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三浦展『大下流国家』『永続孤独社会』を読む(2) [時事]

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 きょうは前回につづき三浦展さんの『永続孤独社会』を取りあげてみよう。
 本書は『第四の消費』の続編とみてよい。そこで、第四の消費とは何かがまず説明されなければならない。
 消費社会が誕生するのは、産業革命によって大量の商品が生みだされ、それを消費する消費者が登場してからだ。そうした消費社会が生まれたのは、日本では大正時代にはいってからだとされる。
 著者によれば、「第一の消費社会」が登場するのは1912年から37年にかけてだ。そのあと、戦争によって、消費社会は中断される(異論もあるだろう)。
 この時代、東京、大阪などの大都市で人口が増え、モダン文化が興隆し、大衆消費社会が生まれる。衣食住が洋風化し、ラジオ放送がはじまり、多くの雑誌が発刊され、娯楽文化が花開き、郊外住宅が開発され、キャラメルやカルピス、ウィスキーなども発売されている。ターミナル駅に多くの百貨店が開業し、鉄筋コンクリート造りのアパートがつくられた。
「第二の消費社会」は1945年から1974年にかけてだ。
 高度経済成長時代と呼ばれるこの時代は、洗濯機、冷蔵庫、テレビの「三種の神器」、さらにカー、クーラー、カラーテレビ「3C」が普及する。マイホーム、マイカー時代が到来する。少品種大量生産がこの時代の特徴だ。
 第二の消費社会はオイルショックによって終わりを告げ、そのあと「第三の消費社会」がはじまる。1975年から1997年にかけて、消費の流れは「家族から個人へ」と変化した。
 ウオークマンやパソコン、軽自動車、ミニコンなどが登場し、個人をターゲットにした多品種少量生産が主流になる。第二の消費社会で主流だったスーパーに代わってコンビニが売り上げを伸ばす。ファミリーレストランやファストフード店などの外食産業が急成長する。ブランド志向、高級化、カタログ文化が進む。物質主義から自分らしさ、生きがいなど心の領域が重視されるようになる。ディスカバージャパンがはじまる時代でもある。
 そんな第三の消費社会も、山一証券が破綻した1997年には終わり、1998年以降、「第四の消費社会」がはじまったと著者はみている。この時代には、二度の大震災がおこり、非正規雇用が広がり、個人化、孤立化が進んだ。自殺者も多くなり、凶悪犯罪も目立つようになった。
 この時代の特徴は脱私有化志向だという。フリーマーケットやリサイクル、古着、リノベーションが進んだ。できるだけモノを買わない、貯めない、自分だけで私有せずみんなで共有するという考え方が生まれてきた。シェアやレンタルが注目されるようになった。こうした傾向は3・11の東日本大震災後にとりわけ加速されたという。
「人々が、モノ、コト、場所、時間、知恵、力などをシェアすることで価値を共有し、共感し、分断ではなくつながりを生み出す」といった時代がはじまったのだ。日本志向、地方志向、シンプル志向、エコ志向が強くなっている。シェアハウスも人気を呼んでいる。
 衣食住、文化、レジャーなどの基本的欲求が満たされるようになったいま、人びとはどこに向かおうとしているのか。
 消費は生産の一部ではない、と著者はいう。消費社会が発展していくにつれ、消費は単なる物の消費から人間的サービスの消費と変わり、そこからさらに、みずからの充足を求めて、みずからの生活を創りだし、人と人との関係を創りだすものになりつつあるという。
 いまは魔法のような(ヴァーチャルな)時代だ。生活の実感がない。
魔法の時代はいまも進行している。パソコンやスマホ、ゲーム、インスタ、ヴァーチャルな映像や音楽が日常を支配している。
 そんななかで、自分なりの生活を取り戻すこころみもはじまっている。中古品を買うどころか、拾ったものを利用したり、自分で考えて必要なものをつくるのもトレンドだという。
 買ったモノに翻弄されて人生を消費するよりも、充実した時間を過ごして満足する方向が模索されはじめている。人と人とのコミュニケーションに楽しさを見つけ、悲しさを受け止めてもらえる、そんな共感の場がこれからの社会に求められるという。
 生涯未婚率や離婚率の高さ、伴侶との離別などが重なり、これからの社会は総シングル化していくといわれる。親に寄生するパラサイトシングルも、単独世帯もどんどん高齢化している。
 シングル世帯だけではない。病人や高齢者をかかえた家庭も多くなっている。児童虐待も増えている。これまで家庭内のケアは主に主婦が担っていたが、いまやそんな時代ではない。ケアは個人がお金を出して得なければならなくなった。
