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橋本治『二十世紀』を読んでみる(2) [本]

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 何かヘンだというところから始まるのが橋本治流である。
 この本では1900年から2000年までが扱われている。
ふつう20世紀といえば、1901年から2000年までというのが常識だろう。スタートが、なぜ1900年ではないのだろうか。
それは紀元1世紀を考えてみればよい。西暦の紀元はキリストの生誕によってはじまる。ところが紀元ゼロ年という年はないのだ。だから、1世紀は紀元1年から100年までということになる。
 ところが、実際にヨーロッパでは1900年に「新世紀」が盛大に祝われたという。1900年はもはや世紀末ではないという気分はよくわかる。
このころはヨーロッパの全盛時代だった。ヨーロッパで世紀という発想が意識されるようになるのは、18世紀になってからで、それまで新世紀の到来を祝うという習慣はなかったという。
 しかし、ヨーロッパにとって、20世紀は「栄光の100年」にはならなかった。
1901年、イギリスではヴィクトリア女王が死に、日本では昭和天皇が生まれる。
 橋本治はこんなふうに書いている。

〈大英帝国の象徴ヴィクトリア女王の死によって始まる20世紀とは、イギリスとヨーロッパが段階を追って没落して行く時間でもあった。第1次世界大戦があり、第2次世界大戦があり、この二つの大戦を通してヨーロッパの国力は削がれ、20世紀後半の世界はアメリカ・ソ連の二大国のものとなる。しかし1980年代になるとこの二大国も傾いて、世界は「日本の時代」になる。昭和天皇を“象徴”としていただいていた日本は、やがて空前絶後の繁栄を誇るようになり、そしてその日本は、昭和の終焉と共にガタガタになる。なぜなんだろう?〉

 いまや「米中冷戦」の時代である。
なぜ、こんなふうに歴史は動くのだろう。
 それはともかく、橋本治がおもしろいのは、大きなできごとよりも、むしろ身近なできごとに光をあてるところだ。
 日本にガスこんろが登場したのは20世紀のはじめだという。
それまでガスは灯火として使われていた。ガス灯である。それが電灯に取って代わられると、ガスはこんろとして家庭のなかにはいりこむようになる。
とはいえ、日本の一般家庭にガスこんろが普及するまでには、それから50年以上かかる。戦前は炭や薪が一般的だった。そういえば、小学校のころ、ぼくもかまどで木っ端を燃やして、ご飯をたいていた。
 1903年にはライト兄弟が空を飛んだ。グライダーはすでに発明されている。ライト兄弟が画期的だったのは、モーター・エンジン付きの飛行機をつくったことである。
自動車もすでに19世紀からあった。だが、最初はゴムタイヤがなかった。
 そのあと改良が急速に進む。1903年にはフォードが自動車会社を設立し、1909年には飛行機がドーヴァー海峡を渡り、1914年の第1次世界大戦では、すでに空中戦を演じるまでになる。
 橋本治によれば、20世紀はけっして発明の世紀ではない。

〈19世紀は、とんでもなくいろんなものが空想され、必要とされ、利用され、その結果、様々な発明発見がなされた時代なのだが、この19世紀の目覚ましさに比べれば、20世紀はろくな発明発見をしていない。〉

 20世紀になって発明されたのは「飛行機とラジオとテレビと原子爆弾ぐらい」で、ほかのものは19世紀にあらかたつくられていたというのだ。ただ、20世紀には、それらが大量に商品化され、普及し、人びとの生活を変えていくことになる。
 できるだけ大きな歴史にふれないのが、この本の特徴だが、1904年の日露戦争には「仕方なく」ふれている。
日本が近代化の道を歩んだ(つまりヨーロッパの真似をした)のは、「ボヤボヤしていたらインドや中国の二の舞い」になると考えたからだという。そして、「戦争に負けるはずのない大国」であるロシアを破ったあと、日本は朝鮮を支配し、「加害者」になった。
 1906年に夏目漱石は『坊っちゃん』を発表する。

〈夏目漱石が登場して流暢な現代文を書いてくれるまで、我々は今口にしている言葉で文章を書けなかったし、もしかしたら、話すことだって出来なかったのかもしれないのだ。〉

 ほんとうに漱石のなしとげた仕事は大きい。
20世紀にはふたつの世界大戦が発生する。しかし、それを除けば、「意外なことに、20世紀はなにごともない普通の年で満ち満ちている」と橋本は書く。
1908年にはヨーロッパやアメリカで女性運動が広がる。イギリスでは女性参政権を求めるデモ隊が国会に突入する。日本では初の女優養成所がつくられる。
1909年には上海で「国際アヘン会議」が開かれる。
アヘン戦争が勃発したのはその66年前。この時点でも、イギリスは「麻薬を売る自国民の権利」を守ろうとしていた。人に害を与える商品や、つくりすぎた商品を外国に売りつけるといった風習は、カネ儲けに由来する「悪い病気」だ、と橋本は断言する。
世界ではじめて「父の日」ができたのは1910年。「母の日」に遅れること2年。
この年、日本では大逆事件が発生する。
「大逆事件というのは、明治政府がしでかした“社会主義者への弾圧”と、暗黒裁判の典型である」
日本では「父」は圧制者の別名であり、毎日が「父の日」のようなものだった、と橋本は皮肉を飛ばす。
さて、ここまでKindleにハイライトをつけながら書いてきたが、そろそろ限界のようである。やはりパラパラとめくれる紙の本に軍配を上げたい。本にとって、パラパラとめくれるというのは、とてもだいじな要素で、ページをいったりきたりしていると、なぜか活字が頭に飛びこんできてくれるような気がするのだ。
そんなわけで、ここからは、紙の本で、のんびり『二十世紀』を読むことにする。いまのはじまりがえがかれている。

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