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鈴木直『アディクションと金融資本主義の精神』を読む(3) [商品世界論ノート]

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 第1章に戻って、読み進めていく。
 アディクションがタバコ、アヘン、アルコールなどの常習をさすことばとして使われるようになったのは18世紀以降のことだ。もちろん、それ以前にも、こうした悪癖はみられたが、これが常習化したのは、対象となる商品が容易に手にはいるようになってからだろう。
 そして、そうした常習癖が病気として認識されるようになったのは19世紀後半からであり、さらにアディクションという名称が定着したのは20世紀末になってからだという。
 だが、アディクションは精神に作用する薬物やアルコールなどへの「物質依存」だけをさすわけではない。スマホゲームやギャンブルなどの「行動嗜癖」もアディクションととらえるべきだろう。
すると、「物質依存」と「行動嗜癖」はつながっているのか、それともぜんぜん別物なのかという問題が生じる。
 これをめぐっては医学界でも、さまざまな論争があるが、前にも示したように、著者はアディクションをより幅広く定義している。

〈アディクションとは、自発的選択がもたらす短期的報酬によって動機づけられたオペラント行動を、しばしばみずからの意志に反して、反復的に継続する状態をさす。〉

 アディクションにはさまざまな要因が重なっていることがわかる。
「自発的選択」は「選択の自由」がある場所で、はじめて発生する。目の前には何でも選ぶことができる商品世界が広がっている。そこから、人はみずからを陶酔させる商品を自発的に選び取る。
 そして、その選択は学習によって習慣づけられた行動、すなわちオペラント行動を引き起こす。
 オペラント行動を促すのは「短期的報酬」、すなわち予測される眼前の快感である。
 こんなふうにアディクションを定義すれば、薬物やアルコールなどへの物質依存とゲームやギャンブルの行動嗜癖が連続性をもち、同じ構造をもっていることになる。
 さらに著者は「分かっちゃいるけどやめられない」こと、「どうにもとまらない」ことを、アディクションの特徴として挙げている。つまり自己制御ができなくなる現象がアディクションなのだ。
 ぼく自身は、こうしたアディクションを商品世界特有の現象としてとらえたい誘惑にかられている。
 人はなぜアディクションにおちいるのだろうか。
 動物とちがい人間は理性によって感情(衝動)を抑えることができるし、抑えるべきだと啓蒙主義者は考えた。ところが、啓蒙主義者によるこの人間理解は、現実の人間行動を説明できない。というのも、人間はしばしば動物の衝動に備わっていた自己調整機能(安定化装置)を逸脱して、アディクション的行動に走るからだ。
 いっぽう功利主義者は人が自分の幸福を最大化しようとするのはとうぜんであって、アディクションもひとつの選択だと考える。もしそれが社会に害を与えるならば、課税を強化したり、厳罰を与えたりして、それを抑える対策をとればいいという。だが、それでおさまらないのがアディクションなのだ。
 制御できずに「どうにもとまらなくなる」のがアディクションだ。欲求を抑えきれなくて、欲求のとりこになってしまう。
 その欲求は学習によって条件づけられたものだ。それが病的強迫症になったときにアディクション行動が発生する。
「無意識的土台に刻まれたこの『学習された連関』は、想像以上に私たちの行動と思考を拘束している」と、著者はいう。
 人間はだれもが生まれつき無意識的認知機能をもっている。人間の認知機能は中枢神経系の生理学的機能によって担われているが、そこには眼前の事象を説明し、さらに予見する強固なアルゴリズム(学習機能)がはたらいている。
 人が学ぶのは、行動して、何かとぶつかり、「あ、そうか」と、ひらめくことを通じてだという。その結果が因果連関の発見につながり、自発的なくり返し行動を生んでいく。
 しかし、そうだとしても、人はなぜギャンブル中毒(アディクション)におちいるのだろうか。
 ギャンブルの醍醐味は五感を超えた第六感にある、と著者はいう。

〈合理的計算では予測不能な偶然性を、競争相手よりも的確に読みとる勘を働かせること。これがギャンブラーの腕の見せどころだ。〉

 これにおカネが報酬としてつけ加わると、認知機能がさらに刺激されて、欲求を抑えることができなくなってしまう。
 ここで著者はギャンブル性がもっとも高いとされるルーレットのケースをが取りあげている。ルーレットといえば、真っ先に思い浮かぶのが、みずからもギャンブラーだったドストエフスキーが書いた『賭博者』という小説だ。
『賭博者』でドストエフスキーがえがくのは、ルーレット賭博で財産をなくし、破滅していく人たちのことだ。
 ルーレットでは過去のデータはまったく役に立たず、じつは何の予測もできない。にもかかわらず、ルーレットに賭ける人びとは、ここには何か隠された法則性があると思いこんで、自分の予測した場所に持ち金を賭ける。
 ドストエフスキーは、はじめルーレットなどばかばかしいと相手にしなかった金持ちのおばあさんの姿をえがく。彼女は、たまたま大当たりをとったことから、ルーレットにのめりこみ、最後はすっかり財産をなくしてしまうのだ。
 著者はいう。

〈ギャンブルの魅力を生み出している最初の一歩は、おそらくお金自体ではないだろう。ギャンブルの魅力はむしろ、偶然に支配されている不確定な未来について、自分が的確な予測をなしえたことへの報酬感情にある〉

 一回の成功体験が、心のうちにドーパミンを生みだす擬合理的装置をつくってしまう。そして、その装置はいったん築かれると、他人から説得されても、なかなか修正されない強固なものとなる。

〈ともすれば、私たちは、アディクションが、理性的意志の弱さゆえに性や食などの基本欲求の誘惑に溺れる現象だと思い込みがちだ。そしてギャンブルもまた、金銭欲という基本欲求に溺れる現象だと、簡単に考えてしまう。たしかに性欲、食欲、金銭欲の満足は、短期的報酬としてアディクションを強化しただろう。しかし、アディクションの形成には、私たちが考えている以上に、擬合理的装置に支配された認知機能が深く関与している。〉

 人間の脳には合理的装置だけではなく擬合理的装置が備わっている。擬合理的装置にはインスピレーションと歓喜をもたらす機能が備わっているだけではない。それは超自然的なスピリチュアリティとも結びついている。さらに、それはしばしば頑固な固着性を生みだす。
 合理的装置はそうした擬合理的装置を理不尽なものとして排除したがる。だが、じつは「理性自身もまた本能体系の内側に位置しており、そのごく一部をなす不完全な機能に過ぎない」と、著者はいう。
合理的判断なるものが事実の検証を無視して、しばしば暴走する現実をわれわれはみてきた。

〈擬合理的装置は、仮説的真理を浮動の真理と見なすように、たえず合理的装置に囁きかけている。その意味で、合理的装置は、その自己理解とは裏腹に、引き続き、擬合理的装置の強い影響下にある。〉

 アディクションをもたらすのは、人間のもつ擬合理的装置にほかならない。そのためアディクションにおちいる可能性はだれにもある。
 それでは、アディクションを抑えることはできるのだろうか。著者の問いはそんなふうにつづいている。
 ここから連想されるのは、資本主義が合理的装置のようにみえて、じつは擬合理的装置そのものなのではないかという疑いである。

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鈴木直『アディクションと金融資本主義の精神』を読む(2) [商品世界論ノート]

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 まだ全体を読み終えていない。最初の1、2章を読んだところで、挫折しそうになっている。渾然一体としている。スケールの大きな著作なのはまちがいないが、このまま進むと、渾然ではなくて混然のまま終わるのではないかという悪い予感もしないではない。
 著者は序章に「この旅の最終目的地をとりあえず見定めておきたい読者」へのアドバイスとして、「まずは最後の第7章を通読してから冒頭に戻るという一風変わった旅行メニューも提案しておきたい」と述べてくれている。
 なまけものの当方としては、さっそくこのアドバイスにしたがって、第7章の「金融資本主義とアディクション」から読みなおすことにする。それもマルクスの価値形態論やフェティシズム論に触れた7章の前半はややこしいので省略し、「金融資本主義の誕生」以降を読んでみることにする。
 著者によると、金融資本主義の誕生は1971年8月のいわゆるニクソン・ショックにさかのぼるという。このときアメリカのニクソン大統領は、ドルと金の兌換停止を発表した。それから2年後、金ドル本位制にもとづく固定相場制は完全に崩れ、先進国は変動相場制に移行することになる。こうして、1945年に発足したブレトン・ウッズ体制は崩壊した。
 しかし、そもそもブレトン・ウッズ体制とは何だったのか。
 1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議が開かれ、国際通貨基金(IMF)の創設などが決まる。そこでドルを基軸通貨とする固定為替制が誕生した。
 だが、イギリスを代表して会議に出席したケインズは、それに反対した。独自の世界通貨構想をもっていたからである。ケインズは、国際決済を処理するための人工通貨を創出すべきだと提案した。
 著者はこう説明する。

〈この通貨はバンコールと名づけられ、対外決済を処理するためだけの純粋な計算単位として考えられた。バンコールと各国通貨は固定為替で結ばれるが、貿易赤字が一定水準を越えれば、それに利子が課せられ、自国通貨の切り下げを迫られる。輸出超過国も同じようにバンコール債権に利子が課せられ、自国通貨の切り上げを迫られる。こうして国際収支のバランスが回復される。〉

 重要なのは、為替投機の対象とならないバンコールが介在することによって、各国通貨は直接取引されることなく、為替レートの調整がなされることだった。しかし、アメリカの根強い反対によりケインズ案は葬られ、ドルが唯一の基軸通貨になることが決まった。
 金ドル本位制は長くつづかない。「トリフィンのジレンマ」が発生したからである。

〈アメリカが世界経済の成長のために、基軸通貨ドルの国際的流動性を確保しようとすれば、絶えず国際収支を赤字化しながら、ドルを世界に供給し続ける必要がある。それによるドルの過剰発行は、やがて保有金が許容する限度を上回るだろう。そうなればドルの信認が揺らぎ、アメリカの金が国外流出する。そして金の市場価格が、公式の兌換レートから乖離し、投機の対象となる。これがブレトン・ウッズ体制を支えきれなくなった一つの原因だった。〉

