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危機の時代──ホブズボーム『20世紀の歴史』をかじってみる(7) [われらの時代]

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 ここから、最後の第Ⅲ部「地すべり」にはいる。1970年代からソ連崩壊前後までを追っている。全部で6章にわかれているが、最初に「第14章 危機の時代」を読んでみる。
「1973年以後の20数年の歴史は、世界が方向感覚を失い、不安定と危機にすべり込んでいく歴史である」とホブズボームは書いている。
 このあたりからの記述は、どうしてもエッセイ風になってしまう。同時代を語るのはむずかしい。
 世界経済は安定を失った。大恐慌時代のような混乱はなかった。とはいえ、1973年から75年にかけ、先進国の工業生産は10%、貿易は13%減少している。先進国では、その後、経済成長の伸びは落ちている。
 例外はアジア、とりわけ中国を中心とする新興工業国で、これらの国々が20世紀末まで世界経済を引っぱっていくことになる。しかし、アフリカや西アジア、中南米では、人びとはむしろ貧しくなった。そして、ソ連が崩壊したあと、ロシアや東欧のGDPは急速に下落する。
 1973年以降、世界でふたたび現れてきたのが、失業と貧困の問題である。1980年代にはいると、もっとも豊かな国でも、ホームレスの姿をよくみるようになった。所得格差も広がっていく。低所得層に転落する中間層も増えてきた。国の歳入も減り、社会保障の財源を確保するのもむずかしくなってくる。
「この危機の20数年の中心的な事実は、資本主義がもはや黄金時代のように機能しなくなったという点にあった」とホブズボームはいう。これまでのケインズ政策はうまくいかなくなっていた。これに対抗して出てくるのが、ハイエクやフリードマンの新自由主義である。
 ちいさな政府と市場万能主義を唱える新自由主義は、新たな経済政策として、一時もてはやされた。政府のムダにメスが入れられ、国営企業の民営化が進む。しかし、政府は悪くビジネスはよいというだけでは、新しい経済政策になりえなかった。
 実際はこの時期も経済全体に占める国家の割合は、ますます大きくなっており、サッチャー政権は実際には労働党政権より多くの税を市民に課していた、とホブズボームは論じている。
 新自由主義はイデオロギーで、実際の経済政策には結びつかなかった。アメリカのレーガン政権も1979−82年の不況を乗り切るために、巨大な財政赤字と巨大な軍備増強をおこない、強引な為替管理を実施したが、これはむしろケインズ的な手法の悪用だった。
 1990年代になって、ふたたび世界経済が後退したときには、新自由主義の勢いはすでに衰えていた。
 1970年代以降、グローバル化と技術革命によって世界経済は大きく変化した。国際分業によって、工業は古い地域と国から新しい地域と国へと移動していった。技術革命には、人間の技能と労働を機械に置き換え、労働力を切り捨てていく傾向があった。
 その理由は「技術が高度になれば、生産の人的構成要素は機械的構成要素とくらべて高価になっていかざるを得ない」からだ。人間はコストとして評価される。人をできるだけ減らさなければならない(あるいは人間のコストをできるだけ低くしなければならない)。そこで構造的な失業問題が生じる。
「危機の20数年の歴史的な悲劇性は……市場経済が新しい職を発生させるよりも早くに人間を切り捨てていることにあった」とホブズボームはいう。政府も労働組合も、この流れにじゅうぶんに対応できなくなっていた。
 情報時代に新たな技術を習得するには、大きな努力を必要とした。労働力の一部を再訓練できたとしても、なくなった職を埋め合わすだけの職はなかった。それを社会保障でカバーするにも限界があった。
 それでも、人びとはどんなことをしても暮らしていかねばならない。仕事がみつかればまだましだ。ひそかに闇の経済が広がる。黄金時代が終わったあと、先進国でも下流社会が生まれつつあった、とホブズボームは記している。
 1970年代以降は、不況とリストラが社会の緊張を生み落とし、それが政治にも地殻変動をもたらしていった。
 労働者階級の分断を背景に、西側ではそれまで大きな勢力を保っていた社会民主主義政党や労働党などの既存左翼が力を失い、それぞれのテーマをかかげる小政党が誕生する。そのなかには環境問題をかかげる緑の党や、分離主義、排外主義を主張する極右政党までが含まれていた。
 先進国では以前の安定した政治構造が分解しつつあった。そして、「大衆主義的な煽動政治と、指導者個人を高度に全面的に押し出す手法と、外国人にたいする敵意とを結合している勢力」が、新しい政治勢力として台頭してくるのだ。
 危機が訪れたのは、「第二世界」の社会主義諸国も同じだった。中央集権的な経済計画は、1970年代ごろからうまくいかなくなっていた。1980年代には、社会主義的な経済計画を改革するための方策が考えだされる。それが目指していたのは、共産主義を西側の社会民主主義に似たものにすることだった。そのモデルとなったのは、スウェーデンだったという。
 だが、改革はなされない。ソ連圏の共産主義体制は硬直しており、そのため危機は体制の生死にかかわる問題となり、けっきょく体制は生き延びることができなかった、とホブズボームはいう。
ソ連圏では、社会よりも前に体制が先に崩壊した。「ソ連と東ヨーロッパの社会の枠組みは、体制の崩壊の結果として粉々に崩れた」のだと、ホブズボームはいう。
 資本主義経済のダイナミズムが、社会に激変をもたらしたのにたいして、社会主義諸国では、奇妙なことに社会の伝統的価値と習慣が、共産主義のふたによって、むしろよく保存されていた。

