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天皇機関説──美濃部達吉遠望(3) [美濃部達吉遠望]

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 静まりかえった貴族院の議場で、美濃部は菊池への反論を開始する。

〈菊池男爵は私の著書をもって、わが国体を否認し、君主主権を否定するもののごとくに論ぜられておりますが、それこそ実に同君が私の著書を読まれておりませぬか、または読んでもそれを理解せられておらない明白な証拠であります。わが憲法上、国家統治の大権が天皇に属するということは、天下万民一人としてこれを疑うべき者のあるべきはずはないのであります。〉

 国家統治の大権が天皇に属することは帝国憲法に明記されており、それを疑う者はいない。まして、私の著書に、国体を否認し、君主主権を否定するようなことは、どこにも書かれていない、と美濃部は言う。
 さらに、達吉は日本の憲法の原則は、君主主権主義に立憲主義の要素を加えたもので、このことは「将来永遠にわたって動かすべからざるもの」だと強調した。
 ただし、天皇の統治大権は万能無制限の権力ではなく、憲法によって定められた権能だと説明した。
 天皇はけっして自分の利益のため、あるいは自身の目的のために、国家統治の大権を有しているわけではない。

〈天皇はわが国開闢(かいびゃく)以来、天の下しろしめす大君と仰がれたもうのでありますが、天の下しろしめすのは、けっしてご一身のためではなく、全国家のためであるということは、古来常に意識せられていたことでありまするし、歴代の天皇の大詔(たいしょう)のなかにも、そのことを明示されているものが少なくないのであります。〉

 天皇が統治するのは、自身のためでも、その一家のためでもなく、国家のためだ、と達吉は強調する。さらに、そこが日本が西洋とちがっているところで、西洋では国王が国家を私物化することがあったが、日本ではこうしたことは一度もなかったと論じた。
 このあたり、達吉の弁論は巧みである。西洋にない日本のよさを示して、軍人出身者を含む議員たちの矜持(きょうじ)をくすぐっている。
 憲法をつくった伊藤博文の考えを紹介し、さらに『古事記』の一節を取り上げながら、天皇が統治するのは、私のためではなく、あくまでも天下国家のためだということを、さらに強調する。

〈しこうして、天皇が天の下しろしまするのは、天下国家のためであり、その目的の帰属するところは、永遠恒久の団体たる国家であると観念いたしまして、天皇は国の元首として、言い換えれば、国の最高機関としてこの国家の一切の権利を総攬(そうらん)したまい、国家の一切の活動は立法も司法もすべて天皇にその最高の源を発するものと観念するのであります。〉

 まわりくどい言い方だが、要するに天皇は国家の元首であり、国の最高機関として国家の一切の活動を総攬するのだという。
 そのうえで、達吉は天皇機関説について説明しはじめる。

〈いわゆる機関説と申しまするのは、国家それ自身で一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の団体、すなわち法律学上の言葉をもってせば一つの法人と観念いたしまして、天皇はこの法人たる国家の元首たる地位におわしまし、国家を代表して国家の一切の権利を総攬したまい、天皇が憲法に従って行わせられまする行為が、すなわち国家の行為たる効力を生ずるということをいい表わすものであります。〉

 国家はひとつの生命であり、それ自体、目的を有する法人と考えられる。天皇はその法人を代表する最高位にあって、国家の一切の権利(活動)を総攬する立場にある。天皇機関説は天皇がそうした立場にあることを示す学説にほかならない、と達吉はいう。
それであるがゆえに、天皇が憲法にしたがっておこなう行為は、国家の行為としての効力を発揮するのだ。
 国家を法人としてとらえるというのが、ドイツのイェリネックから受け継いだ美濃部学説の肝だったといえる。ここでいう法人とは、無形人でありながら、法律上の諸権利を認められた団体をいう。
 国家はそのような法人(団体)として、税を徴収したり、条約を締結したりといった国家的な行為をおこなう権利を有している。そして、その法人を代表して、その最高機関におわすのが天皇なのだ、と達吉は説明した。
 さらに、こうつけ加える。

〈率然として天皇が国家の機関たる地位にありますというようなことを申しますると、法律学の知識のない者は、あるいは不穏の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが、その意味するところは天皇はご一身、ご一家の権利として、統治権を保有したまうのではなく、それは国家の公事であり天皇はご一身をもって国家を体現したまい、国家のすべての活動は天皇にその最高の源を発し、天皇の行為が天皇のご一身上の私の行為としてではなく、国家の行為として、効力を生ずることを言い表わすものであります。〉

 こうした説明も、国家が法人だとする規定から出発している。法人の代表は、いうまでもなく公人であって私人ではない。
 しかも天皇はただの公人ではなく、国家の統治権を総攬する公人なのだ。その点を誤解しないよう、達吉はさらにことばを重ねた。

〈もちろん統治権が国家に属する権利であると申しましても、それは決して天皇が統治の大権を有せられることを否定する趣旨ではないことは申すまでもありません。
 国家の一切の統治権は、天皇の総攬したまうことは憲法の明言しているところであります。
 私の主張しまするところは、ただ天皇の大権は天皇のご一身に属する私の権利ではなく、天皇が国家の元首として行わせらるる権能であり、国家の統治権を活動せしむるか、すなわち統治のすべての権能が天皇に最高の源を発するものであるというにあるのであります。〉

 帝国憲法では、すべての国家の権能が天皇に源を発し、天皇は公人として統治権を総攬すると規定されていることに、達吉はあらためて注意を喚起する。
 そのうえで、天皇ははたして万能の権力を有するのか、統治権を総攬するとは、いったいいかなることなのか、と問うのである。
 帝国議会で、天皇とは何かについて、これまでこのような本質的な議論がおこなわれたことはない。
 美濃部の説明を前に、議員たちはかたずをのんでいた。

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