 ニクソン・ショックと二度の石油ショックをへて、開始されたのが、下からではなく「上からの階級闘争」だった、と著者はいう。新自由主義の名のもと「民営化と規制緩和による戦後福祉国家の段階的スリム化」が断行された。
 新自由主義のビジョンとは、次のようなものだ。
 肥大化した公的セクターを民営化し、公務員を適正規模まで削減する。規制緩和をおこなって、女性の労働力を有効活用し、多様な働き方を可能にする。それにより女性は家事と育児から解放され、消費市場は拡大するだろう。
こうしたビジョンは、今後の明るい経済社会の方向を指し示すかのように思えた。
 だが、新自由主義による一連の改革がもたらしたのは、じっさいには「低賃金労働の容認と促進、雇用の非正規化の拡大」だった、と著者はいう。
 いっぽうブレトン・ウッズ体制から変動為替制に移行したあとも、ドル本位制は変わらなかった。「アメリカの巨大な対外赤字は解消せず、しかも、為替相場がドル安に振れることもなかった」。
 1980年代には、貨幣がみずから商品と化し、デリバティブと呼ばれる金融派生商品が発生する。いまや貨幣は単なる商品の媒介手段ではなく、みずからが商品となり投機対象となってしまった。
 それを可能にしたのが、1980年代に実施された金融の規制緩和だ。日本では1980年に外為法が改正され、対外取引が原則的に自由化された。資本移動の自由化が進み、さらに金利の自由化も進む。
 1980年代初頭にアメリカが日本に期待したのは、日本が金融・資本市場を開放することによって、外国資本が日本に流入して、それにより円高ドル安が促されることだった。
 ところが、じっさいには逆の現象がおこった。アメリカの高金利を求めて、日本の資金が流出し、さらなるドル高円安を招いたのである。それを政治的に是正しようとしたのが、1985年のプラザ合意にほかならなかった。
 こんなふうに書かれている。

〈ここからも分かるように、資本移動が自由化されると、為替相場は国際収支よりも、金利の方に敏感に反応するようになる。低金利の黒字国(日本)から高金利の赤字国(米国)に資本が移動すると、赤字国の通貨は上昇し、黒字国の通貨は下落する。それは両国の貿易不均衡を拡大するように作用する。いわば、為替にポジティブ・フィードバックがかかってしまう。〉

 つまり、貿易収支よりも金利差が為替レートを左右してしまうのだ。これはいま(2024年)でもおきていることだ。
 経済は為替の変動に振り回されるようになる。プラザ合意のあと急激に円高ドル安が進むと、日本企業は円高に耐えきれず、工場を海外に移転した。だが、いったん移転した工場は、ふたたび円安に戻ったからといって、現地の事情もあり簡単に本国に戻るわけにはいかなくなってしまう。あとには経済の空洞化が広がっていく。
 新自由主義と金融資本主義は二人三脚で進んだ。規制緩和と民営化に加えて、富裕層の減税が実施されたのだ。その減税分を補うのが国債の発行だった。
「本来ならば、資産保有者への課税を大胆に強化することによって、国家財政を均衡化させ、租税国家としての原則に立ち戻るのが本筋だ」と著者は主張する。
 なぜ大量の国債発行がまちがっているのか。それは、大量の国債発行がハイパーインフレや財政破綻を招く恐れがあるからだけではない。

〈本書の視点から見ると、国債発行の真の問題は別にある。資産保有者の税負担を賃金依存者の税負担よりも相対的に軽くした上で、租税の不足分を国債発行で賄い、その金利を租税の中から資産保有者に払い続けるということは、とりも直さず、賃金依存者である租税負担者から資産保有者への長期的な所得移転を国家が仲介しているということだ。〉

 この指摘はまったく正しい。ただし、国債の発行を停止すれば、増税しなければならないが、それをどういうかたちでおこなうかが問題となるだろう。
 それはともかくとして、著者が最後に指摘するのが、金融資本主義がアディクションを生みだしやすいということである。
 ほんらい商品の媒介機能をはたす貨幣がフェティシズムの対象となれば、ますます貨幣愛が高まり、貨幣へのアディクションが強まることはまちがいないだろう。
 1980年以降の金融資本主義の発展は、デリバティブを生みだし、すべての人に投機の機会をもたらした。
 2016年にはイギリスがEUを離脱し、トランプがアメリカ大統領になるという信じられないできごとがおきた。だが、このふたつのできごとには共通点がある、と著者はいう。
 それは「忘れられた人々」の怒りの噴出だ。
為替相場が招いたドル高は、国内の製造業に大きな圧力をかけ、その結果、製造業の疲弊と地域共同体の解体を招いた。そのいっぽう、新自由主義国家は高金利で資本を招き寄せ、経済社会全体をカジノ化していく。
 製造業で地道にはたらくよりも、金融商品を動かして利ざやを稼ぐほうが収入が高いとなれば、優秀な人材はそちらに流れ、貨幣へのアディクション傾向がますます増大していく。
 その結果、忘れられた人びとは、トランプの暴言や単純なメッセージに共感を寄せ、みずからの不満と怒りのはけ口としていく。

〈トランプ現象を通じて垣間見えてくるのは、金融資本主義がもたらした産業資本主義の解体過程と、そこでの人々の孤立化だ。そこで生じた不安や怒りは、単純なものを求めて、アディクション的行動へと流れていく。〉

 資本主義はいつもコマのように回りつづけていて、止まったときにはおしまいになる。そのため、資本はいつも人びとを、満足感が永久に得られないアディクション状態に置く、と著者はいう。
 今後、資本がめざす方向は認知機能の開発だ。食欲に限界はあっても、認知機能に限界はない。
情報社会が発達していくと「社会のあらゆるレベルで複雑な議論や手続きや行為調整が敬遠され、単純な命令や簡明な権力行使が喝采を浴びるようになる」状況がくることを、著者は恐れている。
 ここで問題はふたたび現在の金融資本主義とアディクションの共依存に戻る。
 アディクションとは何か。そもそも人はなぜアディクション行動におちいるのか。それをふり返ることは、みずからのアディクション行動を脱することにつながるだけではない。「資本主義が民主主義をコントロールする社会ではなく、民主主義が資本主義をコントロールする社会を再構築すること」につながるはずだ、と著者は述べている。

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鈴木直『アディクションと金融資本主義の精神』を読む(1) [商品世界論ノート]

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 通読したわけではない。読みはじめたところだ。最近は何もかもすぐ忘れてしまうので、メモしておかないと、前に何が書いてあったかもわからなくなってしまう。そこで読んだところから、とりあえず印象に残った部分を記録しておこうというわけだ。
 あくまでも自分用のメモだ。全部読み終えてから、全体像を示すのが書評のほんらいのあり方だと思うが、最近は読書のペースも落ちている。自然、だらだらした断片的メモがつづくことになる。
 御託はともかく、まず本書のタイトルになっているアディクション(addiction)についてだ。アディクションとは何か。手元の辞書を引くと、addictionとは「常用癖、中毒、(悪癖に)おぼれること、耽溺(たんでき)」とある。
 著者によると、アディクションは次のように定義される。

〈アディクションとは、自発的選択がもたらす短期的報酬によって動機づけられたオペラント行動を、しばしばみずからの意志に反して反復的に継続する状態をさす。〉

 なかなか、むずかしい。
 オペラント(operant)には自発的という意味がある。オペラント行動は心理学用語らしい。かつて経験した何らかの快楽を求めて、みずからおこす行動を指す。そのオペラント行動が止まらなくなるのがアディクションだ。
 のっけからややこしくなってしまったが、植木等の歌の文句でいえば、要するに「わかっちゃいるけど、やめられねぇ♪」状態になるのがアディクションだという。
 古典的にいえば、身勝手な男たちのその領域は「飲む、打つ、買う」、下世話にいえば、酒、女、博打だった。そして男たちはだいたいにおいて、酒、女、博打に夢中になり、その結果、何もかもすっからかんの状態になる。
 とはいえ、植木等が陽気にこの歌を歌っていた時代は、高度成長期で、将来も明るかった。どんなにばかをしていても、先は何とかなりそうだった。世間も寛容だった。
 だが、次第に「わかっちゃいるけど、やめられねぇ♪」ではすまされない時代がやってくる。
 サラリーマンは「気楽な稼業ときたもんだ」と笑っていられたのは昔の話で、いまやサラリーマンの世界もきびしくなった。グローバル化と産業構造の変化、競争の激化、合理化とリストラ、正規と非正規の分断、挙げ句の果てに賃金カットときている。気楽な稼業はどこへやら。
 そうしたなか、アルコールや薬物、ギャンブルやゲームへの過度の依存が社会問題になってくる。学校や職場でのいじめやハラスメント、若者のひきこもりも増えている。社会全体にスマホやネットへの依存が広がっていった。
 これらをすべてアディクションという精神病理現象として片づけるのは簡単だ。だが、じつはアディクションは特異な病理現象ではなく、あらゆる領域に広がっているのではないかというのが、著者の疑問である。
 それを象徴するのが、資本主義のカジノ化であり、リーマン・ショックなるものをきっかけとする国際金融危機だった。
 為替や株の世界はギャンブルと似ている。もし世界じゅうがこのギャンブルに取りつかれているとすれば、その先には何が起こるのだろう。

〈人々の脳を乗っ取ってしまうアディクションと、資本主義社会を乗っ取ってしまう金融危機。この両者は、本当にまったく無縁の現象なのか。そこには何かしら共通のメカニズムが、あるいは隠れた共犯関係が存在しているのではないか。そもそも資本主義は、アディクションと非常に親和性の高い社会経済体制なのではないか。〉

 それが著者の発する問いである。
 アディクションは「嗜癖」と訳されることが多い。しかし、著者があえて嗜癖といわず、カタカナ語のアディクションを採用したのは、アディクションが特異な病理現象だけで収まらず、現代の資本主義をおおう社会的風潮、いわば社会的な行動様式になっていると考えたからだろう。
 本書のタイトル『アディクションと金融資本主義の精神』が、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』に呼応していることにも注目したい。
 ウェーバーは、合理的で勤勉なプロテスタントの精神が資本主義を支えていることを指摘した。だが、著者は現代の金融資本主義の背景に、神や自然を恐れぬアディクションの存在をとらえているようにみえる。
 難解な本だ。どこまでついていけるかわからないが、ゆっくり読んでみたい。

