ぼくの「いける本・いけない本」(2014年上期) [本]
恒例の「いける本・いけない本」のアンケートにこたえてみました。
2013年10月から2014年4月が対象です。
ほんとうは「いける本」を3冊、「いけない本」を3冊選ばなければいけないのですが、最近、あまり本を読んでいないこともあって「いけない本」は2冊になってしまいました。
【いける本】
○I・ウォーラーステイン/川北稔訳『近代世界システムⅣ─中道自由主義の勝利 1789-1914』(名古屋大学出版会)
一九八一年に岩波現代選書から本書の第一巻が二冊本として発刊されてから三十二年をへて第四巻が翻訳出版された。当初、全四巻で完結の予定が、いまでは全六巻の構想へと膨れあがっている。まだ道半ば。近代世界の歴史記述を塗り替える努力が、八十三歳の著者によっていまもつづけられていることに何よりも感動を覚える。
○ナイアル・キシテイニーほか/小須田健訳『経済学大図鑑』(三省堂)
写真やイラスト、チャートが多用され、ややこしい数式が使われていないのがうれしい。古典派から新古典派、ケインズ学派、新自由主義、金融工学、行動経済学まで、経済学の全体系がわかりやすく説明されているのも特徴だ。バランスのよい記述が現代を考える手がかりを与えてくれる。
○安岡章太郎『歴史の温もり─安岡章太郎歴史文集』(講談社)
本書を編集した鷲尾賢也さんは、これから日本近現代史に挑んでいきたいと言っていたのに、編集者としてはこの作品が最後の仕事となった。巻末の解題に鷲尾さんは「歴史のおもしろさと苛酷さ。それは『私とは何か』と同義語なのである」と記している。それは常に低い視座から歴史をとらえようとした安岡の思いであると同時に、鷲尾さん自身の思いでもあった。
【いけない本】
●坪内祐三『昭和の子供だ君たちも』(新潮社)
坪内の本はどれもおもしろい。『一九七二』もすばらしかった。世代によって時代がちがって見えてくるはずという本書の視点も鋭かった。それにしては、どちらかというと著者の生まれた昭和30年代にこだわるあまり、後半は飛ばし気味で、昭和史としては全体のバランスを欠くつくりとなった。いけないというより残念、もっと読みたかったという感が残る。
●福岡愛子『日本人の文革認識──歴史的転換をめぐる「翻身」』(新曜社)
労作である。本書では、当初中国の文化大革命の理念に共鳴したものの、その後、その実態に疑問をいだき、内的葛藤をへて、新たな境地を開いていった人びとの「翻身」が描かれている。「転向」ではなく「翻身」と位置づけるのは、その認識の変化に主体的な意義が認められているからだろう。ここで取りあげられているのは宇都宮徳馬、秋岡家栄、新島淳良、日中友好運動の関係者、さらには毛沢東思想の影響を受けた全共闘の活動家などである。それでも読み終わったあと、どことなく物足りないものを感じてしまった。竹内好や武田泰淳、吉本隆明など、ぼくにとっては肝心な人が登場してこないのだ。これは著者がいけないのではなく、タイトルを早のみこみしたぼくがいけないのである。
2013年10月から2014年4月が対象です。
ほんとうは「いける本」を3冊、「いけない本」を3冊選ばなければいけないのですが、最近、あまり本を読んでいないこともあって「いけない本」は2冊になってしまいました。
【いける本】
○I・ウォーラーステイン/川北稔訳『近代世界システムⅣ─中道自由主義の勝利 1789-1914』(名古屋大学出版会)
一九八一年に岩波現代選書から本書の第一巻が二冊本として発刊されてから三十二年をへて第四巻が翻訳出版された。当初、全四巻で完結の予定が、いまでは全六巻の構想へと膨れあがっている。まだ道半ば。近代世界の歴史記述を塗り替える努力が、八十三歳の著者によっていまもつづけられていることに何よりも感動を覚える。
○ナイアル・キシテイニーほか/小須田健訳『経済学大図鑑』(三省堂)
写真やイラスト、チャートが多用され、ややこしい数式が使われていないのがうれしい。古典派から新古典派、ケインズ学派、新自由主義、金融工学、行動経済学まで、経済学の全体系がわかりやすく説明されているのも特徴だ。バランスのよい記述が現代を考える手がかりを与えてくれる。
○安岡章太郎『歴史の温もり─安岡章太郎歴史文集』(講談社)
本書を編集した鷲尾賢也さんは、これから日本近現代史に挑んでいきたいと言っていたのに、編集者としてはこの作品が最後の仕事となった。巻末の解題に鷲尾さんは「歴史のおもしろさと苛酷さ。それは『私とは何か』と同義語なのである」と記している。それは常に低い視座から歴史をとらえようとした安岡の思いであると同時に、鷲尾さん自身の思いでもあった。
【いけない本】
●坪内祐三『昭和の子供だ君たちも』(新潮社)
坪内の本はどれもおもしろい。『一九七二』もすばらしかった。世代によって時代がちがって見えてくるはずという本書の視点も鋭かった。それにしては、どちらかというと著者の生まれた昭和30年代にこだわるあまり、後半は飛ばし気味で、昭和史としては全体のバランスを欠くつくりとなった。いけないというより残念、もっと読みたかったという感が残る。
●福岡愛子『日本人の文革認識──歴史的転換をめぐる「翻身」』(新曜社)
労作である。本書では、当初中国の文化大革命の理念に共鳴したものの、その後、その実態に疑問をいだき、内的葛藤をへて、新たな境地を開いていった人びとの「翻身」が描かれている。「転向」ではなく「翻身」と位置づけるのは、その認識の変化に主体的な意義が認められているからだろう。ここで取りあげられているのは宇都宮徳馬、秋岡家栄、新島淳良、日中友好運動の関係者、さらには毛沢東思想の影響を受けた全共闘の活動家などである。それでも読み終わったあと、どことなく物足りないものを感じてしまった。竹内好や武田泰淳、吉本隆明など、ぼくにとっては肝心な人が登場してこないのだ。これは著者がいけないのではなく、タイトルを早のみこみしたぼくがいけないのである。
2014-05-06 15:32
nice!(2)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0