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丸山真男と「民主主義の永久革命説」──『丸山真男と戦後民主主義』を読む(2) [われらの時代]

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 著者の清水靖久によると、丸山真男は60年安保直後から「永久革命」としての民主主義に言及するようになったという。
 丸山は民主主義を3段階でとらえていた。そもそもの出発点は、特権への「抗議概念」としての民主主義である。それが、19世紀後半から20世紀はじめにかけ「議会制民主主義」の黄金期を迎えることになる。さらに第2次世界大戦後、民主主義は共産主義にたいする「正統概念」とみなされるようになった。
 戦前戦中の丸山は、民主主義を全面肯定していたわけではないという。敗戦後も占領軍によって、「外から上から」強制された民主主義に違和感を覚えていた。
 原理的にみれば、民主主義による議会の権限増大が、内閣の執行権弱体化につながり、それが政治的危機を招く恐れがあることも、じゅうぶん承知していた。
 デモクラシーが「単なる多数支配」になる恐れも感じていた。しかし、民意を無視した政治が正しいわけではない。
 丸山はもともと自由主義の立場をとっていた。民主主義は自由主義のうえに、はじめて成り立つ。個人の尊重がなければ、民主主義は有名無実である。
 丸山は次第に、民主制は独裁制の「反対物」であって、「国民の自発的な意思とその決定に基く」政治制度だと考えるようになっていった。
 戦後、丸山は「人民主権にもとづく民主主義に賭けるに至った」と著者はいう。デモやスト、野外集会などの直接民主主義も肯定するようになる。
 丸山は「民主政治は人民が国家の主人であるところの政治形態」であって、民主政治が確立されるためには「人間が主体性を確立する」ことが重要であって、天皇制を「倒さなければ絶対に日本人の道徳的自立は完成しない」と主張する。
 1950年ごろから丸山は「民主勢力」の運動に加わっていく。だが、冷戦の緊張が高まり、朝鮮戦争が勃発し、講和条約が結ばれ、日本の再軍備が進展する。そうした「逆コース」のなか、「人民主権」の思想にもとづく「民主化」ははばまれ、次第に戦前回帰がはじまる。
 とはいえ、「民主主義は、戦後十年余りを経て、日本社会で広く擁護される正統的価値になりつつあった」と著者はいう。つまり、社会主義に対抗する体制としての民主主義が確立されたのである。
しかし、こういう固定的な建前に丸山は反発する。「未来に向かって普段に民主化への努力をつづけてゆくことにおいてのみ、辛うじて民主主義は新鮮な生命を保ってゆける」という。
 丸山は「抗議概念」としての民主主義を重視した。それをもっとも強く語ったのが、60年安保闘争の時だった。
 60年安保闘争が終わったあと、丸山はみずからのノートにこう記したという。

〈社会主義について永久革命を語ることは意味をなさぬ。永久革命はただ民主主義についてのみ語りうる。なぜなら民主主義とは人民の支配──多数者の支配という永遠の逆説を内に含んだ概念だからだ。……「人民の支配」という観念の逆説性が忘れられたとき、「人民」はたちまち、「党」「国家」「指導者」「天皇」等々と同一化され、デモクラシーは空語と化す。〉

 人民の支配、すなわち多数者が少数者を支配するというのは、現実にはありえないことだ。それは「逆説」的な理念である。だから、民主主義は本質的には制度ではなく、永遠の運動となるのである。
 しかし、人民の支配が名目的に制度化されるときには、それは独裁に移行する危険性をもっている。天皇制も社会主義も人民(臣民)を名目とした独裁制である。議会制もまた寡頭支配におちいるかもしれない。
 そうした硬直した独裁制にたいし、民主主義は抗議しつづける。それが永久革命、永久運動としての民主主義である。
 丸山は1961年10月に渡米し、翌年6月までハーバード大学に滞在し、その後、イギリスのオックスフォード大学に移って、63年4月に帰国する。
 渡米直後、埴谷雄高に出した書簡でも、こう述べているという。

〈私は社会主義こそ歴史的に一つの段階を代表する体制と歴史であり、これに反していわゆる「市民」的民主主義はギリシャの昔からあって、社会主義をのりこえても生きつゞける──というよりは永遠に制度化を完了しないプロセスと思っています。その意味で民主主義の永久革命説といってもよく、そうなると正反対の方向からまた貴兄の考え方と相重なる面が出て来るかも知れません。〉

 丸山は社会主義に批判的だった。とりわけ、スターリン独裁下の恐怖と抑圧にもとづく社会主義は、最悪の体制だと感じていた。
 丸山はあくまでリベラル・デモクラシーを支持する。反スターリニズムの埴谷は、現存する社会主義を批判する社会主義者だった。「そうなると正反対の方向からまた貴兄の考え方と相重なる面が出て来るかも知れません」というのは、たしかにそうだったかもしれない。
 帰国後も丸山は「民主主義の永久革命説」を堅持していた。64年の『現代政治の思想と行動』増補版でも、民主主義を「特定の体制をこえた『永遠』な運動」と規定している。丸山は民主主義を単なる議会制民主主義とは考えていない。それは人民がみずからの主体性にもとづいて、新たな制度を求めていく永遠の運動なのだ。
 制度を否定する急進派にたいして丸山は否定的だった。
「民主主義の『永久革命』説は、革命の幻影を描く急進派に大して、革命の日常化を説くことになった」と著者は記している。
 丸山から見れば、1968年の東大闘争(紛争)で、学内の秩序を破壊し尽くそうとする学生は、とても民主主義的とは思えなかったのだろう。
 68年の丸山と全共闘の対立については、次回以降あらためてみていくことにする。
 今回は「民主主義の永久革命説」がとてもおもしろかったということだけ述べておきたい。
 その後の歴史をみると、たしかに世界は社会主義の永久革命によってではなく、「民主主義の永久革命」によって、動いてきたとも思えるからである。1968年のフランス5月革命、1980年の韓国・光州事件、1989年の「ベルリンの壁」崩壊と天安門事件、2010年の「アラブの春」、2019年の香港民主化運動、それこそ枚挙にいとまがない。
 そして、68年の日大闘争や東大闘争も「民主主義の永久革命」にもとづいていたと言えなくもないのである。

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