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グリコ・森永事件(2)(岩瀬達哉『キツネ目』から)──大世紀末パレード(24) [大世紀末パレード]

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 グリコ・森永事件というと、江崎グリコと森永製菓をめぐる事件だと思われがちだが、そうではない。多くの食品会社、製菓会社が犯人から脅迫を受けていた。グリコと森永はその代表にすぎなかった。
 じっさい、警察が犯人らしき男を目にし、追いつめるのは、丸大食品とハウス食品が脅迫されたときだった。丸大の事件では、警察の捜査員が1984年6月28日に犯人らしきキツネ目の男を電車内で目撃したものの引っぱるところまではいたらなかった。ハウスの事件では、11月14日に車で逃走する犯人をパトカーが追ったものの逃げられてしまっている。
 企業が要求に応じるかにみせて、そのとき警察の動く気配を少しでも感じれば、犯人はすぐ取引をやめている。犯人はじつに用意周到で、しかも慎重だった。
 そのいっぽう、めだつ関西弁の脅迫文を、企業だけでなくマスコミにも送りつけて、巧妙に世間の恐怖心をあおっている。脅迫先の食品企業が警察に通報したことがわかると、犯人はスーパーやコンビニに青酸ソーダ入りの製品をばらまき、そのことをマスコミに通報した。店頭から製品回収の憂き目に遭った企業は、巨額の損害をこうむった。
 犯人はそれにつけこむ。警察に連絡せず裏取引に応じないと巨額の損失をこうむると示唆しながら、企業を脅迫し、ひそかに金銭を奪いとった。はたしてどれくらいの企業が犯人の脅迫に屈して、どれだけのカネを渡したか、その全容ははっきりとわかっていない。
 派手な立ち回りとは裏腹に、犯人のほんとうのねらいは、マスコミを利用して社会の恐怖心をあおりながら、裏でこっそりと企業から金銭をせびりとることにあった。これは暴力団の手口である。
 しかし、犯人は暴力団ではなかった。というのも、約1年半にわたる犯行の手口から、構成メンバーの姿がおぼろげに浮かびあがってきたからである。その仲間は6人と推測された。
 岩瀬達哉はこう書いている。

〈かい人21面相のメンバーでは、キツネ目の男とビデオの男が広く知られている。ファミリーマート甲子園口店に青酸ソーダ入り「森永缶入りドロップ」を置く男の姿を、店内の4台の防犯カメラが捉えているが、それがビデオの男である。
(中略)
このふたり以外では、脅迫企業への指示書を読み上げる声が録音された35歳前後の女と、同じく声が録音された10歳前後の男児、そして言語障害のある10歳前後の男児に加え、江崎社長を拉致したときの運転手役の男の、4人が確認されている。従って、かい人21面相のメンバーは、少なくとも6人はいたことになる。〉

 こうしてみると、この事件は暴力団による犯行というよりは、むしろ一家を総動員した犯行のように思えてくる。中心となったのは「キツネ目」の男である。この男がすべてを計画し、すべての脅迫文や挑戦状を書いた。
 グリコ・森永事件は消費社会全盛期の劇場型犯罪だった。その手口はまだアナログである(脅迫状、公衆電話、カセットテープ、指示メモ、現金、車、電車等々)。
 1985年のバレンタインデーを前にした2月12日に、犯人は「かし会社の えらいさん え」と題する挑戦状をマスコミ宛てに送っている。

〈わしらと おまえらと どっちが わるや おもう/わしら わるや わしらが ゆうとるんや まちがい ない/おまえら おまえらの こと わる おもおとらんやろ/ええもんの よおな 顔して 世の中 だましとるや ないか/かしさえ うれおったら 世の中の もん むしばに なっても/とおにょうに なって も かまへんのやろ/あこぎな 商売 やで/バレンタイン なんの こっちゃ
(中略)
0.4グラム いれたの 全国に ばらまいたる/チョコレート おくるあいてに ほけんかけ/バレンタイン ふたりそろって あの世ゆき/めをむいて ペコちゃんポコちゃん はかのなか〉

 犯人は、自分たちの犯行の正統性を唱えるとともに、バレンタイン・デーをつくった菓子会社と消費社会に反発する姿勢をあらわにしている。戯れ歌などもつくって、かなり躁状態で、愉快犯の傾向がみてとれる。だが、このころはすでに不安な状態にあった。
 ここで、森永製菓への脅迫事件をふり返っておこう。
 森永製菓脅迫事件は江崎グリコ社長拉致事件から半年後の1984年9月12日にはじまり、犯人が終結宣言をだす85年2月27日までつづいた。
 大阪にある森永製菓関西販売本部の郵便箱に脅迫状が直接投げこまれていたことが発端だった。
1億円ださなければ、青酸ソーダいりの森永製品をばらまく。そうしてもらいたくなければ、9月18日にカネを用意して待つようにと書かれていた。最後に「かい人21面相」の署名があった。
 裏取引しようとする犯人側にたいし、森永側は警察に届けて、犯人の逮捕をめざすという方針で臨んだ。安全第一を基本とし、どんなことがあっても会社を守るという意志を固めていた。
 9月18日午後8時半すぎ、電話がかかってきた。流れてきたのは、カセットテープに録音された子どもの声だった。
 1億円をいれたバッグを用意し、待ち合わせに指定したファミリーレストランから車を移動させて、次の場所に向かえ。そして、そこに置いてある空き缶の中をみろというものだ。
森永の社員に化けた捜査員が現場に向かうと、空き缶の中に指示書があり、そこには、次の指定場所においてあるポリ容器の中をみろと書かれていた。
 捜査員はできるだけ時間稼ぎをして、ゆっくりと次の現場に向かう。そこにはたしかにポリ容器があり、この箱にバッグをいれるようにという指示書が置かれていた。
 捜査員はバッグをいれて、すぐに立ち去り、犯人が現れるのを待った。だが、いくら待っても犯人は現れない。警察の動きは察知されていた。犯人は到着までの時間を計りながら、森永が警察に連絡したかどうかをたしかめていたのだ。取引は中止となった。
 それから5日後、犯人は新聞社に「森永のどあほ」と記した挑戦状を送り、青酸ソーダを混入させた森永製品をスーパーやコンビニに並べはじめた。そこには「どくいり きけん たべたら 死ぬで」というシールが貼られていた。
 犯人がマスコミに送ったあらたな挑戦状で、この事実をあかすと、日本じゅうがパニックとなった。スーパー各社コンビニチェーンは、ただちに全国の店舗から森永製品を撤去することを決定した。
 それでも森永は屈しなかった。社員を総動員して、全国のデパートやスーパーを回り、森永製品をビニール袋に詰めた「千円パック」セールを始めている。しかし、その売り上げはわずかなものだった。事件から5カ月半のあいだで、森永の損害額は約400億円にのぼったという。
 その後も犯人は森永に脅迫状を送り、2億円を要求してくる。だが、なぜか具体的な指示のないまま、その年がすぎていく。
 1985年2月25日、NHKは「企業の選択─脅迫された森永製菓─」と題するドキュメンタリーを放送した。森永はどんなことがあっても、かい人21面相と対決するという姿勢がえがかれていて、世間の大きな反響を呼んだ。
 犯人からとつぜん終結宣言がだされるのは、その2日後である。大阪・茨木市の派出所入り口の前に「森永 ゆるしたろ」と書かれた文書がひっそりと置かれていた。
 森永の屈しない姿勢をみて、犯人側がついにあきらめたかのようにみえた。だが、じっさいは、かれらのほうが、そうとう追いつめられていたのである。
 じつは森永事件がまだ終結していない前年84年11月14日に、ハウス食品から現金をせしめようとして、犯人があやうく警察に逮捕されそうになるできごとが起きていたのだ。
 さらに1月10日には「キツネ目の男」の似顔絵が公開された。犯人側がそろそろ引き時と感じていたことはまちがいないだろう。じっさい、1985年にはいってから、犯人はますます愉快犯の傾向を強めるものの、本気で犯行を重ねようとする気配はなくなっていた。
 11月14日の逮捕失敗劇は、犯人側、警察側、双方の判断ミスから生じたものだったといえる。犯人側はハウス食品が裏取引に応じたと思いこんでいた。警察は犯人を逮捕する万全の態勢をとっていたが、思わぬミスから犯人を取り逃した。
 滋賀県警本部長は、その責任をとって8月7日に自殺することになる。そして、犯人はマスコミ宛てに「まだ なんぼでも やること ある 悪党人生 おもろいで」との犯行終結メッセージを送って、姿を消すのである。
 岩瀬達哉はグリコ・森永事件のルポをこうしめくくっている。

〈身代金目的誘拐や連続企業恐喝のような悪質事件での迷宮入りは、レアケースと言われている。キツネ目の男は、運に助けられ、このレアケースの中に紛れ込むことができたのである。しかし、いまや機動力と鑑定能力の向上がはかられ、同様の事件が起きても未解決に終わる可能性はまずないと言ってよい。〉

 時代が変わったのである。

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グリコ・森永事件(岩瀬達哉『キツネ目』から )──大世紀末パレード(23) [大世紀末パレード]

