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寅さんの旅(3)──『「男はつらいよ」を旅する』をめぐって(5) [われらの時代]

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 翻訳の仕事がはいったので、少し間があいてしまった。
 寅さんの旅のつづきである。
 著者の川本三郎は、寅さんを追って、九州に出かけている。
 佐賀市の西にある小城(おぎ)。唐津線が通る。昔は石炭を唐津港まで運んでいた。第42作(89年)に出てくる。静かないい町だという。

〈駅前にまっすぐ北にのびる商店街がある。高い建物はない。空が広い。酒蔵があり、レンガの煙突が青空に映える。〉

 ここに後藤久美子演じる泉が住んでいて、寅さんの甥っ子、満男(吉岡秀隆)が彼女を追いかけてくる。
 羊羹屋が多いという。羊羹づくりが盛んなのは、茶の文化が発達していたこと、それにかつて軍が羊羹を保存食として買い入れていたためだという。
 軍と羊羹という組み合わせがおもしろい。
 大日本帝国時代、佐世保には海軍、久留米には陸軍の拠点があり、小城はその中間に位置していた。
 川本は映画のロケ地をあちこち歩いている。
 呼子は第14作(74年)、平戸は第20作(77年)に登場する。
 著者は江戸時代のはじめに栄えた平戸を訪れている。和洋の文化が混在した町だ。寅さんはこの町をすっかり気に入ってしまう。しかし、例によって美女にふられる。
 佐世保で1泊した著者はフェリーで五島列島に向かう。その中通島(なかどおりじま)は、第35作(85年)の舞台。
 寅さんはほんとうによく旅をしている。このころ、ぼくはずっと会社と家を往復する仕事がつづいていた。
 中通島では新しいホテルができているが、町並みや漁港の様子は変わっていないという。
 五島列島では、明治になって隠れキリシタンが自分たちの手でいくつもカトリック教会を建てた。
 そのひとつ福江島も第6作(71年)のロケ地になった。映画『悪人』にでてくる灯台はこの島の西端にある。
 第6作に写る玉之浦の中村旅館はいまも残るが、もう営業はしていない。かつては捕鯨船基地にもなったという玉之浦の漁港も、いまはひっそりしている。
 寅さんはテキヤらしく全国どこにでも出かけるが、どちらかというと辺鄙な場所が好きだ。「寅は旅の名人、知られていなかった日本の美しい町の発見者と言える」と川本も書いている。
 若狭湾の伊根もそのひとつ。第29作(82年)の舞台だ。
 ブリの好漁場で、湾に面した舟屋群で知られる。映画のころと、町並みはほとんど変わっていないという。
 川本はそのあと山陰を旅する。
 列車で豊岡に出て、城崎温泉、浜坂、鳥取、米子、温泉津(ゆのつ)のルートをたどる。
 温泉津は第13作(74年)の舞台。ここで、寅さんはまたも旅館の番頭をする。
 石見銀山の銀の積み出し港として栄えた。千年以上前に発見されたという温泉があり、20軒ほどの湯宿が並んでいる。やきものの町としても知られている。
 昔の商店街は、いまではシャッター通りとなっている。映画の撮影当時とくらべて、過疎化が進んだようだ。
 第44作(91年)は倉吉が舞台。映画の撮影された小学校は廃校になった。駅前の商店街も閉店、空き家が目立つ。しかし、いっぽうで、町おこし、村おこしも盛んで、一概に過疎ということばをかぶせるのは問題だという。「実際には、故郷に留まって頑張っている若者もいる」
 第13作には津和野もでてくる。山陰の小京都として、若い女性のあいだで人気がある。町は映画の撮影された40年前とさほど変わっていない。
 寅さんの妹、さくらが第7作(71年)で訪れるのが五能線の驫木(とどろき)駅。青森県にある秘境の駅だという。列車は1日に5本しか止まらない。
 その駅から少し山のほうにはいった田野沢の小学校は、映画に登場するが、いまは廃校になっている。集落では人間が減って、猿が増えている。
 さくらは寅さんを探すため、バスで弘前に向かう。
 その途中、千畳敷と呼ばれる寂しい海岸線を通りながら、さくらは想像する。

〈一瞬、さくらは寒風にさらされた寅が、寂れた海辺の小屋に身を寄せる姿を想像する。あの陽気な兄が、海からの風に吹き飛ばされそうになって、賽の河原のような海辺を歩く。ボロ屋の板壁にもたれかかる。〉

