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累進資産税の提案──ピケティ『21世紀の資本』を読む(9) [本]

 長々とダイジェストしてきましたが、きょうで終わりとします。
「グローバル世襲資本主義を、効率と公正さを両立させる形で規制するような政治制度」をどうつくっていくか。これが最終的な目標といえるでしょう。
 そのために著者が提案するのが、資本(資産)にたいする世界的な累進課税です。この制度のメリットは、国家の役割を強化しつつも、経済的な開放性と競争の力は維持されることだといいます。
 19世紀から20世紀はじめにかけ、国家の税収は国民所得の10%以下にとどまっていました。当時、国は経済や社会生活にほとんど関与せず、その役割は外交、軍事、警察、裁判などにかぎられていました。
 ところが1920-1980年のあいだに、国民所得にたいする税の割合は、3倍から4倍(米国で30%、スウェーデンで50%)に上昇し、1980年以降も、ほぼ横ばいの状態がつづいています。
 国家が膨張したといってもよいでしょう。
 増加した税収は「社会国家」の構築に使われたのだ、と著者はいいます。君主国家の時代から、国家は大きく変貌したのです。教育、医療、年金、失業保険、その他公的扶助を、国家がかなりの部分、になうようになりました。
 第2次世界大戦後の政府の拡大は、高度経済成長に支えられたものでした。しかし、1980年以後は状況が変わり、だれもさらなる増税は望まなくなりました。
「社会サービスを公共ニーズにどう適合させるかを絶えず問いつづけなければ、高い課税水準を支持し、したがって社会国家を支持するコンセンサスは、長続きしないかもしれない」と、著者は記しています。
 教育、医療、年金などが、さまざまな問題をかかえていることは事実です。
 たとえば、著者は教育に目を向けています。
 国家が教育にかかわることによって、たしかに国民全体の平均教育水準は上がりました。しかし、高等教育をみると、米国でも最高のエリート大学にはいるには、高額の学費が必要になってきます。入学するための教育投資もばかにならないでしょう。ハーヴァード大生の家庭の平均所得は、45万ドル(5000万円以上)との推計もでているようです。
 これをみると、教育の機会は、けっして均等に与えられていないことがわかります。
 年金についていえば、現在の年金制度がベイゴー方式になっていることが問題だ、と著者はいいます。ベイゴー方式というのは、現役の労働者の年金拠出金によって、退職者の年金を支える仕組みをいいます。日本もこの方式をとっていますね。
 しかし、経済が低成長になり、出生率が低くなってくると、この方式を維持するのはむずかしくなります。年金はどこかでベイゴー方式から積立方式に変えなければならないのですが、そう簡単にはいきません。移行期にあたる退職者が何も受け取れなくなってしまうからです。
 年金については、公務員と民間労働者と非労働者のあいだで別々のルールが適用されていることも、この制度を複雑にしています。
 このように、医療、教育、年金も、難問山積とはいえ、かといって、この分野が昔のようにすべて自己責任にゆだねられることにはならないでしょう。もはや国家が社会保障にいっさい関与しない事態は考えられなくなりました。
 しかし、いま以上に重い税金を課することには、とうぜん国民からの抵抗が強まるでしょう。ヨーロッパではすでに消費税が20%以上となっています。日本でもまもなく消費税が10%に上がりますが、1000兆円を越す公的債務も深刻な問題になりつつあります。そういうなかで、税をどうするかは、世界的にみて、やはり大きなテーマだといえるでしょう。
 ここで著者が検討しようとしているのは、累進的な所得税と相続税、それにグローバルな資産税です。