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 躁っぽい時代だった。
 事件がおきたのは1984年3月18日夜のこと、江崎グリコの江崎勝久社長が西宮の自宅で入浴中に誘拐された。
 以来、85年8月11日にマスコミ宛てに犯行終結宣言が送られるまで、約1年半にわたりグリコ・森永事件は世間を騒がせた。
 犯人は江戸川乱歩の少年探偵小説シリーズ「怪人二十面相」をもじって、「かい人21面相」を名乗っていた。
 犯人はつかまらず、事件はけっきょく迷宮入りとなった。
 特異だったのは、ふざけた調子の脅迫状や挑戦状が、関連企業だけでなくマスコミに向けて147通も送られていたことである。それにより、事件は世間の注目を浴び、劇場型犯罪に警察は翻弄され、メンツを失った。
 脅迫されたのは江崎グリコと森永製菓だけではない。丸大食品やハウス食品工業、明治製菓、山崎製パン、雪印乳業、不二家、駿河屋などにおよぶ。有名な食品企業が軒並みに脅されていた。ロッテは模倣犯にだまされて、カネをせしめられている。
 責任をとって焼身自殺した滋賀県警本部長を除いて、事件で死者はでなかった。警察幹部の自殺を知ると、犯人は犯行終結宣言をだしている。これ以上騒ぎをおこすと、さすがにあぶない(いまどきのことばでいうと「やばい」)と思ったのかもしれない。
 とはいえ、事件は暴力的である。だが、それは制御され、手慣れていて、大胆で、狡猾で、人を震え上がらせる暴力だ。そのくせ犯人は冷静で、逆にふざけているところもあり、とても素人とは思えない。
 警察は犯人をギリギリまで追い詰めた。だが、最後のところで逃げられる。犯人とおぼしき「キツネ目」の男の似顔絵だけが残された。
 岩瀬達哉の『キツネ目──グリコ森永事件全真相』には、当時発表されていなかった内容を含め、事件の全体像をえがいている。
 江崎グリコ社長の誘拐は大胆きわまりなかった。3月18日日曜の夜9時ごろ、西宮市の閑静な住宅街にある江崎邸にふたりの男が忍びこみ、入浴中の江崎社長に改造したライフル銃を突きつけて、外に連れだし、停めてあった車に乗せて走り去ったのだ。
 江崎社長は淀川とほぼ平行して流れる安威川(あいがわ)左岸の水防倉庫に監禁された。「なんでこんなことするんや」と言った社長に、目出し帽の犯人は「当たり前やないか、カネや」と答えている。
 それから約5時間後の深夜1時すぎ、グリコの人事労務担当取締役の自宅に犯人から電話がかかってきた。取締役はこのときすでに社長が誘拐されたことを知らされていた。犯人は高槻市のある公衆電話ボックスを指定、そこに置いてある電話帳をみろといって、電話を切った。
 取締役は警察に連絡し、パトカーでその電話ボックスに向かい、電話帳にはさんであった脅迫状を見つけた。そこには明日の夕方までに現金10億円と金100㎏を用意しろと書かれていた。
 それにしても法外な要求だった。とてもすぐに用意できる内容ではない。その後、犯人からは二度電話がかかってきた。犯人にしたがうようにという江崎社長の切羽詰まった録音の声が流れてきた。
 だが、二度目の新たな録音の声が送られてきたとき、江崎社長は監禁されていた水防倉庫からすでに自力で脱出していたのだ。犯人はもともと江崎社長を早めに解放するつもりでいた。しかし、予定より早く社長が脱出してしまったために、間抜けた脅迫電話になってしまったのだ。
 ところが事件はこれで終わったわけではなかった。ほんとうの脅迫がはじまるのは、それからだった。実体のない恐怖が迫ってくる。
 江崎社長が水防倉庫から脱出して2週間後の4月2日、犯人から江崎家に速達郵便で長文の脅迫状が送られてくる。
「いのちと 金と どちらが たいせつや/いのちがおしければ 金を よおいしろ/死にたければ けいさつえ れんらく しろ」などといった文面とともに、一家6人分6000万円を用意して4月8日に甲子園学園東の喫茶店マミーにもってくるよう指示されていた。
 警察は捜査員をグリコ社員に扮して、犯人逮捕をねらったが、その動きはマスコミに漏れていて、喫茶店のドアを開けたところ、店内はすでにカメラを構えた警察担当の記者であふれていた。それを見た捜査員はなかにすらはいれなかったという。警察無線がダダ漏れになっていたのだ。
 もちろん犯人側は警察の動きを察知していた。その様子を観察していた犯人が指定の場所にのこのこ現れるわけもなかった。
 4月10日にはグリコ本社とグリコ栄養食品にガソリンを浸した布団や布に火がつけられて投げ込まれる放火事件がおきている。マミーでの待ち伏せにたいする報復だった。
 それから5日後の4月15日、今度はグリコ本社あてに新たな脅迫状が送られてくる。2倍の1億2000万円が要求されていただけではない。カネを払わなければ、スーパーに青酸入りのアーモンドチョコレートを20個置くという脅しが書かれていた。これにはグリコ側が震えあがる。
 グリコは裏取引に応じるような姿勢を見せながら、犯人をおびきだそうとした。だが、このときも警察の動きが察知されて、捜査は失敗。
 怒った犯人は、こんどは新聞各社に、青酸ソーダ入りのグリコ製品をばらまくと通告する挑戦状を送った。
 新聞やテレビ、ラジオはこの情報を公開しないわけにはいかなかった。大手スーパーは即日、グリコ製品の販売中止を決定する。その結果、グリコと関連会社は10日間で約25億円の損害をこうむったという。
 犯人はこれだけ脅せばグリコも裏取引に応じてくるだろうと踏んでいた。こんどは取引先企業を通じて、グリコに接触してくる。
 このときグリコは警察に知らせず、3億円を用意して、犯人との裏取引に応じるつもりだった。だが、かかってきた電話の音声がよく聞き取れなかったため、取引は中止となった。
 そして、最後が6月2日の取引である。このときグリコは一転して、警察に連絡していた。次が本番とみた大阪府警は入念な捜査網を敷いた。
 だが、犯人のほうが一枚上手だった。
 この日、犯人が3億円の受け取り場所として指定した焼肉店に現れたのは、淀川の堤防でデート中に襲われて恋人を人質にとられた元自衛隊員の男性の車だった。
 恋人を取り戻したいのなら、焼肉店に行って、白いブレザーを着た男と接触し、車とキーを受けとって、堤防まで戻ってくるよう指示されていた。待ち構えていた警察はこの男性を犯人として確保する。
 だが、犯人ではないとわかると、警察は現金をつんだと見せかけた白のカローラの後部座席に、ふたりの警察官をこっそり乗りこませて、この男性を犯人の待つ淀川堤防に向かわせた。
 しかし、段取りに手間取ったため、すんでのところで、犯人に逃げられている。
 それから約1カ月後の6月26日、犯人から新聞各社にグリコへの「犯行終結宣言」が送られてくる。
「わしら もう あきてきた/社長が あたま さげて まわっとる/男が あたま さげとんのや ゆるして やっても ええやろ/……江崎グリコ ゆるしたる/スーパーも グリコ うってええ」
 これでグリコへの犯行は終わる。何かの裏取引があったのではないかといううわさは絶えなかった。だが、ともかくも事件が終わったことはたしかだった。あとの課題は犯人を見つけて逮捕することだけである。
 ところが、じつはこのとき、すでに丸大食品への脅迫がはじまっていたのだ。警察はそれまで犯人は江崎グリコ内部にいると考えていた。それが、一挙にくつがえる。さらに森永製菓をはじめ、いくつもの食品メーカーに脅迫状が送られてくる。
 あのころぼくは何をしていたのだろう。遅くはじめたサラリーマン生活の9年目で、毎日、本の編集作業をしていたことを覚えている。上原謙の本、アジア・ルポ、共同通信の紹介本、斎藤茂男さんの「日本の幸福」シリーズ、世界年鑑、記者ハンドブック、レバノン戦争の本、その他もろもろ。
 忙しかった。グリコ・森永事件は、そんなサラリーマンの日常をせせら笑うように、通り過ぎていったのだ。

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貨幣論(2)──メンガー『一般理論経済学』を読む(9) [商品世界論ノート]

