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「日常生活の政治学」を読む(3)──論集『消費の歴史』から [本]

 引きつづき、日常生活に関するトレントマンの論考を読んでいます。
 ちょっと雑になりますが、まとめとしては今回が最後です。
 この論考の評価は、先送りとしましょう。
 ひとまず読んでみて、ざっと抄訳しておきます。
 日常生活に注目が集まり、それが急速に進展するのは戦後になってからですが、それ以前からも日常生活への関心がなかったわけではない、と著者のトレントマンは書いています。
 たとえば、そのひとつがジェルジ・ルカーチの『歴史と階級意識』です。ルカーチは、日常生活を商品化がまさに実感される場としてとらえます。労働者は資本家に労働力を売って、賃金を獲得し、その賃金で商品を購入し、家族の生活を支えているとされます。
 エドムント・フッサールの現象学も、日常生活を射程にいれています。いっぽう、マルティン・ハイデガーは、日常性が解放とは正反対のものをつくりだしていくというニヒリスティックな見解を示しています。ヴァルター・ベンヤミンは都市空間における文化の考古学に取り組みました。マックス・ウェーバーは、個人的な魅力にあふれていたカリスマ的支配者が亡くなると、その権威は日常生活のなかにルーティン化される傾向があると記しています。
 日常生活をめぐって、マルクス主義と異なる考え方を示したのは、リベラルな伝統を引き継いだプラグマティズムでした。1905年にウィリアム・ジェームズは、哲学の目標は、人生の疑問に答えることであり、ふつうの人びとのふつうの感覚をだいじにしなければならないと述べています。
 ジェームズはまた、習慣は個人の性格をかたちづくり、社会構造を維持する方向にはたらきやすいと記しています。習慣は一度固定されると、それを変えるのはなかなかむずかしくなります。社会階層が混じり合わないのはそのためだといいます。
 そのいっぽうで、ジェームズは習慣がくり返しと訓練によって変化していく可能性をもつことも認めています。プラグマティストにとっては、実際の行動こそが、倫理的な生活の基礎となります。したがって、酒を飲みすぎたり、過度の娯楽やゲームにふけったりするすることをやめるには、訓練を積み重ねなければなりませんでした。
 プラグマティストの行動理論は、消費とも大いに関連しています。消費が選択と習慣にかかわるとすれば、そこからは新古典派の理論が派生してきます。また習慣がくり返しのなかから形成されるとすれば、それを家庭の経済学に取り入れ、「よき消費者」になる啓蒙へと発展させることもできるわけです。
 1900年前後に日常生活に注目が集まるようになるのは、人びとの生活が次第に快適になり、品物も増えてきたからだろう、と著者は推測しています。たとえばパリのブルジョア生活をみると、19世紀が進展するにつれて、物質的な変化が生じて、それが新たな感受性や習慣を生みだしてきたことがわかります。洋服入れや居室、ドア、ガス灯、装飾品、どれをとっても目指されているのは、安全で快適な生活でした。
 20世紀はじめになると、そうした関心は庶民にも広がっていきます。生活水準が上がりはじめ、新しい商品と、便利さ安楽さをもたらす技術が、欧米の家庭生活を変えていきます。アンティーク風の規格家具も普及していきます。生活水準は、その国の文明度、発達度を示すといわれるようになりました。それは民主主義の発展度を示す指標でもありました。
 ソ連や日本でも、生活改善は進められていました。しかし、それは上からの改善であって、政府は人びとに封建的な慣習や迷信を捨てて、近代人になることを求めた、と著者はいいます。
 ロシア革命は日常生活にも革命をもたらそうとしたといいます。人民は古くさい物質的な殻を脱ぎ捨てて、社会主義を身につけねばならない、とトロツキーは宣言しました。ボリス・アルヴァトフは、生産と消費、高級文化と低級文化が分離されたブルジョワ資本主義とことなり、社会主義のもとでは、それらが再結合され、労働者と芸術家、インテリが同じ場ではたらくようになっていると主張しました。かれはまた消費によって、人民は新たな世界観をもつようになると論じています。
 スターリン時代にはいると、生産を増強するためのスタハノフ運動がはじまります。労働者は仕事場に駆りだされ、家庭の主婦は家を清潔にすることを求められるようになります。ひげもじゃは嫌われるようになり、清潔さを保つことが、労働者の条件となっていきます。
