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金子直史『生きることばへ』を読みながら(3) [人]

 金子さんの日記から。
 夏の盛り。
 日赤の検査で、マーカー値が上がる。薬をフォルフィリにするかどうか。ためらう。いったんはじめたら、やめられない。未明まで酒を飲む。けっきょく、フォルフォックスをつづけることに。
 土曜午後の逗子海岸。

〈この日も海は、ものすごい光にあふれていた。8月半ばの逗子海岸。心にそそぎ込まれる光は熱く、見渡すかぎり、命が、それはほとばしるようだ。さんざめくように……〉

 8月24日から27日まで家族で沖縄に行く。これが最後の家族旅行となった。「交換日記」には「ほんと、サイコーの時間だったな!」と書く。
 夏の終わり。新しい抗がん剤、イリノテカンをはじめる。フォルフィリと併用だ。
 毎日の職場。変わらない日常。日常のなかでは、死は夢のように感じられる。とはいえ、徐々に増す痛み、クスリの副作用やしびれなどは、紛れもなくリアルだ。

〈ただし、ある瞬間、…例えば汐留の社屋から外に出て、眩しい陽光が汐留のビル群の間をいっぱいにしているのを見て、ふと、稲妻のように、「うそだろ? おれが…え! 死ぬの? うそだろ!」といった気分になる。でもそれは、すぐに日常の時間の中に埋めこまれる。〉

 逗子海岸。海の家は終わり、海水浴客はまばら。

〈おれは、本当に海と空と風と、そして太陽が好きだ。……泳いでいると、からだが透明になってくる気がする。〉

 歩くと、尾てい骨あたりの痛みが強くなる。
 未明に激痛が走ることも。
 メシアンのピアノ曲を聞く。

〈いつまで生きられるか。やはり、あくまで不安はない。痛みを始め、起きていく身体の不調に、どのように対処していくか、という課題があるだけだ。〉

 仕事は休みなくつづけている。石牟礼道子の『春の城』をはじめ、新刊紹介をいくつも書く。
 フォルフィリとイリノテカン。少し痛みが緩和されたような気がする。
 10月になって、来年用の企画を立てようと思った。
 仕事はいそがしい。ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの原稿を受け取ったり、加藤典洋の評論を処理したり、沖縄に行き、石川真生の取材をしたり、と。
 来年の企画を2本立てる。ひとつは「遠近法の現代図」。これはいわば比較日本近現代史だ。もうひとつは「生きることばへ」。自分にひきつけながら、生と死と希望をテーマにする。
「神よ、神さまよ。少しでも長く、おれに時間をくれ」
 このころ、眠れなくなる。「1時間寝て、痛みで起きの繰り返し」
 激しい痛み。歩けない。立っていると痛みで脂汗。
 日赤でモルヒネ入りの粉末をもらう。
 11月。抗がん剤に加え、痛み止めを服用する。夜はモルヒネを飲まないと眠れなくなる。
 休みに夫婦で長野を旅行。小布施や北斎記念館を訪れ、山田温泉に泊まった。これが夫婦最後での旅行になった。
 日赤での抗がん剤治療はつづいているが、マーカー値がまた上がったことにショックを受ける。
 12月。抗がん剤治療がつづく。副作用でものすごい眠気。そのくせ、痛みのため夜が眠れないので、モルヒネを服用しなければならない。
 ステント交換手術もおこなった。
 年末からは毎週1本の割合で、「生きることばへ」の連載出稿がはじまる。最初の出稿は無言館の話だ。つづいて、正岡子規の話。
 第1回の冒頭。

〈人は普段、いつもの平穏な日常が続くことを疑わない。だから思いも寄らない病や命の危険に突然直面すると、未来への不安、死への恐怖が避けようもなく広がる。そこで人の生、そして死は、どう見えてくるのだろう。その問いに正面から向き合った文化人らの作品を読み解きながら、生きるための希望を探りたい。〉

 子規の『病牀六尺』については、こう書く。

〈一読して実感したのは、進行する病と近づく死を前にした子規の意外なほどの明るさだった。ありがちな病者の悲哀とは全く違う。病気を相対化し、その深刻さを笑おうとする生きる心の強さが、その時の私に強い印象を与えたのだろう。〉

 実感がこもっている。
 そして、2018年1月になった。
 緩和ケアを受けながらの原稿執筆がつづく。

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