。……とりとめのない雑談のあと、「ドルメン」再刊についての話を持ち出した。苦い顔を予想したのであったが、意外にも明るく「それはいい、ぜひやるがいい」といわれた。「それでは先生も書いてくださいますか」とすかさずうかがうと、「何か書こう」といわれた。ここぞと思って「『ドルメン』再刊についていうようなものを、短くていいから、まず書いてください」と、たたみかけるようにいうと即座に「書こう」ということで、全く予期しなかったことに結果した〉



『定本 柳田国男集』第31巻には、めずらしく国男の書いたとされる雑誌の宣伝文が収録されている。
 その一部を引用しておく。

〈時まさに曠古(こうこ)非常の時局、長期にわたる高度にして健全なる精神の緊張を要するの時にあたり、心の小憩を本誌の炉辺に求め、さらに精神の高度飛躍を用意し、忠烈な戦線将士の銃後に相ふさわしい、弾力のある国民生活を、諸彦(しょげん)と共に営みたいと思うのであります。ねがわくはご賛祐をたまわらんことを〉

 軍人風の口調が気になるが、日中戦争のさなかに時局とかけ離れた民族学関係の雑誌を出版する意気込みが伝わってくる。
 ぼくなども、最初この一文を読んだときに、国男もまた当時の情勢下でただならぬ緊張を強いられていたのだという感慨にふけったものだ。それにしても、この一文はまるで読者に対する書肆(しょし)からの呼びかけみたいで、国男にしては妙な宣伝文だという印象をいだいた。
 すると案の定、1974年(昭和49)に平凡社から刊行された『本屋風情』のなかで、岡自身が「どうしたことであろう。そこに収められているものは私の広告文らしいものなのである。驚きもしたが、がっかりしてしまった」と告白しているのを見つけた。
 その後、岡は戦災で焼けてしまった「ドルメン」再刊1号が和歌山県田辺市の南方熊楠邸に残されているのを偶然発見し、国男の書いた推薦文と再会することができたのである。
 それは次のようなものだ。

〈都の花はあかいという諺(ことわざ)がある。紅いか紫なのか、この雑誌が出なくなってから、都を覗(のぞ)くことが私たちには容易でなくなった。新たな問題を速やかに、またなるだけ簡明に報道して、いつもひと通りは学問がどこまで進んでいるかを、せめては関心をもつ人だけにも知らせるような、機関がほしいと思っていた。今でも惜しまれているこの雑誌の編輯(へんしゅう)ぶりが復活して、どこの垣根にも美しい花が栽(う)えられ、逍遙者は思わず立ち止まり、または垣越しにしばらく話をしていくような、のんびりした境地の再現せんことを切望する〉

 なるほど、これならば国男らしい一文である。2003年に発行された『柳田国男全集』第30巻には、まちがいなくこれが収録されている。

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]
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