 日本では官民一体の生活改善運動が推し進められた、と著者は書いています。日常生活の改善は、ムダをなくすことによって福祉を増進し、国家を強化することが目的でした。結婚式や葬儀にカネをかけないようにすることや、貯金をすることが奨励されました。時間を守って、規則正しい生活をし、きちんと将来設計をすることが求められました。家を清潔に保ち、衛生や服装にも気を配るようにせよという指示も出されています。こうした日常生活に関するこまごまとした注意は、1920年代にとどまらず、1950年代の「新生活運動」にも引き継がれていった、と著者は記しています。
 こうした官民一体の生活改善運動は、一種の近代化への取り組みだった、と著者はみています。その一例として、著者は今和次郎の考現学を取りあげ、かれの目標が日常生活の改善にあったことを明らかにしています。資本主義的なモダニティに過去からの通路を読み解こうとしたベンヤミンとちがい、今和次郎などは、日常生活に未来のかたち(アメリカのジャズやファッション)をみていたといいます。
 権田保之助は浅草の大衆娯楽を愛好し、近代化が文化の画一化をもたらすことに警鐘を鳴らしました。とはいえ、たいていの論者は、日常生活の近代化を解放の契機ととらえたのだといいます。今和次郎にとって、モダンな家や街頭、それに日常の楽しみは、旧来の慣習から離れて、人びとが自分を解き放つことにほかなりませんでした。哲学者の戸坂潤も日常のなかにこそ真の現実があると論じています。
 日本のケースをみると、日常を慣習ととらえ、選択を市場とみる見方はあらためなくてはいけない、と著者は書いています。家計簿をつける習慣は、貯蓄と消費のバランスを勘案しながら、家族が適切な選択をおこなうことにつながるからです。
 日本研究者のハリー・ハルトゥニアンは、都市の近代化には公的な側面と個人的な側面があったと指摘しています。そして戦後になって、日本はずいぶん西洋化したとはいえ、家の内部をみると、まだ畳の部屋が残っていたりして、日本的なものはそれでもしっかり維持されています。しかし、ハルトゥニアンは、水道やガス、電気が張りめぐらされた都市のネットワークによって、それまでの料理や風呂、トイレなどのあり方がすっかり変わったことも事実だと論じています。

 さて、次のテーマに移りましょう。
 簡約をつづけます。
 イギリスの歴史家レオーラ・オースランダーは、日常生活の政治学に触れた著作のなかで、イギリス、アメリカ、フランスの革命時における、日常の事物と習慣について論じています。どの革命のときも意識されていたのは、人びとの考えを変えるには、物質的文化を変える必要があるということでした。イギリス革命では踊りが禁止され、アメリカ革命では手織りの服が着られ、フランス革命では長ズボンが共和派のユニフォームとなりました。
 しかし、革命が日常生活におよぼした影響はほんのわずかでした。いったん革命が終息すると、ドレスから食事にいたるまで、昔ながらの習慣が復活したのです。暦にせよ言語にせよ、革命が残した遺産は、たちどころに失われました。それよりも鉄道や水道、自動車、テレビのほうが、よほど日常生活に大きな変革をもたらした、と著者は書いています。
 ロシア革命や中国文化大革命になると、その影響はもっと劇的でした。社会主義革命はブルジョア的な習慣や考え方を標的にしました。しかし、それは同時に、思わざる結果を生みだした、と著者は書いています。
 中国では毛沢東が若者を扇動し、その結果、若者は家の束縛から離れて、自立し、物質的権利を求めるようになったのです。文化大革命によって、かえって個人主義が広がったといえるでしょう。
 最近では、ミシェル・フーコーなどに範をとって、統治性、すなわち当局が市民を統治するさいに発動する行動や心性を研究する歴史家も登場しています。制度的構造(党や省庁、労働組合)にかわって、日常生活のさまざまな技術へと関心が移っています。
 19世紀のイギリスでは、日常の技術を習得するために、市民はみずから鍛錬することで、自己規制の方法を身につけたといわれます。こうした都市のネットワークが、社会的関係に政治的な光を投げかけたことはまちがいありません。
 統治性の研究が政治の見方を広げたのは事実ですが、それは支配戦略に焦点が置かれるために、誰が誰に対し何をしているということを隠してしまいがちになる、と著者は述べています。また統治性の研究は、市民を受動的な対象としてとらえがちで、それによって実際の消費行動を見えなくしてしまう面もあるといいます。
 実際には、日常生活は多方向に開いており、そのなかを政治が出たりはいったりしている、と著者はいいます。この二重の流れは自在で、技術的進歩だけではなく、個人の行動によっても変わっていきます。そのことはたとえば19世紀のガスと水をめぐる紛争をみてもわかるといいます。