 そう思った矢先に、次に停車した嶽(だけ)温泉から、何とおにいちゃんの寅さんが乗りこんでくる。
「俺、死んだかと思ったか」「冗談じゃないわよ」と、兄妹のにぎやかなやりとりがはじまり、観客はほっとする。
 それにしても、テキヤ稼業は、野垂れ死にと紙一重だ。
 そんな風来坊の孤独をにじませた一篇が、第16作(75年)で、ここでは山形県の寒河江(さがえ)がでてくる。人口は4万。サクランボの産地として知られる。ニット生産でも有名だ。
 寅さんは昔世話になった女性の墓参りをするため、寒河江の慈恩寺を訪れている。
 寒河江は「思っていた以上にきれいな町だった。老後、住みたいと思ったほど」と、川本は書いている。地方にはいい町が残っている。日本のよさは、もう地方にしかないのではないか。
 時に寅さんはテキヤをやめて、カタギの仕事をしようとすることもある。実際にはじめると、なかなかつづかないのだが。
 そんな場所のひとつが江戸川下流の町、浦安だ。1970年の第5作にでてくる。
 そのときの仕事は豆腐屋だ。例によって美人の娘がいる。しかし、もののみごとにふられ、浦安を去っていく。
 いまではディズニーランドで知られる町だが、大規模な空襲にあっていないので、昔ながらの住宅が残っているところもあるという。ぼくのところからも近いので、いちど散歩してみよう。
 近いといえば、茨城県だ。寅さんは茨城県によく出没している。
 たとえば、第39作(87年)に登場するのが、水海道(みつかいどう)の木橋。
 常総線の中妻駅がアヴァン・タイトル(タイトル前の寸劇シーン)に写っている。
 第42作(89年)では、水戸と郡山を結ぶ水郡線に乗っている。途中降りるのが袋田駅。ここには袋田の滝がある。ぼくもいったことがある。
 第34作(84年)には牛久沼がでてくる。大手証券会社課長(米倉斉加年)は、ここから東京に通っている。マイホームをもつのも楽ではない。
 そして、とつぜん蒸発する。奥さん(大原麗子)と寅さんは男の行方を追って、鹿児島に出かける。
 筑波山の「がまの油売り」がでてくるのも、この作品だ。
 この作品は、めずらしく名画座でぼくも見たのだが、「がまの油売り」のシーンはまったく覚えていない。もう一度見てみよう。
 寅さん映画には会社勤めがいやになるサラリーマンが、しばしば登場する。第33作(84年)の佐藤B作、第41作(89年)の柄本明もそう。ぼくも会社が嫌いだった。
 次は九州の温泉めぐりだ。
 第28作(81年)で、寅さんは佐賀県鳥栖(とす)駅前の大衆食堂で、トンカツをさかなにビールを飲んでいる。駅前再開発で、いまこの大衆食堂はない。ただ、1911年に建てられた駅舎は、そのまま残っているという。
 次に寅さんがあらわれるのは、久留米と大分を結ぶ久大本線の夜明(よあけ)駅。名前がいい。
 田主丸駅の駅舎はカッパの形をしているという。ちょっと想像がつかない。
 寅さんは、その中央商店街を歩く。いまはさびれている。
 しかし、法林寺や月読(つくよみ)神社はそのまま残っている。
 ぶどうの巨峰の町として知られる。三連水車が観光名所。
 寅は久留米の水天宮で商売をする。
 そこで、仲間のテキヤが病気だと知り、秋月にいく。
 秋月は隠れ里のような町だ。坂の上には秋月城があったが、いまは中学校になっている。

〈瓦屋根が並ぶ。高い建物はない。城下町だが城はなく商家が目立つ。和紙の店、和菓子屋、製麺所が通りに落着きを与えている。〉

 第37作(86年)には、福岡県の田川伊田駅がでてくる。この作品は筑豊が舞台。飯塚の芝居小屋、嘉穂劇場もでてくる。
 久大本線の大きな町は大分県の日田(ひた)。第43作(90年)の舞台だ。
 小鹿田焼(おんたやき)の里、温泉街、豆田町のほか、周辺の天ヶ瀬温泉も登場する。
 近くには、湯平(ゆのひら)温泉がある。ここは第30作(82年)の舞台。沢田研二と田中裕子がでてくる。寅さんは映画のなかで、ふたりの縁結びをする。
 湯平は人気の湯布院などとくらべると、ひなびた温泉だ。ネットのおかげで、最近はアジアからの観光客も増えてきたらしいが、ホテルの数はだいぶ減った。
 もうひとつ、ひなびた温泉が田の原(たのはる)温泉。久重山の西麓にある秘湯。人気の黒川温泉の隣にある。ここは熊本県だ。寅さんはここに長逗留する。人が押し寄せない、ひなびた温泉が好きなのだ。
 第21作(78年)の舞台。寅さんの泊まった太朗舘はいまも残っている。静かな温泉で、歓楽施設は何もない。露天風呂がすばらしいという。
 そして、最後に寅さんが行き着くのが、奄美の加計呂麻島(かけろまじま)である。
 しかし、そこに行く前に、著者の川本は、第19作(77年)の舞台、愛媛県の大洲(おおず)と、第45作(92年)の舞台、宮崎県の油津(あぶらつ)に立ち寄っている。
 第19作は予讃線の下灘(しもなだ)駅からはじまる。海を目の前にしたちいさな駅だ。「青春18切符」のポスターにもなっているらしい。
 伊予大洲は城下町。伊予の小京都とうたわれる。
 嵐寛寿郎が殿様役ででてくる。
 第45作の油津には、宮崎から日南線で向かう。飫肥(おび)杉の積み出し港、漁港として栄えた。山で切り出された杉は、堀川運河で、港まで運ばれた。いまも赤レンガの建物や銅板張りの商家が残る。ここも小京都の雰囲気。
 理容師役の風吹ジュンがすばらしい、と川本は絶賛する。
「地方の衰退が言われて久しいが、こういう町を歩くと、地方の町のストックの豊かさを感じさせる」と書いている。
 そして、ついに最終作の地、加計呂麻島に。
 奄美大島の古仁屋(こにや)からフェリーで30分。島の人口は1300人ほど。
 映画のなかで、寅さんはリリー(浅丘ルリ子)といっしょに、ちいさな家で暮らしている。
 映画ででてくるデイゴの木のある民家は、いまはだれも住まない廃屋になっているという。
 こうして、寅さんの旅は終わった。
 川本は「あとがき」に、こう書いている。

〈[「男はつらいよ」は]寅の放浪の旅であり、しかも、旅先は、瓦屋根の家や田圃の残る懐しい町が多い。はじめから古い町を舞台にしているから何年たっても古くならない。繰返しに耐えられる。……根底に、失われた風景に対する懐かしさ、ノスタルジーがあるから、時間の風化に耐えられる。〉

 なかなか旅ができないぼくにとっては、ありがたい本だった。
 いままでほとんど見ていない寅さん映画をできるだけ見たいと思った。

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