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『カムイ外伝』を見た [映画]

 来年初夏に出版する本の編集作業にはいったので、ちょこっと忙しくなりました。少し気が早いかもしれませんが、あわてて整理すると、時間に追われて思わぬまちがいがでてくるかもしれないので、慎重に構えるに越したことはないでしょう。ともかく、定年後も何かとお声がかかって、多少なりともお役に立てるのは、ありがたいことです。
 庭のキンモクセイが甘く香りはじめました。サルスベリはまだピンクの花をつけています。いつもはサルスベリが終わってから、キンモクセイが金の粒のような花を咲かせたような気がするのですが、ふたつ同時に花が咲いているというのは、やはりことしの猛暑の余韻が残っているためでしょうか。しかし、それは思いすごしなのかもしれません。
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 このあいだ駅前のときわ書房でDVDを借りて、崔洋一監督、松山ケンジ主演の『カムイ外伝』を見ました。あの長大な『カムイ伝』(白土三平原作)を読みとおしたことはないのですが、それでも学生時代、友だちの下宿に行って、部屋の隅に積み重なっている雑誌「ガロ」に連載されているものをときどき眺めた思い出があります。
 それで今度の映画ということになるのですが、結論をいうと、おもしろくなかった。若いころは、『夕陽のガンマン』や『唐獅子牡丹』『総長賭博』『仁義なき戦い』などを見て、はらはらしたのに、どうもこの映画はのれなかったし、何の余韻も残りませんでした。自分がすっかり年をとって、みずみずしい感性を失ってしまったのかもしれないと思いました。
 映画はほぼ原作に忠実なようです。役者さんはそれぞれがんばっています。カムイ役の松山ケンイチはからだをはっているし、漁師の女房となった元忍者スガル役の小雪も悪くないし、その娘役の大後寿々花もかわいいし、狂気の殿様を演じる佐藤浩市も、奥方の土屋アンナも、カムイを狙う側の伊藤英明もなかなかの好演(怪演)です。特殊効果もちょっと稚拙なところはあるにせよ、なかなか決まっています。
 それでもおもしろくないのは、どうしてなんだろうと考えてしまいました。そもそも劇画というのは、大げさに描かれているので、それを実写にするのはむずかしいし、かえって滑稽になる部分もでてくるのかもしれません。原作にはちょっとエロティックな箇所もあるのに、映画ではそれはほとんど省かれています。青少年が見ることを意識したのでしょうが、それにしては残虐な場面が多いことも気になりました。
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 映画に主人公が設定されるのは、おそらく観客が主人公に自分を投影するためで、逆に自分を敵役に擬する人はあまりいないでしょう。すると、おもしろくないというのは、劇画流のストーリーの無理な展開もさることながら、たとえば主人公のカムイに自分をうまく投影できないことが大きな原因かもしれないと思うようになりました。いまテレビでも時代劇がだんだん敬遠されているのは、制作面のコストに加えて、そういう側面もあるのではないでしょうか(しかし韓流ドラマの「イ・サン」がおもしろいのは、次々と難題が押し寄せる脚本の勝利ともいえるのですが)。
 カムイは自由を求めて抜け忍になったといいます。そのために元の忍者集団から執拗に命をねらわれます。『カムイ外伝』は、各地を放浪するカムイを追忍が時に謀略をしかけながら、執拗に襲撃し、それをカムイがさまざまな術を考案しつつ、みごと撃退するという話です。日本の豊かな自然や、カムイと各地の人々との交流が、もうひとつの柱になっていることはいうまでもありません。
 問題は「自由」というけれども、カムイが何をめざしているかがよくわからないことです。ただ追いかけられるので殺す、しかしゴールは見えないというのでは、カムイはいったい何をしようとしているのか、さっぱりわかりません。そもそも忍者とは何なのか、カムイはなぜ忍者集団を抜けたのか、そして追忍たちはなぜ執拗にカムイの抹殺をはかろうとするのか、そこのところも映画ではよく伝わってきませんでした(カムイは徳川家の出自にまつわる秘密をつかんでしまったはずなのですが)。
 おそらくカムイは江戸時代(いや現在の日本自体)のあり方を否定しつづける存在(アガンベン流の言い方をすればホモ・サケル)として仮構されているはずなのに、映画では(ひょっとしたら原作でも)そのかっこよさがどこか空まわりして、ただのかっこつけの忍者=おもしろくないゲームの主人公になりかかっていることが問題です。松山ケンイチは「デスノート」シリーズを見てもいい役者なのに、わけのわからない「カムイ」を割り当てられたのは、ちょっと気の毒でした。
 未完結の『カムイ伝』全巻を凝縮したうえで、現代に怒りを覚える若者の気持ちを代弁するような作品をつくるわけではなく、『カムイ外伝』の「スガルの島」というわりあい安直な劇画にべったり寄り添ってしまったことが、この映画をつまらなくした原因ではないか、と思った次第です。
 それに加えて、物語にリアルな脈絡がないこと。殿様と奥方は理不尽な悪そのものだし、村人は絶対的な善で(一人の例外は裏切り者として殺されます)、最後に村人全員が殺害されるというのもへんです(原作では村人は全員殺されるわけではありません)。映画では、カムイは村人を殺した忍者の頭目と戦って、かれを倒しますが、それでさっさと村を去ってしまい、いちばん悪い城主と戦わないのも中途半端です。要するに何もかも劇画的で、ほんとうの劇になっていないといえるでしょう。
 細かく書くときりがないので、このへんでやめておきますが、図式とか様式に終わるのではなくて、人間や世の中の構造が描けないと、おカネと時間をかけても、せっかくの大作がムダになってしまうという典型的な作品です。もっとも、要は話題づくりをして、もうかればいいのかもしれませんが……。

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師子乃

初めまして。

確かに、なんとなく面白くなりきれてない感はありました。

なるほどと思いました。
by 師子乃 (2020-05-01 13:17) 

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