 ガスの使い方は、消費者と供給者のあいだで、いつも紛糾の種になっていました。世帯主はいつも安全性を心配し、ガス会社がだいじょうぶだというにもかかわらず、寝る前にはガスの元栓をしめることを忘れませんでした。もう一つの問題はガスメーターの操作です。消費者のなかには磁石を使ってメーターを操作し、消費量を少なくみせる者もいたのです。
 また電気については、しょっちゅう停電するのに目一杯料金をとられるのはおかしい、と怒鳴りこむ消費者もいました。ときにはそれが会社への大規模な抗議行動となったこともあるといいます。
 水が特に政治問題になったのは、ヴィクトリア時代のイギリスにおいてでした。快適さや衛生面でも欠かせない水は、とかく紛糾の元になりがちでした。税金を払う代わりに水の供給を保証するのが、政府や市の役割だろうというwけです。1880年代のはじめには「消費者擁護同盟」が水にたいする消費者の権利を守るために結集したといいます。
 都市のインフラが整うにつれて、新たな問題も発生しました。風呂は昔からぜいたくとされてきましたが、バスが普及するにつれて、家庭でバスを使うのはあたりまえになっていきます。それなのに、水道会社は特別料金を請求するようになり、シェフィールドではこれにたいする抗議活動が発生しました。
 19世紀末には、大都市で水をコンスタントに供給することが可能になっていました。ロンドンっ子は、だれもが好きな時間に好きなだけ水を使えるようになります。
 1890年代半ば、ロンドンは水不足に見舞われ、水道会社は水の供給を一時中断せざるを得ませんでした。そのとき、人びとは憤激します。会社は消費者に水の節約を呼びかけます。しかし、消費者はそれを無視し、利益しか念頭にない会社を非難し、労働者や主婦が立ち上がりました。
 こうしたできごとから著者は、日常性は内向きの個別的領域で、保守的なものとみられがちだが、けっしてそうではないと指摘します。水道管や風呂、水洗トイレなどの新しい技術は、消費行動を変え、人びとの規範や期待を変えていきます。そして、それが政治的圧力に転化していくわけです。
 1900年には、清潔さといつでも使用できる水がすでに民主主義の基準となっており、それを提供することが公共機関の義務ともなっていました。
 日常生活は単独で存在するわけではなく、市民社会や国家との相互関係のうえに成り立っている、と著者はいいます。ある歴史家は、家族を「日常生活の代表者」と考え、市民社会の基礎単位ととらえています。そして、日常生活の方向性は決まりきったものではなく、家族と市民社会、国家の相互関係によって動いていくことになります。
 日常生活を国家にたいする反抗の拠点とみる考え方については、どうでしょう。こうした見方は、洗濯や調理、車の運転などを考えるさいには、あまり役立たないだろう、と著者はいいます。そこでは人びとは科学や技術を学んで、自分をそれに合わせようとしています。反乱者でも犠牲者でもありません。
 かといって、政府が人びとの日常行動を完全にコントロールすることは無理というものです。ロンドンでは、水の常時供給が実現されてから、多くの世帯主が、ひと晩中庭に水まきをするため蛇口をひねったままにしていたといいます。1900年ごろ、市の当局者は、いったん水が市民の手に渡ったあかつきには、市民のあいだで水をむだにしない動きが出るのではないかと思っていました。ところが水不足が頻繁におこり、水不足が心配になるにつれて、その考えがあやしくなってきます。いったんホースで水まきをしたり、車を洗ったり、何度もバスをつかったり、シャワーをつかったりという習慣が定着すれば、それをやめるのは、むずかしくなってきます。市がインフラを整備し、水道設備を拡張しなければならない背景には、大勢の人の日常的習慣が存在している、と著者は論じています。
 近年、日常生活の研究が大きな進歩を遂げたのは、行動の研究が進んだことによる、と著者は述べています。食べたり、読んだり、写真をとったり、休日を楽しんだりといった行動には、素材や道具だけではなく、技術能力も必要ですし、何よりも目的意識がだいじになってきます。電子レンジだけで食事をつくることはできません。その前に家族の献立をどうするかを考えなくてはなりません。
 統治性の問題とは対照的に、行動においてはまさに人の主体性が問われます。さまざまな要素を組み合わせ、それを目的どおりに仕上げていくのは、まさにそれぞれの人なのです。同時にそれは単に個人的な行動というのではなく、その行動自体が、大きな社会的複合状況のうえに成り立っています。
