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ブハラ──ウズベキスタンの旅(7) [旅]

 5月13日(月)
 ウズベキスタン中南部のブハラに着いたのは、きのうの深夜でした。
 けさは8時半にホテルを出発します。
 ブハラは古代から砂漠のオアシスでした。7世紀に玄奘三蔵もサマルカンドをへて、ブハラを訪れています。
 ブハラはもともとゾロアスター教の町だったとガイドさん。
 8世紀にアラブに征服されてから、イスラム世界にはいり、10世紀のサーマーン朝時代に繁栄します。その後、11世紀にはカラハン朝、つづいてホラズムシャー朝の時代を迎えますが、13世紀前半にモンゴル軍の侵略で町は大きく破壊されます。
 チンギスハンの征服から100年後にブハラを訪れた大旅行家イブン・バトゥータは、ほとんど廃墟のままの町をみて驚き、「ブハラの住民は今日だれひとりとしてイスラムの教えを知っている者もなく、またそれを知ろうともしない」と嘆いています。
 しかし、その後、イスラム復興がはじまります。
 15世紀にはティムール朝、16世紀終わりにブハラ・ハン国、19世紀後半からロシアの保護領、そして20世紀にソ連の支配下にはいり、1991年に独立という経緯をたどるのですが、ややこしい歴史はこれくらいにして、とりあえずブハラの町にでましょう。
 バスはまずイチスロハット公園に。観覧車があります。朝早いせいか、まだ家族連れの姿はありません。
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 イスマイール・サーマニ廟はこの公園のなかにあります。
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 この廟は、サーマーン朝のイスマイール・サーマニが9世紀から10世紀にかけ、父親のために建設したものです。チンギスハンが来襲したときには、地中に埋めてあったため、丘と思われ、破壊を免れたといいます。発掘されたのは1925年のことです。
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 イスラム様式だが、あちこちにゾロアスターの模様が刻まれている、とガイドさんのお得意の説明がはいります。
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 廟の前で記念写真を撮ってもらいました。早くもバテ気味です。
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 桑の木があちこち植わっています。白い実がなっていますね。桑の実をつんでいる少年がいました。
_DSC1118Morus albaイスマイール・サーマーニ廟/ブハラ.JPG
 金属製の皿をつくっているお店があります。
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 コウノトリの像が上に乗っているのはチャシュマ・アイユブ廟。現在は水の博物館になっています。
_DSC1146チャシュマ・アイユブ/ブハラ.JPG
 ここで、ほんらいのコースはバスに戻って、アルク城前を通過し、カラーン・ミナレットに向かうのですが、ガイドさんが歩いて行きましょうといってくれたおかげで、われわれは思わぬモスクと遭遇することができました。
 それがボラハウズ・モスクでした。1712年につくられましたが、ロシア革命時代には倉庫となり、1970年代に修復されたといいます。前面に立つ20本のクルミの柱がみごとです。
_DSC1153ボラハウズ・モスク/ブハラ.JPG
 その天井も壮麗で、木のぬくもりが感じられます。
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 さらにアップしてみましょう。
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 中に入るとブルーのイメージが広がります。
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 池に映るモスクの姿も幻想的でした。
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 ボラハウズという名前には、どこが聞き覚えがありました。帰国してから本棚を探して、それが書かれている本をみつけました。
 リシャルド・カプシチンスキの『帝国』(工藤幸雄訳)です。工藤先生がポーランドのこの優れたジャーナリストのことを「カプさん」と呼んでいたことを思いだします。
 そのカプシチンスキは、1967年にここブハラにやってきて、チャイハナ(茶店)でお茶を飲んでいるときに、このモスクを見つけたのでした。
『帝国』のなかで、かれはこう書いています。

〈そちらにはすばらしいイスラームの寺院(モスク)が建っていた。
 モスクに目を惹かれたのは、それが木造だったせいだ。イスラームの建築は石と粘土を用い、木造はめったにない。おまけに、砂漠の午後のうだるように暑い静けさのなかで、モスクの奥からなにかがぶつかり合う音が聞こえた。ぼくはポットを置いたまま、その正体を確かめに行った。
 鳴っているのは、ビリヤードの球だった。
モスクの名はボロ・ハウズという。18世紀中央アジア建築の貴重な遺構、当時の姿を止める唯一のものだ。ボロ・ハウズの門口も外壁も、木の装飾で飾られ、その美しさ、精巧さは、類を見ない。だれもが舌を巻く。
 ぼくはなかを見た。グリーンの卓が6台並び、どの台も明るい前髪を乱した若者が取り巻いて、ビリヤードに興じていた。〉

 なんと、1967年には、ボラハウズ・モスクはビリヤード場になっていたのです。ガイドさんが、ソ連時代は倉庫だったというのは、けっしてまちがいではなかったのです。

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