秋の京都大原ぶらり旅 [旅]
1週間ほど関西に行った帰りに、京都大原を訪れました。ぼくは大原ははじめて。つれあいは、うん十年前の学生時代にきたことがあるそうです。この日は、くもりがちの寒い一日。京都駅からバスに乗って、1時間ほどかけてやってきました。
11月20日のきのう、全体として紅葉は色づきはじめたというところ。
コスモス畑の向こうに、のどかな里の光景が広がっていました。
大原といえば、やはり三千院。最澄が開いたとされる小ぢんまりしたお寺ですが、なかは広く、庭がみごとです。
宸殿から眺める往生極楽院。源信が建立したそうです。
極楽院の内部には阿弥陀三尊像(写真はパンフレットから)が安置されており、その前でお坊さんがユーモアたっぷりの説教をしてくれました。なになにすべきだ、あれをしなくてはいけないという気持ちを捨てて、いまを生きることがだいじという、けっこうな法話です。
これは朱雀門の前あたりでしょうか。庭を歩いていると、ぼくのような偏屈でも、心が穏やかになってきます。
京都の町なかからはずれ、郊外まで足を伸ばしてよかったと思いました。
三千院から歩いて10分ほど。ゆるやかな山道を登って、音無の滝までやってきました。音無というのは、お坊さんがここで滝の音が聞こえなくなるほど熱心に修行をしたことにちなむそうです。
いったんバス停の近くまで下り、こんどは寂光院に向かいます。歩くと20分ほどの、いい運動です。
寂光院は平清盛の娘で、壇ノ浦で入水する安徳天皇の母にあたる建礼門院徳子が晩年をすごしたお寺です。10年ほど前、火事があって、現在の本堂はその後、再建されたもの。本堂には復元された六万体地蔵菩薩が立っておられます。できたての新しい像です。
「諸行無常の鐘」なるものもカメラに収めます。建礼門院の陵にもお参りしてきました。
帰途、暮色に染まるなごやかな山里を歩きながら、「きょうも、おなかをこわしてしまった」というと、「なんの因果でここを歩いているんだろうね」ときついひと言が返ってきます。諸行無常。せっかくのロマンチックな雰囲気をこわしてしまって、すみません。
11月20日のきのう、全体として紅葉は色づきはじめたというところ。
コスモス畑の向こうに、のどかな里の光景が広がっていました。
大原といえば、やはり三千院。最澄が開いたとされる小ぢんまりしたお寺ですが、なかは広く、庭がみごとです。
宸殿から眺める往生極楽院。源信が建立したそうです。
極楽院の内部には阿弥陀三尊像(写真はパンフレットから)が安置されており、その前でお坊さんがユーモアたっぷりの説教をしてくれました。なになにすべきだ、あれをしなくてはいけないという気持ちを捨てて、いまを生きることがだいじという、けっこうな法話です。
これは朱雀門の前あたりでしょうか。庭を歩いていると、ぼくのような偏屈でも、心が穏やかになってきます。
京都の町なかからはずれ、郊外まで足を伸ばしてよかったと思いました。
三千院から歩いて10分ほど。ゆるやかな山道を登って、音無の滝までやってきました。音無というのは、お坊さんがここで滝の音が聞こえなくなるほど熱心に修行をしたことにちなむそうです。
いったんバス停の近くまで下り、こんどは寂光院に向かいます。歩くと20分ほどの、いい運動です。
寂光院は平清盛の娘で、壇ノ浦で入水する安徳天皇の母にあたる建礼門院徳子が晩年をすごしたお寺です。10年ほど前、火事があって、現在の本堂はその後、再建されたもの。本堂には復元された六万体地蔵菩薩が立っておられます。できたての新しい像です。
「諸行無常の鐘」なるものもカメラに収めます。建礼門院の陵にもお参りしてきました。
帰途、暮色に染まるなごやかな山里を歩きながら、「きょうも、おなかをこわしてしまった」というと、「なんの因果でここを歩いているんだろうね」ときついひと言が返ってきます。諸行無常。せっかくのロマンチックな雰囲気をこわしてしまって、すみません。
2013-11-21 14:59
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