 フランスでは、現在、所得階層別にみて、税金は逆進的になっている、と著者はおどろきの指摘をしています。それは1980年以降、所得税の累進税率がすさまじく低下したこと(米国でも最高税率が70%だったのに、それが1988年には28%に下がったといいます)、利子、配当などの資産所得が分離課税になったこと、下層ほど消費税や社会保険料の負担割合が大きいことが原因です。
 その結果、フランスではトップの0.1%層が、税金を所得の35%しか払っていないのに、40%の中間層は45-50%、50%の下層は40-45%払っているという事態が生じているといいます。
 これは、とても公平とはいえません。所得税より相続税のほうが税率が低いことを考えあわせれば、トップの富裕層は、税制上さらに優遇されているのです。そこで著者は、所得税についても、ふたたび累進性を強化するよう主張します。
 累進相続税は20世紀の「重要な財政上の発明」だった、と著者は指摘します。相続税の累進度は国によって大きくことなります。1980年の最高相続税率は、イギリスで75%、米国で70%、ドイツで35%、フランスで20%でした。それが2010年には、イギリスで40%、米国で35%、ドイツで30%、フランスで45%と変化しています。
 累進税について、イギリスと米国は、当初、過剰な所得や財産は没収するという考えに立っていました。累進性の高い相続税こそ、経済民主化を実現する手段だと考えられたのです。ところが、そうした考えは1970年以降、サッチャー主義とレーガン主義のもと、正反対の方向へと方向転換します。
 所得税でも最高税率が抑えられるにつれて、米国ではトップ層の所得が増え、企業の重役に巨額の報酬が支払われる現象がみられるようになります。
 著者はこうした超高給与を阻止するには「最高所得に対して[80%以上の]没収的な税率をかける」べきだと主張します。そうでもしなければ、21世紀には経済格差がさらに拡大し、富裕層による寡頭支配がいっそう進むことになるからです。
「経済的、金融的なエリートたちは、自分の利益を死守するためなら、天井知らずの偽善ぶりを発揮する──そしてここには経済学者たちも含まれる」と、痛烈な皮肉を飛ばしています。
 ここで、著者はいよいよ「世界的な資本税」にふれます。資本税というより、資産税というべきかもしれませんね。
 所得税や相続税、消費税、法人税などとちがって、これは現在、存在しない税制です。もっとも、固定資産税は、土地や家屋にかぎっての資産税ではあります。しかし、著者の唱える資本(資産)税はもっと包括的なものです。
「私が提案している資本税は世界の富に対する累進的な年次の課税だ」と著者は述べています。これは不動産、金融資産、事業資産など、すべての資産に例外なしにかかる税金です。その目的は、富の格差の拡大を防ぐことにあります。
 しかし、問題は富(資産)の把捉が、きわめてむずかしいことです。とりわけタックス・ヘイヴンに隠された資産がどれくらいあるかは、はっきりしていません。ですから、国内だけではなく国外の銀行についても、資産のデータを開示させることが課題になってきます。資産の国際的な透明性が求められるわけです。
 そして、世界的な資本(資産)税は、とうぜん累進課税のかたちをとらなければいけない、と著者はいいます。個人の総財産にたいして累進税を直接かけるわけですから。
 しかし、この税金は毎年つづく課税であるため、その税率を高くしすぎるわけにはいきません。100万ユーロ(2014年末レートで約1億5000万円)以下なら免除、100-500万ユーロなら1%、500万ユーロ以上なら2%程度というところがいいところだといいます。
 ただし、タックス・ヘイヴンへの税回避を避けるため、銀行情報は開示されなければなりません。この資本税は、現在の固定資産税に代わるものとなります。そして、最大級の資産にたいしては5%程度の累進税率をかけてもいいというのが、著者の考え方です。
 資本税は、生産手段を国有化する社会主義にくらべて害がなく、社会の格差を縮める方策としては、はるかに効率的だ、と著者は述べています。

