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王宮──カンボジア2019春ツアー(2) [旅]

2月14日(木)
朝起きて、部屋の窓から周囲の様子を写真に収めます。
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ビルの谷間に寺院のようなものもみえます。
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7時バイキングの朝食。中国の人が多い。ガイドさんによると5年ほど前から、中国人観光客が猛烈な勢いで増えているといいます。
観光客だけでなく中国資本の進出も際立っており、ビルの建設ラッシュがつづいています。そのため土地価格も高騰し、プノンペンの地価がいまでは1平米あたり5000ドルから1万ドルもするとか。
ホテルの前の食堂で、大勢の人が出勤前の朝食をとっていました。
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8時すぎホテルを出発。朝から大渋滞です。要人や政府幹部が通ると、その都度交通が遮断されるといいます。トヨタの車もよく見かけます。日本企業では、シャープやスズキ、コニカ、日立、ソニー、キヤノンなども健闘しているようです。これはファーウェイとサムソンの店。
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中国製品にくらべ、日本製品の品質の高さはいまも評価されているとか。独立記念塔が見えてきます。シアヌーク殿下の像も。写真はバスのなかからほんの一瞬。毎年11月9日は独立記念日で祝日となるそうです。1953年のこの日、カンボジアはフランスからの独立を宣言しました。
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路上で、ちまきを売るおばさんの姿。
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8時半、王宮に到着します。
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サルスベリが花を咲かせています。マンゴーの木もありました。
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王宮の入り口に。
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バナナの木がありました。
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ガイドさんによると、これは沙羅双樹の木だといいます。
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その花です。白い花だと思っていたのですが、赤い花なんですね。沙羅双樹はカンボジアの国花になっています。
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ガイドさんによると、カンボジアの歴史はアンコール時代を中心に3つに分かれるそうです。
1世紀ごろから802年までは前アンコール時代、それから802年から1431年までが、アンコール時代。それから1431年から1863年までが後アンコール時代です。
その後は近代です。
カンボジアは1863年から約90年にわたって、フランスの植民地になります。
1953年の独立後は苦難の歴史がつづきました。シアヌーク時代、ロン・ノル時代、ポル・ポト時代、ベトナムの侵攻、王制復古と現在のフン・セン時代というわけです。
ガイドさんは、プノンペンに王宮ができたのは1432年ごろではないかといいます。このころ、アンコールの都はシャム(タイ)のアユタヤ朝によって陥落しました。その後、カンボジアの王朝は存続したものの、シャムとベトナムに隷属する状態がつづきます。
プノンペンが都になるのは1866年のことで、すでにフランス植民地時代にはいっています。その前はウドンというところに都がありました。
現在の王宮はフランス時代に建てられたものです。メインの建物が即位殿で、いまも謁見はここでおこなわれるようです。
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柱の菩薩像がおもしろいですね。
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尖塔の観音さまが東西南北を見ています。
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屋根や階段などには、あちこちにヘビの図像が……。ナーガ(コブラ)はブッダの守り神です。
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即位殿の内部は撮影できませんでしたが、その天井にはラーマーヤナの物語が描かれており、内戦のときも被害にあわなかったそうです。
即位殿の奥には王の住居がありますが、ここはもちろん立ち入り禁止です。青いカーテンが下りているときは、在宅中だといいます。この日は青いカーテンが下りていました。
現在のシハモニ国王は66歳ですが、まだ結婚していないそうです。外国に彼女がいるが、結婚が認められていないため、いちおう独身というかたちになっている、とガイドさん。王位はお兄さんの息子が継ぐといわれているとも解説してくれました。
ナポレオン三世の妻が提供した洋館「ナポレオン三世の館」は現在、修理中で、見学できませんでした。
これは宴会ホール。われわれは、この宴会ホールと工事中の「ナポレオン三世の館」(写真右側)のあいだを通って、王宮の次の区画、シルバーパゴダに向かいます。
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