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『沖縄アンダーグラウンド』(藤井誠二著)から教わったこと [本]

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 6カ月待ちで、先日、図書館でこの本を借りることができた。
 本はできれば買うほうがいいのだが、年金生活者の小遣いはかぎられているし、本棚のスペースもない。
 本は買ったほうがいいという理由ははっきりしている。図書館で借りた本は、どうしても斜め読みしてしまい、精読しないからだ。
 買った本は積んどくになってしまう可能性も強いが、それでもいつか読むかもしれない。ぼくがいなくなれば処分されてしまうにしても、とりあえずはスタンバイの状態にある。
 そんなわけで、この本もぱらぱらと目を通しただけで、返却の期限がきてしまった。
 たいへんな力作であることだけは感じられた。戦後、沖縄の底辺に存在した売春街と、そこに生きた人たちを取材したルポである。
 ルポルタージュのありがたさは、そこに行ったことのないぼくのような人間にも、現場の生々しさを伝えてくれることだ。
 著者がはじめて沖縄の売春街にぶつかったのは、20年前、タクシーの運転手の案内で、宜野湾市の真栄原新町を訪れたときだという。そこは特飲街と呼ばれていて、ネオンサインのついたプレハブ小屋が立ち並び、公然と「ちょんの間」の商売がおこなわれていた。
 しかし、いまは沖縄にこうした売春街は残っていない。2010年ごろから、警察の取り締まりが厳しくなり、地元住民による「浄化運動」がくり広げられたためだ。
 だが、著者はその後も、終戦後に生まれた沖縄の売春街の痕跡をたどり、その歴史をたどる旅をつづける。もともと真栄原新町が米軍の普天間基地に付随する色街としてつくられたことも知った。
 戦後の沖縄では「占領軍である米兵による住民に対する凶悪犯罪が沖縄各地で頻発し、まるで狩りを楽しむかのような女性への性暴力事件も絶えなかった」。そして、これを防ぐために、住民たちが人為的に「売春地域」をつくった面もあったという。
 本土復帰を前にした1969年になっても、沖縄本島では主に南部から中部にかけて県内27カ所に特飲街があり、1万人以上の売春婦がはたらいていたとのこと。
 女性たちが売春をはじめたのは借金や生活のためだ。
 相手ははじめは米兵だったが、次第に日本人が多くなっていったという。
 著者は宜野湾の真栄原新町や吉原だけではなく、那覇の辻と呼ばれる一帯も訪れ、戦前の遊郭の様子をもたどったりもしている。
 懐かしかったのは、著者が1971年に公開された映画『モトシンカカランヌー』にふれ、その主人公アケミのその後をたどろうとした部分だ。あのころのことを思いだした。
 親友が竹中労の大ファンで、その関係で、ぼくはこの映画の存在を知った。けっきょく見ることはなかったので、ぼくにとっても幻のドキュメンタリー映画である。
 モトシンカカランヌーとは、元銭がかからないということ。つまり、アケミという17歳の売春女性の姿を追った作品である。彼女はコザ(現沖縄市)の照屋に住んでいた。
 あのころぼくは新左翼の沖縄奪還論者ではなく、親友に倣って竹中労の『琉球共和国──汝、花を武器とせよ!』を絶賛していたことを思いだす。その親友もいまはこの世にいない。
 本書によれば、『モトシンカカランヌー』の主人公アケミのその後の消息もわからないという。

 それにしても、占領米軍が「レイプの軍隊」だったという記述には、やはり驚きを隠せない。

〈上陸時から米兵は沖縄の民間人に対して傍若無人にふるまい、凶悪犯罪、とりわけレイプ事件を頻発させた。……『沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月〜2008年10月』によれば、1945年12月10日から46年5月25日までの半年弱の期間だけでも、米海軍第9軍事警察大隊が沖縄女性に対するレイプならびにレイプ未遂で逮捕した米軍人・軍属は30人(件)にのぼるとされているが、それらの事例の加害者(容疑者)の大半は不明となっている。
 レイプ犯罪として表沙汰になっていないケースを含めると、その実数は数十倍になると推測される。1972年の本土復帰までに「確認」されているだけでも米軍兵士によるレイプ犯罪は500件以上とされており、アメリカにおける刊行物の中ですら、被害者は1万人以上にのぼると書かれることもある。〉

 レイプ事件を含む米兵による凶悪な犯罪は、ほとんど闇に葬られた。そして現在にいたっても、米兵による性犯罪はなくなっていない。
 戦後、沖縄には特飲街が生まれた。最初にできたのはコザの八重島で、「ニュー・コザ」と呼ばれていた。
 その街はダブル・スタンダードの上に成り立っていた、と著者はいう。

〈戦後のアメリカ施政下の沖縄では「売春」は、法的な建前としては禁止されていたが、「売買春」は半ば公然と行われ、それを専業とする街があちこちにできていく。「買春」する側は圧倒的に米兵や軍属であり、彼らが落とす莫大なドル、すなわち「売春経済」によって、少なからぬ人々が生計を立てるという構造ができ上がる。米軍側も沖縄側もダブルスタンダードに乗り続けてきたということになるだろう。〉

 しかし、その街の実態は悲しかった。そのなかを女性たちは生き抜く。
 沖縄で売春をしていた女性たちに、奄美出身者が多かったというのも驚きである。
 いま沖縄では、かつての売春街は「浄化」され、ほとんど跡形しか残っていない。
「あとがき」で、著者はこう書いている。

〈売春街の歴史は、凄絶な地上戦に巻き込まれ甚大な犠牲を強いられた沖縄の、戦後の歩みと深く呼応し合っており、現在も日本国内の米軍基地の総面積の75パーセントが集中する沖縄の現実と不可分の関係にあるのだ。……米軍基地と無理矢理共存させられる側の「恐怖」は今も続いている。このことが、沖縄の外側にいる私たちにとって不可視のままであっていいはずがない。〉

 真実は隠された部分、あえていえば「呪われた部分」にこそ、ひそんでいる。その扉を開けようと奮闘した著者に多くのことを教えられた。
 沖縄を忘れてはならない。

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