〈資本税は、民間資本とその収益という永遠の問題に対する対応としてもっと非暴力的で、もっと効率的だ。個人の富に対する累進的な課税は、社会全体の利益の名の下に、資本主義に対するコントロールを取り戻す一方で、私有財産と競争の力を活用する〉

 金融の透明性と、世界的な累進資本(資産)課税は、富裕国だけでなく、低開発国においても有益だ、と著者は書いています。所得と資本に累進的な税をかけることは、税収の増加につながるだけではありません。それによって、経済格差を縮め、社会保障を実現できるからです。「社会国家」を建設することは、低開発国にとっても、21世紀の共通の課題だ、と著者は述べています。
 さらにいえば、資本課税は、現在懸案になっている公的債務問題を解決するにも役立つはずだ、と著者はいいます。少なくとも、税収の増加によって、追加の国債発行を抑えることができるからです。
 いうまでもなく、政府が支出をまかなう方法は、税金と負債です。現在、先進国は1945年以来経験したこともないような負債をかかえこんでいます。「金持ち世界は金持ちだが、でも金持ち世界の政府は貧乏」という奇妙なパラドックスが生じている、と著者はいいます。
 この公的債務を解決する方法は、資本税、インフレ、緊縮財政の3つしかありません。このなかでは緊縮財政が最悪の解決方法です。国債の価値を10-20%減額する措置も、銀行パニックを引き起こすでしょう。民間資本(資産)にたいし、一時的に数年間(日本の場合なら、少なくとも7、8年)、15%の特別税をかけるという方法もありますが、これは国債の踏み倒しに近く、大きな痛みをともないます。
 フランスとドイツでは、20世紀はじめから10%以上のインフレが吹き荒れ、それによって、公的債務が大きく削減されたといいます。現在、米国のFRB、イギリスのイングランド銀行、日本の日本銀行が採用しようとしているのが、2%程度のインフレ目標の設定です。それによって、国債の負担を徐々に時間をかけて軽減しようというわけです。しかし、問題は、インフレは制御がむずかしいということです。ハイパーインフレになれば、大きな被害を受けるのは少額規模貯蓄者や高齢者となるでしょう。
 ですから、公的債務水準を削減し、富の格差を縮小するには、インフレより累進資本税のほうが正しいツールだ、と著者は主張します。
 ここで、著者は中央銀行のあり方についてもふれています。
 世界が金本位制から離脱したいま、中央銀行がおカネをつくる能力は潜在的に無限になっているといわれます。ですから、中央銀行には厳格な規制が必要です。
 とはいえ、いったん恐慌のような事態が生じたときには、中央銀行は「最後にすがれる貸し手」としての役割をはたさなくてはなりません。中央銀行は、いざというときは、手をこまぬいて事態を眺めているのではなく、「金融崩壊とデフレ・スパイラルを避けるために必要なあらゆることをすべきだ」と、著者も論じています。
 中央銀行はおカネを創造しますが、富(資産)をつくるわけではないといいます。中央銀行から(間接的に)融資を受けた企業や機関は、負債をかかえたかたちになるからです。そこで企業は、融資によって倒産を回避し、負債を完済したときに、はじめて富を生んだことになるわけです。
 さらに、著者はこう書いています。

〈中央銀行は銀行や非金融企業を倒産から防ぐため、労働者や業者への支払い用資金を貸し付けるだけの力はあるが、企業に投資を強制したり、家計に消費を強制したりはできない。また経済が成長を再開するよう命じることもできない。またインフレ率を決める力もない。中央銀行が作り出した流動性はおそらく、デフレと不景気を防ぎはしたが、富裕国における経済見通しは陰気なままだ〉

 リーマンショックが深刻な恐慌に突入しなかった理由は、著者がいうように、中央銀行が「お金を即座に無限に作れるという能力」を発揮したからにちがいありません。とはいえ、中央銀行が万能でないことは、上の引用に示されたとおりです。
 マネーを創造することによって、中央銀行は富の再分配をおこなっている、と著者はいいます。市中から国債を買って、マネーを市中にあふれさせるというのも、そうした再分配方法のひとつでしょう。しかし、その目標選択が妥当かどうかは、あらためて論じられねばならない問題といえるでしょう。
 巨額にのぼる公的債務を著者はさほど深刻にとらえていないようにみえます。ただ、債務が累積することによって、財政に負担がかかりすぎているのは問題です。
「これがもたらす特に不幸な結果のひとつは、私たちが高等教育に行う投資よりも債務の利払いに費やすお金のほうが今でははるかに多いということだ」
 公的債務はなるべく早く減らすに越したことはありません。
 それよりも、「緊急の必要性は教育資本を増やし、自然資本の劣化を防ぐことだ」と著者はいいます。教育に予算をつぎこむことは、将来の世代を育てるためにぜひとも必要なことです。「自然資本の劣化を防ぐ」とは、自然災害による被害に備えることを意味しています。そのためにも、巨額の公的債務に縛られている現状から、早く脱却しなければならないわけです。
 最後に著者は「資本への民主的なコントロール」を実現するためには、経済と金融の透明性が確保されなければならない、と再度強調しています。そして、そうした透明性はまだ実現されていないと指摘します。
 市場経済はそのままほうっておけば、かならず格差を拡大し、社会を不安定化させていくというのが著者の見方です。過去に蓄積された富が、そのまま受け継がれ、労働以外の何も持たない人びとを支配するのは、けっして民主的とはいえません。

〈お金を大量に持つ人々は、必ず自分の利益をしっかり守ろうとする。……それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ〉

 正しい解決は、資本にたいする年次累進税しかない、と著者は主張します。累進資産税は、競争とインセンティブを保持しながら、不平等スパイラルを避けるための方策なのです。この提案は検討に値するでしょう。

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