 住宅の維持・管理や高齢者の世話、子どもの教育、医療も、時に食事も、ある意味ではケアであって、そうしたケア市場が膨らんでいる。
 加えてリスク社会である。
 結婚や親の介護、子育て、老後、仕事、健康、資産管理にもリスクがある。コロナやインフルエンザ、天候異変、テロ、大地震、津波、原発事故にも備えなくてはならない。こんななかで伸びているのは、旅行、娯楽、散策などの時間消費、健康消費、癒やし消費くらいなものだという。
 ひとりで生きていく覚悟をする女性はジムやヨガに通い、癒やしよりも強さを求めるようになった。
 シェアハウスやルームシェアは増えているが、2019年以降は伸び悩んでいる。住宅のリノベーションもマンネリ気味だ。つながりやきずなにも飽きがきている。シンプル志向や日本志向も頭打ちになりつつある。「第四の消費」もそろそろ曲がり角にきている。
 ここで、著者は最近の状況を「永続孤独社会」という呼び方で表現している。
 落ちこぼれ、孤独、格差、自殺、虐待、殺人。どう考えても、いまの社会はおかしい。そんな重要なシグナルが発されているのに、人はそれは自分とは無関係と思い込み、ただのニュースとして処理しようとする。
 若い人のあいだでも、「人生を楽しみたい」と思う人より、「無気力あきらめ派」が増えているという。やりたいと願う仕事につけない人が増えている。
 若い男性、若い女性、一人暮らしの人、いわゆるパラサイトシングルの人ほど孤独感が強いのだという。これからは生涯未婚の単独世帯が増えていく。いまは孤独でなくても、人は離婚や死別を含め、たくさんの経済リスクや「孤独になるリスク」をかかえている。介護という問題もある。家族を介護する人は孤独度が高まる傾向がある。
「永続孤独社会」がはじまっているのだ。
 若い世代の多くは家族や友人・知人とのコミュニケーションがうまくいかないこと、健康への不安などから孤独を感じるという。恋人がいても孤独を感じる人が増えているらしい。加えて、未婚期間が長いこと、あるいは生涯未婚であることが、孤独感をいやます。場合によっては、それに親の介護がのしかかってくる。
 未婚が多いのは、条件や性格、価値観を含め、人と人とのマッチングがむずかしいからである。商品を選ぶように結婚相手を選ぼうとすると、満足できそうな相手はなかなか見つからないし、選択に失敗するということも大いにありうる。そこで「あきらめ派」も増えてくる。
「親ガチャ」(親を選べない)という言い方がはやり、「運命」や「宿命」を強く感じ、そのくせ「奇跡」がおこるのを待っているのが、現代の若者に共通する心象風景だという。
「個人化」が進み、各人が各人の「多様性」を認め、「寛容性」をよそおい、互いに交わらない人間関係のもとで暮らす孤独社会が生まれている。
そこからはみ出して、接近してくる人は「うざい」として排斥される。永続的な愛情などは信じられなくなり、それに代わって、一時の「つながり」や「ご縁」が尊重される。
 恋愛もストリーミング化され、気分に応じて相手が選択される。さらにメタバースの時代になると、自分好みの恋愛対象がつくられる。
 近年、若者の性行動は消極化しているといわれる。SNSを利用した事件もおきたりするが、どちらかというとリアルからの撤退が進み、ヴァーチャルで満足する傾向が進んでいるのではないかという。
 メタバース時代には「第四の消費」も終わっているかもしれない。
「第五の消費」がどのようなものになるかは、まだわからない、と著者はいう。しかし、すでにはじまっているメタバースに著者は懐疑的である。
「本当に孤独に陥ってメタバースに逃げ込まなくてはならない前に、シェア的なライフスタイルの中に自分を自然に位置づけられるような社会・コミュニティの仕組みが必要であろう」と書いているからである。
 無駄なものは買わず、のんびりマイペースで、人生を楽しむというのが「第四の消費」の方向だが、実際は生活がきつきつで、それどころではない人が増えている。
 著者が探ろうとしているのは、新しいまちづくりだ。
 コロナ禍によって仕事や子育てなどでダメージを受けた若者と女性たちが主導権を握って、まちをつくりなおしていかなければならない。そのためには「若者特区」や「女性特区」のようなものをつくらないといけないと提唱している。
 消費社会を推し進めるだけでは、人はすりつぶされてしまうばかりだ。生活の場をつくりなおすことが求められている。

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