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 つづいて、メンガーは貨幣の「機能」について述べる。
 交易の最古の形態は自発的な贈与、もしくは強制的な貢納のかたちをとった。そのさい提供されたのは高い使用価値をもつ財である。
 だが、交換が発展するにつれて、そうした財は貨幣へと移行する。それは資産の賠償、家族への給付などにもあてはまった。その理由は貨幣経済が発展するにつれ、「貨幣はどの経済主体にとっても必要となり、万人が需求をもつ資産対象となる」からだ、とメンガーは書いている。
 これは貨幣が、贈与、貢納(税)、賠償、保証などでも機能するようになることを示している。
 次は支払(清算)手段としての機能だ。貨幣は取得した財にたいする支払いや債務にたいする清算のために用いられる。ここでは貨幣は「商品および資本市場の一般的[交換]媒介者」としての役割をはたしている。
 貨幣には蓄蔵手段や資本形成(あるいは譲渡)のための機能もある。貨幣が蓄蔵手段としてすぐれているのは、「耐久性、稀少性、相対的な価値的安定性」をもつとともに「僅少な経費と手間で保管できる」からである。
 貨幣の蓄積は「動産的生産財の蓄積や資本形成」のためにも有効である。加えて、容易に輸送しやすいという点で、貨幣は「資産の空間的移動」にも適している、とメンガーは論じている。
 次に、貨幣は消費貸借業務をになう。貨幣は貸し付けられて、資本の一部として、あるいは消費の一部として利用されることになる。
 貨幣が「価格の指標」としての役割をはたすことも重要だ。
 ただし、注意しなければならない。よく貨幣は財の価値をあらわす「価格度量器」だという言い方がなされるが、メンガー自身は財の価格は契約当事者どうしの駆け引きによってなされるのであって、交換以前に財のなかに交換価値が含まれているかのように考えるのは空想の産物だと考えていた。
 とはいえ、貨幣が「財の交換価値の度量基準」となることによって、経済計算がより合理的におこなわれるようになったことはまちがいない。
 資産の評価や損害賠償の額にしても、市場における財価値の提示にしても、計算はより容易になった。収益の見積もりや消費の計画にしても同じである。貨幣による価値評価と計算によって、複雑な経済経営ははじめて成り立つ。
「こうして貨幣での財の評価は人々の経済的思考と行動にとってますます高い意義を獲得するようになる」と、メンガーは記している。
 重要なのは、貨幣が一種の価値尺度として機能し、財の交換価値の測定(評価)を可能にすることである。ただし、その評価は一方的な提示ではありえず、経済主体どうしの売買と経済計算によって定まることはいうまでもない、とメンガーは念を押す。
 いっぽう、貨幣の購買力が場所や時間によって異なることもたしかである。たとえば、ある場所で1000円で買えた品物が別の場所では2000円ださないと買えなかったり、1930年の1000円と2000年の1000円とでは価値が異なっていたりすることをメンガーは指摘しているわけだ。
 そこで、時間的にも空間的にも、普遍的かつ不変の交換価値をもつ財(貨幣に代わるもの)を探求しようとする試みがなされることになる。たしかにこうした「価値恒常性」をもつ財があれば、経済生活の不確実性は取り除かれるだろう。だが、それは不可能だ、とメンガーはいう。その理由は市場が常に動いているからである。
 とはいえ、貨幣の購買力の測定がなされれば、貨幣の交換価値が時間的・空間的にどのような差異をもつかが確定できるのも事実だ。
 たとえばロンドンとハンブルクで、小麦の値段が10年前と今でどのように異なっているかを測定してみる。それによって異なった市場空間での一般的価格水準の比較が導かれる。それは大まかな指数にすぎないが、そこからは少なくとも貨幣のもつ問題性があぶりだされるはずだ、とメンガーは述べている。
このことは現在にも通用する問題点だといえるだろう。
 貨幣の価値が時間や空間によって異なることは、いわば貨幣の外的交換価値にかかわる問題である。しかし、貨幣には「内的交換価値」にかかわる問題もある、とメンガーはいう。
 市場が貨幣の外的価値に変動をもたらすとしたら、貨幣の内的価値に変動をもたらすのは貨幣そのものの要因による。
 メンガー自身は「貨幣の流通量の変動、国民経済の流通手段にたいする需求の変動、貨幣金属の生産費用の増減、証券貨幣[紙幣]の使用の普及の増減等々の、価格形成の諸規定要因のうちもっぱら貨幣の側の要因におこる変化が貨幣と交換比率におよぼす深い影響を認識すること」がだいじだと述べている。
 ここで、メンガーは「恒常的な内的価値」をもつ財を確定することは可能だろうかという問いを発している。経済学的にみれば、けっして不可能ではないというのが、その答えのようにみえる。それは価格変化の影響力を貨幣とりわけ紙幣の流通量を調整することで相殺し、それによって価値の恒常的な流通手段を創出するこころみだといえる。
 もちろん、それができるのは中央銀行があってこそである。さらに、貨幣の安定化には世界的な取り組みが必要なことをメンガーは強調している。
 価格の変動は、その多くが貨幣の内在的価値の上昇ないし低下に原因を求められがちだが、購買財の貨幣価格が上昇ないし低下した可能性も排除できない。だが、そのどちらとは確実にいえない。財価格の変動は、一般的に購買財と貨幣の両方にはたらく要因の合成結果だ、とメンガーは論じる。

 以上述べたことをさらにまとめてみよう。
 貨幣の意義は、それが商品の売買でどれだけ役立つかによって決まる。貨幣の素材や形態はどうでもいい。
 貨幣は権力者の意志によってつくられるわけではないことをメンガーは強調する。

〈その財が財交換を媒介する交易対象の代表として、それによって交換を媒介されるそれ以外の交易対象の全体と対照的な位置にたつようになると、ただちに、またその限りでその財は貨幣になる。〉

 これが貨幣の本質である。
 要するに、貨幣において問われるのは、それが財の交易にじっさいに役立つかどうかである。加えて、貨幣が貨幣となるのは場所的・時間的限界の範囲内にかぎられていることにも留意しなければならない。
 貨幣の本質は交換媒介機能である。そして、交易が発展し、日常化するにつれて、貨幣に「価格指標および交換価値の度量標準」としての機能がつけ加わるとみるのが正しい、とメンガーはいう。
 貨幣は国家による「強制通用力」を付与されてはじめて貨幣になるというとらえ方をメンガーは批判している。
 貨幣が統一的でなければならないのは、交易を用意にするという必要性にもとづくものであって、国家の強制によるものではない。住民の意思にさからって、国家が無理やり貨幣を押しつけようとしても、そうした貨幣は通用しないか忌避されがちなのは、歴史の経験が示しているという。
 あらためていうと、貨幣が成立するのは、交易の過程において、財の交換を媒介する財とそれ以外の一般的な財とが分離されることによってであり、貨幣は国家により強制通用力を付与されてはじめて誕生するわけではないという考え方をメンガーはとっている。
 とはいえ、国家的強制がやむをえない場合もある。しかし、それは交易を整備し、発展させるかぎりにおいてである。
 むしろ「一国の貨幣制度は強制通用を実施する必要がなくなればなくなるほど、ますます完全になるといわざるをえない」というのがメンガーの立場だといえるだろう。

 最後に言及されるのが貨幣への需求についてである。
 交易が活発になり、交換媒体としての貨幣が生じると、貨幣自体への需求が発生する。そのため、交易のために貨幣を貯える必要もでてくる。
 経済が市場に依存する度合いが高くなればなるほど、用意すべき貨幣は大きくなる。その度合いは消費経済よりも営利経済のほうが大きくなるだろう。
 そこで、貨幣での支払いをより効率的かつ安全におこなうという点から、銀行が大きな業務をはたすようになる。
 残る問題は、国民経済全体にとって貨幣はどれくらい必要かということである。
 メンガーはこう述べている。

〈一国民経済の貨幣需求は、一国民の分業的に組織された個別経済および公共経済に必要な貨幣在高の総和であり、したがってそれらの貨幣在高の全体が国民経済の貨幣需求の究極的度量である。〉

 支払いのさいに使用される貨幣量はごくわずかにすぎない。だが、それだけではじゅうぶんではなく、さまざまな準備金が用意されなければならない。
 準備金が必要なのは「不確定で大多数の場合には実際には起こらない支払いを保証するために、国民経済を円滑に機能させるために」である。
 紙幣の弾力的な発行が「国民経済の流通手段への欲望の変動に、貨幣流通量を有効に適合させるという重要な機能を果たしている」ことはまちがいない。
紙幣の発行は、一国の現金の総流通量を間接的に増やすものといえるだろう。これにたいし、手形決済は現金の流通量を抑制する方向にはたらく。
 貨幣の需求は変化する。インフレやデフレの場合を考えてみればよい。
 一般に国民の裕福さが上昇すれば、一国民の貨幣需求は上昇する、とメンガーは書いている。それは財の交易が活発になり、支払いが増加するとともに、資本の活動も活発になるからである。
 だが、それとともに反対の作用もはたらく。信用(クレジット)経済や支払事務の簡素化、不経済な貨幣蓄蔵の削減などが促進されて、「国民経済の現金需求を相対的に減少させる効果」も生じる、とメンガーは述べている。
 これは現在にも通用する所論だろう。貨幣論の領域はまだまだ奥が深い。メンガーの貨幣論は、その重要な一歩を指し示したものといえるだろう。

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貨幣論(1)──メンガー『一般理論経済学』を読む(8) [商品世界論ノート]

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 いまや貨幣といえば金貨や銀貨でなく、紙幣と少額コインが中心で、しかもカード決済が広がり、だれもが銀行口座をもち、為替相場が日々変動し、株の上がり下がりに一喜一憂する人が増えている時代である。
 メンガーが『一般理論経済学』を残した100年以上前とは、すっかり貨幣をめぐる状況がさまがわりしている。さらに、これからも貨幣の世界は変わりつづけるだろう。
 にもかかわらず、人が貨幣に振り回されていることは、100年前もいまも変わらない。20世紀のはじめにメンガーが貨幣をどのようにとらえていたかを確認しておくのは、それなりに意味がある。
 最初にメンガーは、貨幣の本質と起源を論じている。
 貨幣の歴史は長い。金や銀が交換媒体(流通手段)になるのは、経済がある程度発展した段階である。鋳造された金貨や銀貨が登場し、紙幣や銀行券が一般的になるのは、さらにその後だ。
 人間は貨幣を手に入れることに血道を上げてきた。市場以外の日常の領域でも、人の生活を縛るこの「紙切れ」の本性はいったい何なのか。それは古くからの制度や取り決めのひとつなのか、それとも経済と交易の発展がもたらした所産なのか。メンガーはそんなふうに問うところから貨幣の考察をはじめている。
 人類の歴史をさかのぼると、自己充足的な自然経済のなかでは貨幣など必要ではなかった。また物々交換が容易にできるなら、貨幣はいらなかった。何らかの交換媒体が必要になるのは、交換や交易がさかんになってからである。
 当初は定期的に開かれる市場で物々交換がなされていたとしよう。だが、物々交換は、ただちに困難にぶつかる。たとえば奴隷や牛、象牙などの大型財は、それらと交換しうる財を容易にみつけることができない。
 物々交換の市場では、たがいに商品を交換しようという当事者の組み合わせがまったく成立しないか、成立してもごくわずかにとどまってしまう。したがって、商品の需要があっても、商品がほとんど動かないことになる。物々交換を実現するには、よほどの骨折りと努力を必要とする、とメンガーはいう。
 そこで、物々交換の困難を除去する補助手段が生まれてくる。ほしい商品を手に入れるためには、まず自分の商品を市場性の高い商品と交換することが求められる。そして、その市場性の高い商品を、ほんとうに自分がほしい商品と次に交換するわけだ。
 市場性の高い商品としては、無限に需要のある商品(たとえば奴隷や指輪、銅など)、さらには地元産品(武器、装飾品、穀物、カカオ豆など)、輸出品(塩板、鉄、延べ棒、木綿など)、その他、だれもがほしがる財が挙げられる。
 こうして市場性の高い商品との交換が日常化すると、そのうちに「残りのあらゆる商品と比較してより販売可能性があり、したがって通例それだけが一般的に使用される交換手段」が生まれるようになる。
 一般的に使用される交換手段が成立するのは、習慣の影響が大きい、とメンガーは書いている。それは経済的利益に沿うものとして積極的に需要され、また蓄積や持ち運びに便利な財でなくてはならない。こうした交換財は高価であると同時に分割可能であり、同時にできるかぎり空間的・時間的な制約を受けないものでなければならないという。
 こうして交換媒介手段としては、次第に家畜や貝殻、カカオ豆、固形塩などより金属のほうが便利だということになっていく。
 こうした説明を通じて、メンガーが強調したいのは「交換手段はもともと法律や社会的契約によって成立したのではなく、『慣習』によって成立した」ということである。ただし、メンガーはのちに国家が社会の慣習に手を加える可能性を排除していない。
 最終的に一商品が一般通用交換手段になると、その商品(つまり貨幣)と残りのあらゆる商品とのあいだでは本質的な区別が生じてくる。