 たとえば、フランス人は昼食や夕食を楽しむために腰かけますが、フィンランド人は一日中スナックを食べています。同じようにエネルギーや水の使用についても、ことなったサイクルがあります。これは文化的なちがいでしょうか。
 現代社会では、日常生活のリズムは多様であり、地域や環境、仕事ぶり、その他によって、まったく異なります。しかも、新しい行動は古い行動と競い合い、それに取って代わっていきます。
 生活をミクロの日常とマクロの構造で分割するのではなく、ルフェーブルのように(その目的はちがうとしても)行動そのものを探求することがだいじだ、と著者は述べています。その行動というのは、かつての行動が進化したものであり、また別の行動が消滅したあとに成立したものととらえることもできます。それは歴史的なプロセスをたどって、いまここに存在しているわけです。
 そのことを思い起こさせるのは、たとえば、水不足や停電や交通渋滞などのトラブルが発生したときで、われわれはそれによって、現在のあたりまえの状態にいたるまでの歴史的プロセスをふり返ることになります。平常な状態はすぐに達成できたわけではなく、技術や目的、資産を統合して、はじめて可能になったのです。
 消費社会というと、豊かさ、選択、多様性を思い浮かべます。消費社会は社会主義経済ではなく、市場経済の産物だと信じられてきましたが、それは事実ではない、と著者はいいます。風呂にはいったり、テレビを見たり、家を修繕したり、車を運転したりといった多くの消費行動は、資本主義社会だけではなく社会主義社会の日常生活でもごくあたりまえのことでした。1960年代から80年代にかけて、社会主義圏ではブランドものはごくわずかしかありませんでした。しかし、東側でも西ヨーロッパと同じように、これまでの歴史にない、むしろさらに複雑な消費行動の網が広がっていた、と著者は指摘します。
 ただ、社会主義に特徴があるとすれば、それは社会的な分配や、選択のはばのなさ、政治の介入といったことでしょうか。車が少ないということは、あまり車を運転しないということであり、シャワーが少ないということは、あまりシャワーを使わないということです。いっぽう、消費物資が不足していたために、人びとは家を自分でなおしたり、洋服を自分で編んだりといった別の行動をとることによって、対応しました。
 とりわけ社会主義下では、女性用の品物の種類が少ないことが問題でした。品物を買うために列をつくらなければならないことも、実に時間のむだでした。東ドイツでは車を購入したり、子供の新しい靴を買うにも申請書を出さねばなりませんでした。しかもそれが手にはいるまでに気の遠くなるような時間がかかったのです。これはとても正常な状態とはいえませんでした。民衆の日常行動にうまく対処することができなかったことが、社会主義体制の崩壊を招いた、と著者は指摘します。
 いっぽうで著者は、現代社会の快適さと便宜が、地域、あるいは一国だけで達成できないことも論じています。19世紀のヨーロッパはいわば「文明化の使命」をもって、世界全体をグローバル化していきました。それは帝国主義的な拡張という側面をともないましたが、それによって、ナイフやフォークを使って食事をしたり、ベッドで寝たり、石鹸でからだを洗ったりという習慣が世界に広がったことも事実だ、と著者は述べています。
 そして、いまや朝食をとったり、紅茶を飲んだりといった、日常生活のふつうの行動が、人びとをグローバルに結びつけるようになっています。歴史は残念ながら一直線には進まない、と著者はいいます。リベラル派は、貿易が人びとと大陸を、相互依存のネットワークでつないでいくことを夢想しましたが、19世紀において、現実に生じていたのは帝国主義的な支配でした。それでも、いっぽうで支配される国においても、民衆がココアやコーヒーを飲む習慣が生まれるようになり、それが次第に帝国主義にたいする20世紀後半の覚醒を導いていくことになる、と著者は考えているようです。
 最後に、著者は日常生活の研究がだいじなのはなぜかということをくり返し述べています。それは、まさに日常生活の場において、人びとがものやサービスを使用しているからです。そして、日常生活は、ひとつの隔離された領域ではなく、歴史、政治、経済、文化のすべてがつまっている場所なのだといいます。日常生活はささいなものと思われがちですが、食べたり飲んだりという行動のなかに、じつは世界の構造が集約されているのです。したがって、そこでは常に人間がどう生きるかが問われているのだ、と著者は指摘しています。
 これはとてもだいじな視点だと思います。


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