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50年前のソウル遊学記──長璋吉『私の朝鮮語小辞典』を読む(3) [われらの時代]

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 あのころソウルの街で日本人を見分けるのは簡単だった。ワイシャツの後ろ姿をみるだけでわかってしまう。なんとなく全体の輪郭がぼやけていて、お尻がブヨーンと膨らんでいる。それに、ソウル市観光地図などをもっていて、顔もどこかまのびしていたら、まちがいなく日本人だ。
 そこで、「私」は韓国人に変装してみようと思った。まずは端正な身なりをととのえること。日本人はすこしだらしない。それにユーモアを忘れてはならない。
 しかし、「私」のこころみはあえなく挫折する。ともかく身なりからと思い、背広をつくってみたのだが、それは独特のスタイルのもので、たけが短く、ツンツルテンの感じをまぬかれなかったので、趣味にあわなかった。
 女の子も日本人とはずいぶん雰囲気がちがう。「顔つきもハデだし、からだつきもハデだし、そのうえ性格そのままに化粧もきついし、着るものもハデ」。ヤマトナデオトコの力にはあまる、と思ってしまう。それでも「私」は韓国の彼女にひかれてしまうのだから、縁は異なものである。
 韓国の人は月二度、床屋に行くのがふつうらしい。散髪料金は非常に安い。ただし髪型は韓国人風に仕上がる。
 靴はピカピカにしておかなければならない。靴磨きのこどもたちはたくさんいたし、お代も安い。ピカピカにするのは、たぶんアメリカ人の風俗を踏襲したものだ。ただし、靴を直す場合は、道路脇の陽だまりにいるおじさんを訪ねなくてはならない。スルリッポ(スリッパ)をはいて街なかを歩くのは下品とされる。
 そのころセガンギョン(色眼鏡)ははやらなくなっていた。朴大統領もセガンギョンをはずしてしまった。「私」がセガンギョンをあつらえたのは、夏の大陸的な強い陽射しをやわらげるためだった。「ソウルの地面はしらっちゃけていて、その照り返しもまた強烈だった」から。
 紳士になるにはテーブルマナーもだいじだ。最初はピビムパプが出てくると、箸でもやしを2、3本つまんで、口に押し込み、上品に食べていた。ところが、そうではないことがわかる。正しいピビムパプの食べ方は、スープをピビムパプにぶっかけ、飯と具をよくまぜて、「全身にくうよろこびを横溢させて」かき込むことなのだ。

 そんなふうにソウル生活を満喫している「私」のところにも「官災」は遠慮なくふってきた。
 あるとき「私」は在留届を出していないことに気づいた。下宿の留学生はだれもが在留許可証をもっている。それで、どきっとしたのだ。
 韓国では、3カ月以上の滞在者は60日以内に届けを出さなければ法律違反になる。空港で出入国管理局の役人が申請書をくれなかったのが原因だが、そもそもそれに気づかなかった自分が悪いのだ。
 だが、どうやって在留許可証を手にいれればいいかがわからない。まずはクチョン(区庁)、すなわち区役所に行ってみるが、要領を得ない。許可証をもらってから登録に来いという。区庁があつかうのは住民票のようなものなのだろう。
 めんどうなので、しばらくそのままにしていたら、アジュマ(おばさん)が、警察署の外事係の刑事が下宿にやってきたという。呼ぶからには行かずばならない。
 のこのこ出かけると、暗い部屋でしばらく待たされ、そのあと何人もの刑事がうろうろしている大きな部屋に連れていかれて、取り調べがはじまった。
 まずポケットの中味を出させられて、手帖も取りあげられる。そのあと追及とあいなり、カネはどうしてるとか、ドルをもっているかと聞かれる。そして、ここだけははっきりとした日本語で、「おれも人間だ、打てば響くぞ」とささやく。どうやらワイロ(おカネでも物品でもいい)の要求とわかるが、ワイロは渡さなかった。
 そして、またしばらく待たされたあげく、パスポートを返してもらい、起訴はしない、法務部の出入国管理局にいって申告しろといわれ、やっとこさ無罪放免となった。
 後日の手続きがまた面倒だったが、それを紹介していると切りがない。ともかく最後は、サインをして罰金6000ウォンを払い、ハンコを押して、ようやく在留許可証がもらえたという次第。
「私」は韓国でヌウェームル(ワイロ)が常態化していることを知る。何か便宜をはかってもらったら、お礼を渡すのが常識なのだ。
 そこで、また激辛の冗談が頭をよぎる。

〈日本の進歩的雑誌は、韓国は民主国家ではないといいたげな論文ばかりのせているが、それはまちがいだ。こんなマルタン(末端)、チョルチャ(下っ端)役人まで、堂堂と誰はばかることなく、ヌウェームル(ワイロ)をもらえるということは、ヌウェームルを受ける権利が上から下まで平等であることを物語っており、韓国が、非常に民主的な国家であることを証明してあまりある。日本のマルタン役人のことを考えてみれば、それはよく理解できるだろう。日本は非民主国家なのだ。〉