〈特定の財がすでに交換媒介物となり、交換媒介物としての一般的使用が確立している国民のもとでは、財を他の財と取引するために市場に行く者は、いまやこの目的を達成しようとすれば、自分の財をまず貨幣にたいして譲渡することに経済的利害関心を抱くようになるだけではない──彼は今後はまさにそれを強制されるのであり、また市場で財を得ようとする者は、たいていはまさしく、この目的のためにあらかじめ「貨幣」を調達せざるをえないのである。〉

 こうして貨幣は商品のなかでも一般の商品と画然と区別された「例外的な地位」を得ることになる。
貨幣の登場は市場の様相を一気に変化させる。貨幣によって商品の価格が示されると、商品の販売はより容易かつ継続的になり、市場は「はるかに厳密で経済的なもの」となっていく。
 貨幣はそれ自体無価値なもので、単なる表章にすぎないという考え方はまちがっている、とメンガーはいう。独自の商品として交易価値を保証されてこそ、貨幣ははじめて機能する。国家は布告だけで貨幣を思うままに規制できるわけではない。
 メンガーは貨幣を財交換を媒介する商品ととらえる。ただし、一般の商品が消費の場に移行するのにたいし、貨幣はたいてい市場にとどまりつづけるという独自性をもつ。
 歴史的にみると、さまざまな財のなかでも場所的にも時間的にも最も通用する財が、交換手段としての役割をはたすようになってきた。そのなかでも金属、とりわけ貴金属が貨幣として用いられるようになった。
 貴金属への需求は、空間的にも時間的にも大きく、恒常的だ。しかも、貴金属は分割しやすく運びやすいという特性をもっている。さらに保存しやすいこと、ほかの財とくらべて価値が安定していること、また長持ちして判別しやすいことも、貴金属が貨幣として用いられる理由だった、とメンガーはいう。
 貴金属はもともと未加工の状態や半製品のままでも交易に用いられていたが、それは次第にかたまりに分けられるようになった。だが、市場でそのかたまりが本物かどうかを判定し、いちいち秤で重さを計るのはわずらわしい作業にはちがいなかった。
 そこで金属の延べ棒や小片に小さな刻印がつけられ、その純分量が保証されるようになる。やがて、それは鋳貨に発展していく。
 やがて鋳貨はその重量や純度を含め、画一かつ大量に製造されるようになる。そして、その枚数を数えるだけで、その価値を簡単に計算できる道具となった。
 さらに、複数の鋳貨がつくられ、各種鋳貨の交換比率が定められ、鋳貨体系が確立されると、交易はより容易で厳密なものになっていく。
 とはいえ、「貨幣制度は自生的な発展にまかせるだけでは、発展した国民経済のそれにたいする諸欲求を満足させることができない」と、メンガーはいう。

〈貨幣は法律によって成立したものではなく、その起源からして、国家的な現象というよりは、社会的な現象である。貨幣が国家の権威によって裁可をうけるかどうかは、貨幣の一般概念とは無関係である。けれども、貨幣制度や、その交換媒介物としての機能、またそれから生じる結果的諸機能は、国家によって承認され規定されることによって完成され、交易の発展とともに生じる多様にして変化の多い要求に適合させられるのである。〉

 国民経済全体で貨幣が必要になってくると、貨幣の鋳造は民間にまかせるわけにはいかず、国家が介入しないわけにはいかなかった。
 国家が貨幣鋳造の専権を濫用する事例には事欠かないが、それでも変造や偽造から貨幣を守り、交易に応じて必要な貨幣を提供するのは、国家にしかできない役割だった、とメンガーは書いている。
 さらに国家は国内はもちろん、国外にたいしても、自国の統一的な貨幣制度を維持するという役割をはたしている。それによって交易の支障は取り除かれ、債務の履行なども確実なものとなるのだ。
 とはいえ、さまざまな種類の鋳貨には異なる金属を用いる必要があり、金属市場が変動することを考えれば、統一的な鋳貨体系を維持するのはなかなか困難なことだった。
 そこで、国家は金属の品位や価値に多少の偏差が生じたとしても、法令によって貨幣の名目価値を定め、その支払い能力と交換比率を保証するようになる。
「秩序だった鋳貨制度を有する一国では誰もが、すべての賃金稼得者、いやすべての子供でさえも、一つの統一的な、あらゆる価格段階を容易かつ厳密に表示し、きびしい危機においてすら正常に機能する貨幣制度の利点にあずかることができる」と、メンガーは書いている。
 経済が安定し、盛んな交易がおこなわれるには、「十分整備された統一的な国定法貨」が求められるのである。
 以上は前置きにすぎない。問題はこうしてつくられた貨幣が、実際にどのような機能をはたすかである。そのことが次に論じられる。

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樋田毅『記者襲撃』を読む ──大世紀末パレード(22) [大世紀末パレード]

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〈1987年5月3日に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った目出し帽の男に襲われた。当時29歳の小尻知博記者が射殺され、当時42歳の犬飼兵衛記者が重傷を負った。この事件を含め、約3年4カ月の間に計8件起きた「赤報隊」による襲撃・脅迫事件は、2003年3月にすべて公訴時効となった。記者が国内で政治テロによって殺された事件は、日本の言論史上、ほかにない。〉

 本書「まえがき」冒頭に記されたこの一節が、事件の全容を示している。著者は、朝日新聞在職中も定年退職後も、30年にわたり、この事件を追いつづけてきた。犯人はつかまっていない。犯行声明らしきものは出されているが、はっきりした動機はわからない。
 朝日新聞の支局が襲われ、記者が殺されたというできごとだけが人びとの記憶に強く刻まれることになった。
 事件は赤報隊を名乗る2、3人のグループによる犯行だ、と著者はみている。1987年から90年にかけ、赤報隊は記者殺害前後に8件の事件をおこしている。

[1987年]
 1月24日 朝日新聞東京本社の壁を散弾銃で銃撃
 5月3日  朝日新聞阪神支局を襲撃、記者殺害
 9月24日 名古屋市の朝日新聞単身者寮で銃弾を発射
[1988年]
 3月11日 朝日新聞静岡支局に時限式爆発物を仕掛ける
 3月11日 中曽根康弘前首相に脅迫状、竹下登現首相にも脅迫状
 8月10日 リクルート前会長の江副浩正邸を銃撃
[1990年]
 5月17日 名古屋の愛知韓国人会館に灯油をまき火をつける

 6通の声明文と2通の脅迫状が残されている。
 そこからは、かれらの主張の一端がうかがえる。

 戦後、日本では日本が否定されつづけてきた。反日世論を育成してきたマスコミに厳罰を加えなければならない。
 特に、朝日は悪質だ。すべての朝日社員に死刑を言いわたす。わが隊の処刑は42年間つもりつもった日本民族のうらみの表れである。
 朝日は言論の自由を守れというが、朝日の言論の自由は、連合国の反日宣伝の自由である。
 英霊は裏切り者の中曽根をのろっている。竹下が靖国を参拝しなかったら、処刑リストに名前を載せる。
 リクルートコスモスは反日朝日に金を出して、反日活動をした。反日朝日や毎日に広告を出す企業があれば、反日企業として処罰する。
 ロタイグ(盧泰愚)は来るな。くれば反日的な在日韓国人をさいごの一人まで処刑する。

 ざっと、こんな調子である。

 著者は犯人を探すため、新右翼と呼ばれるグループとその周辺をあたり、直接接触をこころみた。まさに命がけの取材だったと思われる。
 著者によると、日本の右翼は6つのグループにわけられるという。

