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グラスゴーにやってきた──スコットランドの旅(5) [旅]

8月7日(火)
 朝9時半、エディンバラのアパートを出発し、レンタカーで西のグラスゴーに向かいます。所要時間は約1時間。あっという間でした。
 エディンバラがスコットランドの政治の中心地だとすれば、グラスゴーは経済の中心地です。人口は60万人ほど(船橋と同じ)ですから、われわれの基準でみれば、けっして大都市ではありません。それでも人口ではスコットランド最大の都市です。
 グラスゴーとエディンバラには共通の特徴があります。それはどちらも港湾都市だということです。ただし、エディンバラがフォース湾を経て、北海につながるのにたいし、グラスゴーはクライド川、クライド湾を経て、大西洋につながります。
 エディンバラが北海でロンドンやヨーロッパ各地と結びついていたとすれば、グラスゴーはアメリカとの窓口でした。16世紀になるとアメリカからタバコがはいってくるようになり、その後、砂糖や綿がつづきます。
 19世紀に産業革命が本格化すると、町の周辺ーでは綿工業や造船業が盛んになり、アイルランドからの移民も増えて、人口は100万を超え、イギリス第2の都市として発展することになります(いまは第4位)。
 1812年にクライド川に就航した蒸気船コメット号は、ヨーロッパ初の商業蒸気船でした。しかし、産業革命は公害をも生みだします。19世紀半ば、グラスゴーには世界最大の化学工場がつくられ、もくもくと黒い煙を吐きだしていました。
 20世紀半ばをすぎると、産業構造の変化によって、グラスゴーは万年不況に見舞われ、治安もだいぶ悪化したようです。いまは金融業と文化産業によって、だいぶ持ち直してきたようです。もはやグラスゴーにはかつての工業都市のイメージはありません。
 われわれは町の東部にあるグラスゴー大聖堂に到着。近くの駐車場に車を停めて、教会を見学することにしました。
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 教会は12世紀にスコットランド王デイヴィッド1世(1080頃〜1153、在位1124〜1153)によって建てられたといいます。もちろん宗教改革の前ですね。
 デイヴィッド1世はスコットランドをノルマン風に改革し、王権を強化し、カトリックの普及に努めたとされます。教会はその後、増築を重ね、15世紀にいまのかたちになったようです。
 大聖堂は石造りの立派なファサードをもっていますが、全体が黒ずんでいるのは、たぶん煙害の影響ではないでしょうか。イタリアほど華麗ではないので、ちょっと地味な感じです。
 なかにはいってみます。おごそかな雰囲気です。木の天井が素朴さとなごやかさをかもしだしています。いいですね。
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 16世紀、イギリスでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、多くの教会が破壊されました。しかし、グラスゴー大聖堂は奇跡的に破壊を免れたといいます。
 地下には聖マンゴーの墓と地下礼拝堂がありました。聖マンゴーは6世紀後半、グラスゴーにキリスト教を広めた修道士です。
 厳粛な教会なのに、申し訳ないことながら、このときぼくはトイレに行きたくなりました。教会のなかを探しましたが、それらしい場所は見つかりません。仕方なく外に出て、トイレのありそう建物に飛びこみます。あやうくセーフでした。
 ほっと胸をなでおろし、ところで、この建物は何かとあらためて見渡してみると、聖マンゴー宗教博物館と書いてあります。聖マンゴーには、心から感謝です。
 せめて、なかを見学しなければ、ばちがあたります。ちいさな博物館ですが、2階、3階と回って、驚きました。
 何とここでは、キリスト教だけではなく、仏教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教をはじめ、世界じゅうの宗教が結集しています。メキシコの「死者の日」の骸骨像やヒンズー教の「踊るシヴァ神」は見応えがあります。
 日本語の案内パンフもあり、そこにはこう書かれていました。

〈中世の司教館跡地に建てられた当博物館は、異なる宗教を信仰する人々や、また無宗教の人々のあいだの相互理解を推進することを目的に1993年4月にオープンしました。〉