 何はともあれ、無事、在留許可証ももらったことだし、安心して街に出て、映画でも見に行くことにしよう、と「私」は思った。
そのころ、韓国では映画がいちばんてっとり早い娯楽だったのだ。
 韓国映画を上映しているのは、国際(ククチェ)、国都(ククト)、明宝(ミョンボ)劇場、その他あまた。洋画を上映しているのは大韓(テハン)、団成社(タンソンサ)、中央(チュンアン)など。ほかにホリウッドゥとか、ピカデリとかパラマウントゥなどの劇場がある。
 切符は座席の数だけしか売らないというのは良心的だ。ただし、人気の映画になると、アムピョ(闇票、闇チケット)おばさん、つまりダフ屋が活躍する。それをジャンパー姿の男たちが監視するようになった。
 韓国では映画にガム(コム)がつきもの。ガムは韓国人の楽しみのひとつだったといってもよい。「ヘッテとロッテというきょうだいみたいななまえのふたつのおカシ屋がつくっていたが、あまりかみごこちのよいものではなかった」
 切符には座席番号が記されていて、探すのがおっくうな人は、案内員(アンネウォン)の女の子に頼めば座席まで案内してくれる。
 映画の前に、広告が写され、次に国歌の演奏があって、起立しなければならない。国歌演奏は「朴政権の中興精神の昂揚政策とともにはじまったらしい」。
 そのあとが政府宣伝のニュース映画、そして社会教育のための文化映画、国防部制作のベトナム便り、反共防諜マンガ、そしてなぜか、ミーウォン(味元)、ミーウォンという甘ったるい声のコマーシャル。それが終わるか終わらないかのうちに、「カンチョブ シンゴヌン イル イル サムロ」(スパイの申告は113)という男の甲高い声がはさまる。そこで、場内のあちこちで失笑の声がおこるのを、「私」はどの映画館でも経験した。
 そのあとが予告編になって、やっとお目当ての映画となる。まじめにつきあっていると、それまででくたびれてしまう。
 そのころも、韓国のメロドラマはおもしろかった。

〈韓国映画のたのしみは、ストーリーなどを除くとすると、ニンニクバリバリくって、焼き肉モリモリくって、出演者が体力の限りをつくして押し合いへしあいする情景にあるといえる。……[たとえば]自分の肉体一個をもって、近代化の所産たるブルジョア家庭にのりこみ、これを自分の身ももろともに粉砕してしまうのは、まことに壮烈だ。〉

 その他、子役が泣かせるメロドラマ、青春映画、セックス映画(といってもじつに健全な)、陰湿な権力争いに終始する宮廷史劇、テロリストと監獄、淫乱の指導者が組み合わさった反共映画、バカ面をした日本人が登場する反日映画、みすぼらしい景勝を紹介する日本観光映画、そして人気があったのは香港の武侠映画……。「私」は韓国ですっかり映画づけになっていた。

 しかし、洞窟にこもってばかりいるのは、からだの毒だろう。
 韓国で楽しいのは何といっても花見(コンノリ)だ。

〈かの地へ行って草であれ木であれ、花を見ないというのは、かなり愚かなことに属する。かの地の花は色が美しい。久しい間、厳しい冷気にさらしつくされたような澄んだ色をしている。チマ・チョゴリのあざやかな色は、なるほどシャーマニズム的な邪気払いの風習によるところなしとはいえまいが、それにしてもその色の美しさは、やはり自然のそうした手本がなければ生れなかったのではないかという気がする。〉

 韓国で花といえば、春先のケナリ(レンギョウ)、どきっとするほど黄色い花が咲く。詩にうたわれ絵に描かれるのはメーファ(梅花)だが、街ではた記憶がない。国花のムグンファ(ムクゲ)は散っては咲き、咲いては散るが、さびしすぎて、花見向きではない。
 かくて、花見はかの地でもポッコッ(桜)にきわまるのである。時期になるとソウルの桜の名所、昌慶苑は花見客でごった返す。一時、桜は倭色花だという議論もあった(たしかに日本人は朝鮮に桜の木をここぞとばかりにもちこんだ)が、桜は朝鮮が原産ということになって一件落着した。
 花見(コンノリ)の主役が花ではなく、ノリのほう、すなわち遊びにあることは日本と変わりない。白黒のまんまくのなかで、呑めや歌えやがはじまり踊りとなる。そうなると花などどうでもよくなるのも日本と同じ。
 紅葉といえば全羅北道の内蔵山(ネージャンサン)だ。「私」はつれといっしょに夜行列車で出かけた。車内は混んでいて、にぎやかなうえ、物売りが次々やってきて、とてもゆっくりとは眠れなかった。
 朝、井邑(チョンウプ)駅に到着。ここから内蔵山行きのバスに乗る。トーミノル(ターミナル)で大勢人が乗り込んできて、ぎゅうぎゅうになる。
 内蔵山は満山紅葉だった。さらに鉦太鼓の音も加わる。「紅葉の山のふもとに古代的感興をかきたてる一大すぺくたくるが展開されるのだ」。しかし「若いハイカーたちは、歌垣の現場を素通りして山へ向う」ことになる。
 こうして韓国での楽しい日々はすぎていく。あとは韓国名物のヨクソル(罵詈雑言)を身につければ、論争にも勝てるようになる。

 ぼくは長璋吉の『朝鮮語小辞典』によって、政治のことばではなく、普段のことばで語られる韓国に出会ったのだった。政治を中心に考えれば生活は周辺にすぎない。しかし、生活を中心に考えれば政治は周辺になるのだ。そして生活の幅が政治の幅より広いことがわかってくれば、政治の実相(幻想たるゆえん)を見抜くことができると思うようになったのは、このころからだろうか。もっともぼくの眼力は、いまだにお粗末なものだ。予想はあたったためしがなく、失望は深まるばかりである。

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