(1)伝統右翼。
(2)新右翼。
(3)任侠右翼。
(4)論壇右翼。
(5)宗教右翼。
(6)草の根(ネット)右翼。

 多く説明する必要はないだろう。伝統右翼は戦前の右翼団体を継承している。反左翼の立場から戦後は親米の立場をとるようになった。これにたいし、新右翼は三島由紀夫自決に刺激を受けて結成されたグループで、反米の立場を貫く。任侠右翼は暴力団といってよい。宗教右翼は「生長の家」などに代表されるが、統一教会(現世界平和統一過程連合)などもこれに含まれる。
 分類はあくまでも分類であって、その関係はからみあっている。団体どうしの対立もあるし、あくまでも孤立している個人や団体もある。その変遷はめまぐるしい。
 それぞれの主張には微妙なちがいはある。しかし、基本的に共通するのは左翼撲滅(反共主義)、愛国主義、皇室擁護、自主憲法制定の姿勢だろう。政治団体としての「日本会議」もこの立場をとっている。
 朝日新聞襲撃事件の犯人を追うため、著者は右翼のなかでも直接行動主義をとる「新右翼」に焦点をしぼり、何人もの関係者と会って、慎重に取材をつづけた。
 新右翼のひとつの特徴は新左翼に対抗する武闘派だということだ。「大東亜戦争」をアジア解放のための戦いととらえ、日本を敗北に追いこんだアメリカやソ連と戦うという考え方をもっている。アメリカの占領によってつくられた戦後日本のあり方は根本的にまちがっていると考える。そうした点で、5月3日の憲法記念日に朝日新聞阪神支局を襲撃した赤報隊も新右翼の系列に属すると考えられた。
 著者は赤報隊の影を追って、東北や関西にも足を延ばしている。統一戦線義勇軍なる団体とその関係者があやしいとにらんだが、その先の消息はとだえていた。長らく消息不明となっていた人物とも接触するが、犯人だとの確証は得られなかった。
 民族派の武闘派、野村秋介は1993年10月20日に朝日新聞東京本社役員室で、中江利忠社長と面会中に拳銃自殺した。野村が立ち上げた政治団体「風の会」を、山藤章二が『週刊朝日』の「ブラックアングル」で「虱の党」と揶揄したことに抗議する行動だった。
 新右翼団体「一水会」の代表、鈴木邦男はその後、『週刊SPA!』に連載中のコラムで、野村秋介の思い出に触れ、野村が赤報隊の連中と何度か会って、無差別に朝日の末端記者をやるのはよくないと話していたことを紹介している。だが、その真偽のほどはわからなかった。
 あやしそうな人物はほかにもいた。著者はかれらとも会って、その考え方を聞いているが、言論とテロをめぐる議論は堂々巡りするばかりだった。はっきりしたアリバイがないなかで、警察もけっきょく確たる証拠をつかめなかった。
 取材の過程で、すでに統一教会と勝共連合の名前が浮上していた(本書ではα教会、α連合となっている)。
 朝日新聞は中曽根政権が進める国家秘密法に反対する論陣を張っていたが、勝共連合は86年11月から87年1月にかけて、朝日新聞東京本社前に街宣車をくり出し、朝日を批判する街頭演説をくり返していた。『朝日ジャーナル』には、不気味な内容の脅迫状も送られてきた。
 一連の朝日新聞襲撃事件に統一教会・勝共連合がかかわっていた証拠はない。だが、信者の集会では、それをにおわせる指導者の発言もあったという。かぎりなくあやしかった。
 いっぽう、右翼の側からは、統一教会と勝共連合を警戒する向きもあった。反共をかかげていても、その心は天皇陛下ではなく、文鮮明教祖に向いている、と疑っていたからである。ともあれ連帯しながらも、右翼の側は統一教会を恐ろしい組織だとみていたのだ。
 統一教会は朝日新聞をサタンとみなして、敵愾心をいだいていた。統一教会が全国で26の系列銃砲店をもっていたのは事実である。秘密軍事部隊も存在した、と著者は書いている。
 統一教会が阪神支局襲撃事件にかかわっているのではないかという疑惑が浮上する。だが、確証はとれなかった。それ以上に、統一教会と赤報隊の思想が根本的なところで食いちがっているのが問題だった。
 88年の2月か3月に、統一教会の新聞「世界日報」の社長らと朝日新聞編集局の幹部が会食し、その後、5月にも両者の話しあいがもたれた。双方の批判を控えるという一種の「手打ち」がおこなわれたとみてよい。組織防衛の論理がはたらいたのだろう。そのことも、著者ははっきりと記している。
 2003年3月に赤報隊事件は公訴時効を迎えた。
「[戦後]いくつもの未解決の重大事件があるが、その中で最も深刻な影響を残しているのが、『赤報隊』による一連の事件ではないかと思う」と、著者は書いている。
 じっさい、この事件をひとつの契機とするかのように、「反日」という言葉が広がり、保守の論調が強まり、特定秘密保護法が成立し、日本会議の影響力が増し、国防力の強化が進み、ナショナリズムが世をおおうようになった。
「小尻記者に向けられた銃弾は、われわれ一人ひとりに向けられたものだという言い方もできる」。いまジャーナリストには覚悟と矜持が求められる、と著者はいう。
 ジャーナリストにかぎるまい。ひとつの無念を受けとめること、だれにとっても、それが新規の出発点になるのだから。

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商品論──メンガー『一般理論経済学』を読む(7) [商品世界論ノート]

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 メンガー『一般理論経済学』は商品論にはいっている。
 はじめにメンガーは、孤立経済、つまり原始社会では、財がつくられるのは、自己消費(あるいは贈与)のためであって、交換目的のためではないと書いている。
 原始社会でも分業がなかったわけではない。だが、財の需求はかぎられていた。過剰や欠乏が生じるときに他の共同体と交易がなされることもあるが、それはあくまでも偶発的なものだったという。
 文化が発達するにつれ、自分のいる場所では産出しない財への需求が生まれてくる。金や鉄などの金属もそうした財のひとつだ。これを手に入れるには征服もしくは交換による以外にない。いずれにせよ交易が広がっていく。
 特別の財をつくる職人も登場するだろう。当初、それは注文による生産で、交易を目的としているわけではなかった。
 だが、経済活動が活発になると、しだいに交換を目的として財が生産されるようになる。これが商品だ、とメンガーはいう。
 商品が商品たりうるのは、その財のもつ性質によるのではない。あくまでも、その財が交換されるということによる。したがって、交換(売買)することをやめてしまえば、その財はたちまち商品ではなくなる。

〈したがって、商品としての性格は……一般に財と経済活動を行なう主体との間の一時的な関係にすぎない。ある種の財は、その所持者たちによって、経済活動を行なう他の主体の財との交換のために定立されている。最初の占有から最後の占有へと移る間の、しばしば多数の人の手によって媒介される、中間期においては、われわれはそれを「商品」と名づける。〉

 つまり、商品とは生産と消費の中間期において交換(売買)される財をいうのであって、すでに最終的消費者の手中にある場合は、その財は商品ではなくて使用財になっている、とメンガーはいう。
 商品は販売可能な財でなければならない。
 販売可能ということは、何を意味するのだろうか。
 メンガーは商品の販売可能性の条件を探る。むしろ、商品の販売可能性は限定されているというのがおもしろい。
 ここでは4つの制限が挙げられている。
(1)商品の販売可能性は買う人によって制限されている。だれもがその商品を買うわけではない。商品を買う人の範囲はおのずから決まっている。

〈特定商品の販売を見込みうる人々の範囲、言い換えれば商品の販売可能性の人間的な限界は、この商品への需求を有する人々の数が少なければ少ないほど狭くなり、またこれらの人々に対象をかぎっても、法律、風習や偏見によってそれを消費することを妨げられている人、あるいはまた商品の価格によってそれを入手することから経済的に締め出される人の数が多くなればなるほど狭められるのである。〉

 商品が買われる範囲は、その商品を買いたいと思っている人の数によって決まる。商品を買いたいと思う人の数が少なければ、その商品はさほど売れない。法律や風習、偏見が商品の購買を妨げている場合もある。また商品の価格があまりにも高ければ、商品が売れる量はおのずとかぎられてくる。商品を買えない人の数が増えてくる。
 したがって、そこからは、逆に商品の販売可能性を広げるには、どうしたらよいかという方策も導かれる。
 何といっても、商品を求める人を増やすことだ。法律や風習、偏見などがあれば、そうした人為的制限は除去されなければならない。価格を下げて、商品を買える人を増やすこともだいじだろう。
 また、人口が増えることや、商品の認知度が高まること、住民の経済レベルが上がることも商品の販売量拡大につながる、とメンガーはいう。
 だが、商品の販売可能性は、人の数だけによって制限されるわけではない。
(2)商品の販売可能性は地域によって制限される。逆に場所的に拘束されることが少なくなればなるほど商品の販売可能性は広がる。
 たとえば毛皮などの防寒着は熱帯では売れないだろう。カザフ語の小説も世界じゅうではあまり売れないだろう。しかし、Tシャツや車、テレビなら世界じゅうで売れるかもしれない。
 輸送コストや輸入禁止措置なども、商品の販売を妨げる要因となりうる。だが、何といっても経済的要因が大きい。交易に利益がなければ、商品の販売は閉ざされてしまう。
(3)商品の販売可能性は量によっても制限される。商品の需要には限界があり、商品の販売量はそれ以上になることはない。しかし、住民の裕福度の上昇が、消費量の拡大をもたらすことは、じゅうぶんにありうる。
(4)商品の販売可能性は時間によっても制限される。それは財が時間的特性を持つ場合である。たとえば、腐りやすい商品は、すぐに販売されなければならない。しかし、財の保存性が高まったり、保管費が減少したりすれば、そうした時間的制限は拡大されることになる。
 以上の点を踏まえていうと、商品の販売可能性には、人的、空間的、量的、時間的限界(制約)があることがわかる。しかし、その制約が緩和されるなら、商品の販売がそれだけ容易になることはあきらかだ。
 商品の運動は、そうしたさまざまの制約を突破することに向けられてきた。
 ここで、メンガーは商品の本性をもう一度問いなおしている。
 商品は交換を目的とする経済財だが、それはどんな価格でも売却されるわけではなく、一般的な経済状態に釣りあう価格で、はじめて販売される。とはいえ、もし商品にたいする需求が減れば、商品の価格は水準より低下するし、逆に需求が増えれば、水準より上昇する。
 商品の販売可能性を考える場合は、その財がコンスタントに入荷するか、それとも不規則にしか入荷しないかで、価格と販売に大きなちがいがでてくる。
 交易はふつう経済的な利害にもとづいておこなわれるが、時に非経済的な動機でおこなわれることがある。その場合は、価格形成がしばしば歪められる。錯誤と無知も財の交易にマイナスの影響をもたらす。正しい情報が価格形成を経済的にし、商品の販売可能性を上昇させる。
 メンガーは商品世界が正しく成長するうえで、商人階級が果たす役割の重要性を、次のように指摘する。
 ひとつは商人階級の有する高度な専門知識が、国民経済に経済的利益をもたらすことである。
 さらに重要なのは商品階級による交易の組織化と取引の恒常化である。
 市場、定期市、取引所、競売などの存在が、商品の価格形成を適切なものとする。市場が生まれれば、生産物の販売可能性も高まり、生産にも安定性がもたらされる。市場における価格形成は、消費者にも商品を経済的価格で買う機会を与える。
 市場では先を見越した投機もありうるが、メンガーは投機をむしろ肯定的にとらえている。

〈投機は、たしかに自分たちの独自の利害を追求することに発するものではあるが、飽和した市場にはけ口を与え、逆に貧血気味の市場には商品を補給し、またそれによって、経済的な価格から遠ざかりすぎている価格を抑制するという経済上の使命を果たすのである。〉

 メンガーはもう一度最後に、流通しやすい商品と流通しにくい商品について述べている。
 たとえば金などの貴金属なら、だれが採取しようとすぐに流通するけれども、だれがつくったかわからない食品や装飾品などは、しばしば流通にためらいが生じる場合がある。価格がはっきりと示されていない商品も、また買うことがためらわれる。
 とりわけ次の場合は、商品の販売可能性はいちじるしく損なわれるとメンガーはいう。