 おすすめの博物館です。
 さまざまな信仰、もしくは無信仰は、人の考え方や生き方を判断する基準となり、時に大きな誤解や偏見をもたらしがちです。しかし、争いを防ぐ第一歩は、宗教、思想、信条のちがいを認めつつ、たがいに心を開き、相互理解を深めることです。そのことを、この博物館は訴えているように感じます。
 大聖堂の隣にはネクロポリスと呼ばれる丘があります。そこから教会と街を一望してみました。
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 ここからの大聖堂は迫力があって、みるからに重厚です。
 ネクロポリスというのは、要するに墓地なのですが、その頂上にはジョン・ノックス(1505〜72)のモニュメントが立てられていました。
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 エディンバラの聖ジャイルズ大聖堂でもおなじみのノックスですね。プロテスタントでも過激なカルヴァン派の宗教指導者で、鋭い舌鋒でカトリックを排撃しました。女王メアリーがスコットランドを逃げだしたのも、ノックスのせいだったかも。そのノックスの像がネクロポリスの丘の頂上にあるのは、何やら意味ありげです。
 このあと、われわれは丘を下り、道路を渡って、プロヴァンド領主館を訪れました。
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 大聖堂は別として、グラスゴーに現存する最古の建物だとのこと。1471年に建てられ、教会の牧師が住んでいたようです。その後、プロヴァンド卿の邸宅となったため、この名前がつけられました。内部はよく保存されていて、当時の様子をうかがうことができます。
 お昼近くになったので、歩いても行ける町の中心に行ってもよかったのですが、そうするとほかを回る気がしなくなってしまうので、西にあるサイエンスセンター(科学博物館)に向かうことにしました。
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 食事は館内のビュッフェで済ませました。ぼくと陽子さんはサンドイッチとスープをとりましたが、意外と美味でした。昼はこれくらいがちょうどいいと思った次第です。
 娘一家はなかを見学。そのかん、われわれ老夫婦は周囲を散策することにしました。
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 クライド川が流れています。向こうにみえるのは、おそらくグラスゴー大学の尖塔です。
 アダム・スミスはグラスゴー大学を卒業し、その後各地を回ってから、この大学で10年間ほど道徳哲学や法学を教えていました。そして故郷に近いエディンバラでなくなります。
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 帆船が係留されているあたりには、海洋博物館があるようです。右の建物がそうですね。
 サイエンスセンターの周辺には、かつて巨大なドックがありました。
 いまは造船所もなくなり、ユリカモメがのんびり日を浴びています。
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 宿にはいるまで、もう少し時間があります。そこでグラスゴー大学の脇にあるケルヴィングローヴ美術・博物館に行くことにしました。
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 じつはあまり期待していなかったのですが、ここでぼくはダリのキリスト像に出会い、心震えました。十字架のキリストは天空に向かってはばたいているようにもみえます。こういうキリスト像は見たことがありません。
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 この美術・博物館にはターナーやマネの絵も収蔵されています。ほかにマッキントッシュの工芸品も見ることができ大満足でした。
 チャールズ・マッキントッシュ(1868〜1928)はグラスゴーの建築家、デザイナーで、斬新な建物や工芸品、インテリアを生みだしました。
 いろいろなデザインの椅子をつくり、晩年には水彩画もかいています。日本でももっと紹介されていい人だと思います。
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 宿に着いたのは夕方5時半ごろ。地図ではよくわからなかったのですが、急坂を上って右折した狭い通りにありました。
 場所はマッキントッシュの設計したグラスゴー美術学校のすぐ近く。しかし、工事中で学校の建物が見られなかったのは残念。
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 ホテルの料金は先払いで、びっくりしたのはエレベーターがなく、4階(表示としては3階)までバッグを運ばなければなりませんでした。その体力が残っていたことに感謝。
 屋根裏部屋からは町がよくみえます。
一休みして、みんなでにぎやかなブキャナン通りまで歩きました。
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 そのあと、宿の近くまで戻り、インド料理店で食事。これが値段も手ごろで、なかなかうまいのに驚きます。ただしアルコールは出してくれません。これがほんとうのインド料理店です。店内にはインド映画を紹介するコーナーもつくられていました。
 アルコールが飲めなかった代わりに、たっぷり甘いものをいただきました。血糖値がだいぶ上がったかもしれません。
 明日は、いよいよハイランド(高地地方)へ。

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