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金子直史『生きることばへ』を読みながら(4) [人]

 2018年9月に大腸がんのため58歳で亡くなった共同通信元文化部長、金子直史さんの本『生きることばへ』を読んでいる。このころ金子さんは「生きることばへ」という連載記事を出稿しながら、日記をつけていた。それを少しずつメモしながら、金子さんをしのぶ。

 2018年は空が青くて、富士山がきらめく三が日ではじまった。
 緩和ケアを受けながら、「生きることばへ」の原稿執筆がつづく。
 スーザン・ソンタグについて。

〈そして最期の時。彼女はここで初めて「私、死ぬんだわ」と泣いたのだという。それは生きる闘いを全うした果ての、祈るようなつぶやきだったのではないかと思えてならない。〉

 高見順について。

〈私は、高見が結局は[最期に]「なまの感慨」、装わない自らの姿を素直に表現せざるを得なかったことに強い印象を受ける。〉

 高見順も、最期は世間にたいする衣装や演技を脱ぎ捨て、宝石箱のような「小さな心」に戻ったのだ。
 2月になると、痛みがますます強くなり、抗がん剤としてイリノテカンが投与される。夜間も鎮痛剤のオキノームが手放せなくなる。
「神さま──。もう少しゆっくり、ラクに…」
 丸木美術館を取材。沖縄にも行きたいと思っている。
 広島と水俣もテーマでありつづけた。もちろん戦争も。
 いくつもの原稿がつづられる。

〈被爆者にとっての記憶とは、死者が生きた姿そのものなのではないか。だから時間はそこで止まり、記憶は日常の奥底に潜む。でも実は誰もが、そうした記憶を抱えて生きているのではないか──。〉

〈そして思う。一人一人の生をかけがえのないものと感じ取れる社会を、私たちはどこまで築き上げているのだろうかと。〉

 原爆でも水俣でも、人々は「なぶりもの」にされていった、と丸木俊さんはいう。「水俣はゆっくり起こってくるヒロシマ、原爆なんです」

〈水俣には「もだえ神」という言葉があるという。人の悲しみ、痛みを自分の悲しみとして引き受け、そして絶望せず、希望を手放さない存在。それは、自らの生が人々の生と分かちがたく結びついていることを、理屈ではなく、実感として感じ取れるからこそ、可能なのかと思う。〉

 これは石牟礼道子についての言及だ。
 鶴見和子も水俣を訪れている。

〈そこで鶴見さんの目に鮮明に映し出されていったのは、大多数の市民を優先して少数者に犠牲を求め、人間の生命を経済価値で計量化できると考える、近代社会のむき出しの実像だったろう。〉

 その鶴見和子も脳出血で倒れる。

〈病室を訪れた[弟の]俊輔さんに鶴見さんは「死ぬというのは面白い体験ね。人生って面白いことが一杯あるのね。驚いた」と言い、俊輔さんは「人生は驚きだ」と応えて笑い合う。〉

 おそらく金子さんもこんなふうに言ってみたいと思っている。
 満ち足りた「時」のなかにくるまれるのは、何かを書いているときだ。
 だが、病状は確実に進行している。
「CT 肺に転移増えている説明。リンパにきていて、数カ月で穴があく……」
 3月半ばには入院して、腎臓ステントを交換する。
 抗がん剤の影響で眠さと倦怠感。
 身体の機能が停止すると、魂はどこに行くのかと考える。
 真木悠介『気流の鳴る音』について。

〈現在の意味を未来の結果からの投影で測るのでなく、未来を遮断することで見えてくる目の前の現実の豊かさ!〉

 そして、宮沢賢治について。

〈宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、いわば賢治にとっての「死と再生の物語」だろう。……カンパネルラは友のため自らは犠牲となり、ジョバンニも「みんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」と言う。……悲しみを通じて見えてくる世界の輝きというものが、確かにあるかもしれない。〉

 宮沢賢治を出稿したころの日記にはこうある。
「不思議なものだ。しばらくずっと遠ざかっていたクラシックが5年ほど前から戻ってきているし、以前は聞きもしなかったバロックが、今は妙にしっくりとくるのも不思議だ」
 このころからベクティビックスの投与がはじまっている。

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