〈その販売可能性が狭い範囲の人々に制限され、その販売地域が狭く、その保存期間が短い商品、あるいはまたその保存にいちじるしい経済的犠牲をともなう商品、つねにただ狭く限定された数量しか市場にもちだすことができず、その価格が十分には規制されていない商品等々も、きわめて狭い限界内であるがともかく一定の限界内で、ある程度の販売可能性を示すこともあるであろう──けれどもそれらの商品は、流通性をもつまでにはいたらない。〉

 翻訳に問題があるのかもしれないが、何となくわかればよい。説明する必要はないだろう。
 だが、商品世界が安定的に広がっていくことが、生産者にも消費者にも利益をもたらすとメンガーが信じていたことはまちがいない。
 メンガーが見ていたのは19世紀末から20世紀末にかけての商品世界である。日本でいえば、夏目漱石の小説にでてくる時代背景に近い。それから100年、商品世界はさまがわりして、経済がどこかでビッグバンをおこしたきらいすらある。
 それはたしかに人類に多くの恩恵をもたらした。だが、その商品世界に囲まれながらも苦しむ人は多い。人を財として扱う商品世界は、人の生活様式をも変えたのである。

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竹下政権とリクルート事件(2)──大世紀末パレード(21) [大世紀末パレード]

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 竹下政権のおもな課題は、地価対策、税制改革、日米関係の調整だったといってよい。地価対策は中途半端に終わったが、税制改革と日米関係の調整については成果を残した、と政治学者の若月秀和は記している。
 この時期、日米関係では引きつづき貿易不均衡が大きな問題となっていた。アメリカはGATT理事会に提訴し、日本にたいし農産物の自由化を求めた。その結果、プロセスチーズやアイスクリームなどの乳製品、飼料、トマトジュースなどの輸入規制が撤廃ないし軽減されることになった。
 このあとさらにアメリカは牛肉とオレンジの完全自由化を求める。交渉は難航するが、最終的に竹下政権は一定の条件をつけながら、牛肉・オレンジ自由化の方向に踏み切る。
 アメリカ側は大規模公共事業への参入も求めていた。日本側は外国企業が参加しやすい特例措置を設けるなどして、対応にあたった。
 こうして日米間の経済摩擦問題も少しは落ちついてくる。
 もうひとつの大きな課題が税制改革だった。竹下は大平、中曽根政権もできなかった消費税導入を実現したいと思っていた。大型間接税の導入によって戦後の直接税中心の税体系から脱却し、財政基盤を強化することがねらいだった。
 消費税については、さまざまな懸念があった。実質的な増税になるのではないか、低所得層に負担がかかる逆進的な税体系だ、事業者にも負担がかかる。さらに、将来、安易な税率引き上げがなされるのではないかという心配もあった。とうぜん、多くの反対が予想された。
 竹下はそうした問題点があることも認めながら、日本の将来の財政基盤を安定させるため、消費税導入に向けて、着々と布石を打っていく。
 1988年4月には政府税制調査会が、消費税の導入は必要やむを得ないとの中間答申を発表した。6月には自民党税制調査会が、税制調査会の中間答申にもとづいて税制改革大綱を決定する。
 公明党、民社党へのはたらきかけもおこなわれた。社会、共産の両党が反対を貫くのは目に見えていた。竹下のねらいは、公明、民社をだきこんで、自公民で法案を通すことだった。そのいっぽう、日本チェーンストア協会をはじめとして、反対の根強い業界への説得もつづけられた。
 7月に召集された臨時国会で、政府は税制改革関連6法案を提出した。竹下は「辻立ち」も辞さないと、法案成立への並々ならぬ決意を議会で表明した。
 消費税導入を中心とする税制改革法案は、難航のすえ、11月16日に衆議院、12月24日に参議院を通過し、可決成立した。
 だが、そのさなかにリクルート事件が浮上する。国会は大疑獄となったこの事件で揺れに揺れる。
 リクルート事件とは、いったいどういう事件だったのだろうか。 単純にいえば、それは政治と企業とカネがからむおなじみの事件のひとつだった。
 88年6月18日に朝日新聞が、川崎市の助役にまつわる贈収賄疑惑を報じたのがはじまりだった。
リクルート社はJR川崎駅周辺の再開発地域にからんで、川崎市の助役に関連不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株を譲渡していた。公開されれば、とうぜん値上がりすることが予想された。
 じっさい、その株は公開後上昇して、それを売却した助役は1億円以上の売却益を得た。これは事実上の賄賂ではないか、と朝日の記事は告発したわけである。
 事件はそれだけでは終わらなかった。取材が進むにつれ、リクルート社が同じ手口で、政界や官界、その他にコスモスの未公開株を約200万株譲渡しているのがわかってきた。
その人数は延べ150人以上にのぼった。コスモス株は86年10月に店頭公開され、未公開株の所有者は売り抜けて多額の利益を得ていた。
 リクルート事件が発覚したのは、まさに消費税の導入が論議されている臨時国会のさなかである。秘書名義を含めると、10人以上の国会議員がリクルート社から未公開株を譲渡されていた。
 最初に名前が挙がったのは、自民党では中曽根康弘前首相、竹下登現首相、安倍晋太郎幹事長、宮沢喜一蔵相、森喜朗元文相。野党でも民社党の塚本三郎委員長、社会党の上田卓三議員の名前が飛びだした。
 リクルート社はほかにも献金やパーティー券の購入などで、政治家に多額の資金を提供していたことが判明した。
 88年12月24日に消費税法案が衆参両院で可決成立するまで、国会はこのリクルート問題でもめにもめる。宮沢喜一蔵相が証言の食い違いによって辞任する一幕もあった。
 自民党はリクルート社の江副浩正社長と未公開株を受けとった元労働事務次官の加藤孝、前文部事務次官の高石邦男を国会喚問するとともに、衆議院にリクルート問題調査委員会を設け、譲渡先リストを公開することを約束した。これによって、年末にようやく税制改革関連6法案(消費税法案)を通すことができたのだった。
 公表された譲渡先リストのなかには、前に挙げた名前に加えて、池田克也、伊吹文明、加藤紘一、加藤六月、田中慶秋、浜田卓二郎、藤波孝生、渡辺秀央、渡辺美智雄の名前が挙がっていた。
竹下は12月27日に内閣改造をおこない、4月の消費税実施に備える体制を整えた。だが、新しく任命された閣僚にたいしてもリクルート社による献金が次々と発覚すると、世間の怒りは収まらなくなった。
89年1月7日に昭和天皇が亡くなり、平成時代がはじまる。
 2月24日の「大喪の礼」をはさんで、しばらくは弔問外交がつづいた。北朝鮮への対決姿勢も緩和され、対ソ関係の改善もはかられた。だが、日米関係はアメリカが日本にさらにさまざまな要求を突きつけたため、いまだに緊張状態にあって、同盟漂流などと称される事態がつづいていた。
 そのかんもリクルート事件をめぐる政治不信は高まるいっぽうだった。
 竹下は総裁直属の諮問機関として政治改革委員会を発足させ、会長に中曽根内閣時代の官房長官、後藤田正晴をあてることにした。政治改革委員会では1月18日の初会合以来、長々と議論が重ねられ、ようやく5月になって自民党の「政治改革大綱」がまとめる。
 政治改革の目標は、カネのかからない政治を実現することにほかならない。そのためには政治資金の規制を強化すること、自民党内の派閥を解消すること、さらには小選挙区制を実現することなどが「大綱」に盛りこまれていた。
 だが、すでに竹下は追いつめられていた。2月にはじまった通常国会で、社会党の土井たかこ委員長は内閣総辞職による衆議院解散を求める。
 さらに3月末から4月にかけて、新しい事実が判明する。かつてリクルート社が竹下の資金集めパーティーのために多額のパーティー券を購入していたこと、加えて2500万円の寄付をしていたこと、さらには竹下の秘書、青木伊平が江副浩正から5000万円を借りていたこと。これらのことが次々とあきらかになったのだ。
 4月半ばに実施された共同通信の世論調査では、竹下内閣の支持率は3.9%、不支持率は87.6%という信じがたい数字がでていた。
 このままでは予算案の成立もままならない。竹下は4月25日に退陣を表明し、国民のために予算を通過させるよう呼びかけた。
 翌26日、秘書の青木伊平が自殺した。
それから3年後、竹下は佐川急便問題で国会で喚問されるが、青木の自死について問われて、「私自身顧みて、罪万死に値する」と沈痛な面持ちで語ることになる。
 竹下の辞任表明によって、予算はようやく成立した。それを見届けたうえで、竹下内閣は6月2日に総辞職する。後継総裁には竹下に近い宇野宗佑が指名された。
 リクルート事件では、社長の江副浩正をはじめ、NTT会長、労働、文部事務次官など13人が贈収賄容疑で逮捕された。
 政治家は逮捕されなかったが、自民党の藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也が在宅起訴された。
 長期間にわたる裁判の結果、起訴された者すべてに執行猶予つきの有罪判決が下された。
 リクルート事件は、その後、日本の政治に大きな影響をおよぼした。小選挙区制が導入されるようになったのも、この事件がきっかけである。
 だが、政治とカネの問題はこれで終わったわけではなかった。リクルート事件は、ほんの氷山の一角にすぎなかったのだ。いまの政治資金パーティー収入裏金問題をみても、そのことがわかる。
 政治学者の滝村隆一は、よく政官財はじゃんけんの関係にあると言っていた。
たとえば政治家がグーだとすれば、役所はチョキ、経済界はパー。
 政治家は役所に勝つ(強い)が、経済界に負ける(弱い)。経済界は役所に負ける(弱い)が、政治家に勝つ(強い)。役所は経済界に勝つ(強い)が、政治家には負ける(弱い)。
 権力とカネの関係はどこまでもつづき、途切れることがない。
 この三位一体構造を崩す方法はひとつしかない。カネと権力の動きを常に透明化できる仕組みをつくる以外にないのだ。はたして、それは可能なのだろうか。

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