〈社会主義下の生活が相対的に静穏であったのは恐怖によるものではなかった。体制は、西欧的な社会転換の全面的な衝撃から市民を隔離していた。……彼ら市民が変化を経験したとすれば、それは国家を通じて、そして国家にたいする彼らの対応を通じておこった。国家が変化させようとしなかったものは、以前と同じくあまり変化しなかった。政権についた共産主義の逆説は、それは保守的だということにあった。〉

 このあたりの把握は、論議の余地があるだろう。
 第三世界にとっても、危機の20年数年は多様な影響をおよぼした。とはいえ、同じ第三世界でも、アジア諸国とペルー、サハラ以南の荒廃した国々を比較するのはほとんど無意味である。
 唯一、一般化できるとすれば、第三世界のほとんどの国が大きな債務を負っていたことだ、とホブズボームは書いている。ブラジル、メキシコ、アルゼンチンは巨額の国際債務をかかえていた。GNPにたいし相対的にもっとも大きな負債をかかえていたのはモザンビーク、タンザニア、ソマリア、ザンビア、コンゴなどアフリカの国々で、いくつかの国は戦争や経済破綻で荒廃していた。
 1980年にはメキシコをはじめ中南米諸国が債務不履行状態におちいり、金融体制が崩壊の危機に瀕する。だが、それらの国々は国際機関の助けを借りて、徐々に危機を脱することができた。
 1990年になると、利潤を目的とする先進国は第三世界の大部分を無視するようになった。外国からかなりの投資がなされていたのは、アジアでは中国、タイ、マレーシア、インドネシア、中南米ではアルゼンチン、メキシコ、ブラジルなどにかぎられていた。
 全体として、旧ソ連圏を含め、世界のかなり大きな部分が世界経済から脱落しつつあった。ソ連圏が崩壊したあと、東ヨーロッパで外国投資を招きよせているのは、ポーランドとチェコだけだった。
 危機の20数年は、金持ちの国と貧しい国との格差をさらに広げることになった。
 危機の時代には、国家の枠組みも変容してくる。
 グローバル化によって、国民国家の枠組みがゆるみ、企業も団体も国際化していったのだ。そのいっぽうで、国家からの分離と自治を求める地方分権の動きも活発になっていく。戦争と苦難の末、分離独立する国家も生まれる。だからといって、国民国家がなくなったわけではない。新国家の建設に向かわない国家の解体は、アフガニスタンやアフリカの一部のように無政府状態を生み落とすことになる。
 地球規模においては自由貿易が理想であり、国家が表向きに保護主義を唱えるのははばかられるようになった。それでも各国は、たとえば固有の産業や農業にたいして、ひそかに保護主義を発動していた。
 欧州共同体(のちに欧州連合)や北米自由貿易協定のような地域連合も生まれたが、その負担と恩恵をめぐって、各国の思惑は揺れていた。いっぽうで分離主義の動きはユーゴスラビアやチェコスロバキアの分割となってあらわれ、イタリアやスペインでの分離運動として継続した。
 戦後の文化革命にたいする反動も生まれた。伝統的な社会構造が破壊され、あまりにも個の時代になった反動として、コミュニティの必要性が叫ばれるようになる。特定のアイデンティティをもちたいという思いは強く、それが政治活動にもつながっていく。
 アイデンティティの政治と20世紀末のナショナリズムはつながっている、とホブズボームはいう。それは分離と排除、排外性への志向をももたらした。
 だが、排他主義的なアイデンティティの政治は、けっしてうまく行かない。それは問題にたいする情緒的な反応でしかないからだ。だが、国民国家はもはやそうした排他主義に対処できなくなっている。国際連合やさまざまな国際機関もまた無力である。
 にもかかわらず、欧州連合のような超国家的集合体も生まれたし、国際通貨基金、世界銀行といった金融組織もいまだに機能をはたしていることも忘れてはならない、とホブズボームはいう。コスモポリタニズム(地球村)への希望を失ってはいけないというのだろう。

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