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均衡分析への補足──マーシャル『経済学原理』を読む(16) [経済学]

 ある商品が急にはやりだして、需要が増えると、その価格が急に上昇することがある。しかも、この流行が長期間つづく場合は、規模の経済がはたらいて、収穫逓増の傾向が生じ、その価格は次第に低下していくだろう、とマーシャルは述べている。
 一般に商品価格が低落すれば、その商品にたいする需要は増大する。逆に商品の価格が上昇すれば、その商品にたいする需要は減少する。
 供給の場合は、需要の場合ほど単純ではない。短期的にみると、価格が上昇すれば、供給も増大する。長期的にみても、収穫逓増の法則にしたがう商品はいくらでも供給を増やしていくことができる。
 その結果、産業が発展し、供給が増えるにつれて、次第に価格は低下していくことになる。その動きについていけない個別企業は衰退を免れないだろう。
 とはいえ、価格の下落には限度がある。財貨の生産には装備や営業面でも多額の資本が投入されている。主要費用に加えて、そうした補足費用も回収されなければならないとすれば、価格下落にもおのずから歯止めがかかってくる。
 長いあいだ、進歩をつづけている企業というのは、意外と少ないものだ、とマーシャルは指摘している。したがって、産業の発展をみるには、代表的企業の動きをみて、経済行動のモデルを把握するほかないという。
 そこで注目すべきは、代表的企業の限界費用である。この企業においても、需要が急増した場合、それに際して産出高を増やすなら、供給価格も上昇していく。しかし、それは短期の場合である。
 それでも需要が堅調に伸びていくなら、長期的にみれば、需要に対応して商品は低い価格で供給され、しかも企業にとっては収益があがるような生産規模の拡張が工夫されるだろう。経済は「静学的均衡」にとどまることはできないのだ。
 マーシャルはさらに需要と供給の変動について、考察を進めている。
 流行の変化、新発明、人口の増減、資源・原料の枯渇、代替品の開発など、需給関係に影響をもたらす要因は多い。
 需要が増大するのは、新商品の流行や普及・代替、新市場の開発、社会の富ないし一般的購買力の増加などがみられる場合である。いっぽう、供給側もそれに対応して、商品の種類や量を増やすとともに、その価格をできるだけ安くしていくだろう。それにさいしては、輸送手段の改善や新しい供給源の開発、新しい生産工程や新しい機械の導入などがこころみられる。逆に需要や供給が減少するのは、購買力が低下したり、税負担が重くなったりする場合と考えられる。
 長期を念頭におくと、ある商品にたいする需要が増大する場合は、規模の経済がはたらいて、供給価格は低下する傾向がある。すなわち、新しい発明、新しい機械の応用、新資源の開発、物品税の廃止、補助金の給付などによって、大幅な生産増大と価格低落が生じるというのである。ここでは、いわば収穫逓増の法則がはたらいている。
 この収穫逓増型の商品に課税がなされた場合は、あるいは逆に補助金が給付された場合は、どのような現象が生じるか。
 マーシャルはこう書いている。

〈課税は需要を減少させ産出高を削減させる。おそらくは製造経費をいくらか増大させ、課税額よりも大幅に価格を上昇させ、結局財政当局の収得する総収入額よりはるかに大きな額だけ消費者余剰を削減させる。その反面、このような商品にたいする補助金の給付は、政府が生産者に支払う総給付額を上回って消費者余剰を拡大させるほど大幅に、消費者価格を低落させる。〉

 マーシャルは消費税や補助金などの財政政策に、政府がよほど慎重でなければならない、と主張しているわけだ。
 需給均衡点は需要側にとっても供給側にとっても、ほぼ最大満足点だとマーシャルはいう。その均衡点においては、当事者のいずれも失う効用よりも受け取る効用のほうが大きくなる。つまり、需給均衡点では、売り手も買い手もおたがいに損をせず、満足を得るのだ。それをはずれていくと、売り手側、買い手側のどちらかが損失をこうむる。したがって、そうした状況は永続せず、ふたたび均衡点への回帰が模索されることになる。
 ただし、この学説は普遍的に妥当するわけではない、とマーシャルはいう。富の分配が不平等であれば、満足度にたいする評価もことなってくるからである。さらに、収穫逓増型の商品の場合は、技術改良による価格の低落が、消費者を利するだけではなく生産者を利することが多い。
 最後にマーシャルは独占について、ふれている。簡単に紹介しておこう。
 ここでいう独占とは「ある個人ないしは数人の連合組織が、売りにだされる商品の分量またはそれらが供給される価格を決定する力をもっている」場合をさしている。独占企業は需要にたいして供給を調節して、最大可能な純収入を確保しようとするだろう。
「独占体のもとで生産される分量は独占がなかった場合に比べるといつも少なく、またその消費者価格はいつも高いように思われるが、じつはそうではない」。 というのも、独占企業のもとでは、競争が激しい場合より、かえって経費が節約できる場合があるからである。店舗数や広告宣伝費も少なくてすむかもしれない。生産規模の大きさにともなうメリットもある。生産方法の改良や機械の導入もよりスムーズにおこなわれるだろう。
 競争を排除することが、公衆により利益をもたらすこともあるのだ、とマーシャルはいう。独占企業が将来の事業の発展を期待して、価格を引き下げることもおこりうる。その場合、会社はべつに人道的動機で動いているわけではないが、「純収入を一時的には多少犠牲にしても消費者余剰を増大したほうがかえって長期的には利益になる」と考えているのだ。
 理想的には、独占企業が商品を販売することで、独占収入を得るだけではなく、同等の消費者余剰をもたらし、双方の純利便が大きくなることが望ましい。いや、むしろ、独占企業が最大可能な独占収入を獲得することだけをめざすのではなく、できるだけ消費者の利益を高めることが望ましいと考えて、商品の価格を低く抑え、販売量を増やしたほうが、社会にとってはメリットが大きいといえる。しかし、実際には、それはなかなかおこりえないことである。
 マーシャルはビジネス活動をふり返りながら、「種々な行動経路について生産者の利害だけでなく消費者の利害にたいしてもある秤量値を与えようとするものは多くはいない」と指摘する。消費者の利害や需要に関する公共的な統計もまだ整備されていない。そのため企業家は経験と勘に頼って、経営判断を下し、おうおうにして失敗する。
 消費に関する研究はまだじゅうぶんに進んでいない。統計もまだそろっていない。需要や消費者余剰に関する研究は将来の課題として残されている、とマーシャルは述べている。公共事業や企業活動のよしあしは、政府や企業のメリット、デメリットだけではなく、消費者のメリット、デメリットをみて、はじめて判断されるのだ、というのが、かれの考え方といってよいだろう。
 マーシャルは独占企業がすぐれているといっているわけではない。しかし、独占企業を否定して、競争が正しいとも主張していない(マーシャルの独占体論は公営企業にも適用できるものだ)。
 独占企業が高価格を維持し、消費者に不利益をもたらすケースも紹介している。そのいっぽうで、公共の利益のために、補完的な独占体は合併するほうが望ましいとも述べている。
 また現実の世界では、純粋で永続的な独占企業などどこにもないと認めている。それどころか、「現代の世界では、既存のものが消費者の利益を増すように開発されていないとすると、これに代わって新しい商品、新しい方法が台頭し、これらに代替していこうとする傾向がいよいよ強くなってきている」とも指摘している。
 独占企業も永遠ではありえない。産業の合理化をめざした企業間の合併も、それがはたして公共の利益につながるかどうかという面から判断・評価されなければならない、とマーシャルは論じている。
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