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吉本隆明とマルクスについて(1) [われらの時代]

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 吉本隆明は1964年にマルクスについての重要な論考を立て続けに2つ書いている。それが「マルクス紀行」と「マルクス伝」として知られるもので、ともに1969年に発行された『吉本隆明全著作集』12(勁草書房)に収録されている。
 ぼくはたぶん早稲田の文献堂で、翌年安くなったこの本を買いこみ、この巻に収録された「丸山真男論」とマルクス論をかじりついて読んだはずだ。たいして理解したとは思えないのだが、あのころは目を開かれる思いがした。
「丸山真男論」で印象的だったのは、吉本のインテリ嫌い、エリート嫌い、進歩派嫌い、西洋主義嫌い、啓蒙主義嫌い、口先民主主義嫌い、スターリニズム嫌いが際立っていたことだ。このあたりの大衆感覚が「われら」にもっとも受けたところだったかもしれない。
 ただし、悪影響がなかったわけではない。相手の本をろくに読まないまま、吉本の批判するインテリを無視したり罵倒したりする悪習慣を身につけたことである。だが、それは吉本の責任ではなかった。吉本を飛ばし読みする「われら」がまちがっていたのだ。
 吉本自身は大衆感覚にもとづいて、真剣に相手の著作と向きあっている。それは「丸山真男論」でも同じだった。丸山が紋切り型のマルクス主義にはない知的ダイナミズムをもって、日本の政治体制と政治思想を分析した功績は認めている。
 吉本からみれば、丸山にはインテリ特有の大衆嫌悪があり、大衆はあくまでも啓蒙されるべき存在として位置づけられているという。丸山は大衆の存在様式を把握しようとしていない。そうした大衆の存在様式が国家を支えていることにも無自覚である。西洋流の自分の頭だけで、日本の近代国家を理解し、それを批判している。ぼくは、そんなふうに吉本の丸山批判を受け止めていた。
 丸山の代表作『日本政治思想史研究』についても、吉本の批判はむずかしい内容はともかくとして、適切と思わざるをえなかった。
 丸山は江戸時代の儒教に新境地を開いた荻生徂徠のうちに、修身の学問とは異なる政治学の端緒をみたが、はたしてそれは徂徠を正しくとらえたものか、吉本は疑っている。さらに吉本によれば、朱子学の解体と儒教の刷新という面では、徂徠よりも伊藤仁斎のほうが政治主義から遠いぶん、思想の深みに達しているという。これもなんとなくわかるような気がした。
 丸山のファシズム論に、ファシズムとは何かが規定されていないことも吉本は指摘している。ファシズムとは侵略的・排外的な戦時下の国家主義的な大衆動員・統制体制を意味するといってよいが、丸山はそういうとらえ方をしなかった。ファシズムとは社会的な落伍者やあふれ者による、進歩勢力にたいする終わることのない反革命だという。これによって、丸山はいわば悪のファシズムにたいして善の民主主義を対峙させたのである。
 いっぽう、吉本はファシズムはスターリニズムの変態だと論じた。したがって、より根源の問題はスターリニズムにある。スターリニズムとは何か。それはスターリン個人の名による独裁や反対派の粛清を指すわけではない。
 吉本によれば、「[スターリニズムとは]そのレーニン的な『前衛』論が必然的なダイナミズムによって『前衛』主義にまで抽出する過程で、人民的な志向の核と必然的に矛盾するまで閉じられていく政治的な実体をさしている」。
 例によって、むずかしい言い方だが、要するにスターリニズムとは前衛党の思想と行動がもたらす全体主義のことなのである。だが、丸山のスターリニズム批判はファシズム批判と同様、せいぜいスターリンへの個人崇拝を批判しながら、党員の最高権威への同調傾向を指摘するにとどまってしまう。これにたいし、プロレタリア独裁をかかげる共産党の存在とその思想自体が問題なのだ、と吉本は考えている。少なくとも、ぼくはそう受け止めていた。
 そんなふうに考える吉本のマルクス理解が、とりわけロシア経由の公式的なマルクス教科書と大きく異なっていることはとうぜん予想できた。そこで、「われら」は、マルクスが思想としてなぜ評価されなければならないかを熱っぽく語る吉本と遭遇することになった。
 あのころ、「われら」にとってのマルクスは、思想的には吉本隆明を通じて、経済学的には宇野弘蔵を通じて発現したといってもよいだろう。
 吉本は初期マルクスをとりわけ高く評価している。それは「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の相違について」、「ユダヤ人問題に寄せて」、「ヘーゲル法哲学批判」『経済学・哲学草稿』を執筆する24歳から27歳にかけてのマルクスである。ここに吉本は初源としてのマルクスをみた。それは自然哲学、宗教論、国家論、経済学によって、理論的に世界を把握する方法を築こうとしているマルクスだった。
 興味深いのは、吉本が最初にひかれたのがマルクスの自然哲学だったということである。「デモクリトスとエピクロスの自然哲学」は、マルクスがイエナ大学に提出した学位論文だ。当時ドイツの哲学青年は、その多くがヘーゲル哲学を克服するために、キリスト教を相対化することにのめりこんでいたが、マルクスがテーマに取りあげたのは、意外なことにギリシャ後期の哲学だった。
 紀元前5世紀に活躍したデモクリトスは、万物の根源は原子だと主張し、神のような超自然的な存在を引き合いにだすことなく、宇宙の成り立ちを説明しようとした。
 吉本によるまとめを簡略化して示すと、デモクリトスの哲学は次の4つの原則を基本にしている。[]内はぼくの感想である。

1、すべての要素は〈充てるもの〉と〈空なるもの〉、すなわち〈有るもの〉と〈有らぬもの〉からなっている。[有と無]
2、世界は大きな空虚へ運ばれて渦巻をつくり、相互に衝突し、回転しているうちに、軽いものは外側の空虚へ、残りは球体をつくり物体を包んだ膜のようなものとして分離する。[まるで宇宙の成り立ち]
3、すべての事物はこのような渦流から必然的に成長する。[人間は宇宙のかけらからできている]
4、認識には視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚など知覚による〈闇[かりそめ]のもの〉と、思惟による〈真性のもの〉とがある。

 ギリシャの自然哲学にこういう原子論にもとづく宇宙論と人間論がみられるのは、たしかにおもしろい。
 デモクリトスの孫弟子で紀元前4世紀に活躍したエピクロスは、思惟よりも感覚を重視した。有として存在する世界は感覚によって把握されるというわけだ。
 さらに人の感覚を形成する霊魂は身体とともに作動し、それはきわめてもろい原子の集合[器官]から成り立っているというのが、エピクロスのとらえ方だった。霊魂は風のような物体で、身体に囲まれており、人が死ぬと発散してしまい、それゆえ人は何も感じることができなくなる。加えていうなら、エピクロス主義には、神に頼ることなく、死への恐怖を克服することができたら、人は幸せに生きていけるという発想がひそんでいた。
 ヘーゲル哲学を克服しようとしたマルクスがデモクリトスとエピクロスにひかれたというのは、わかるような気がする。
 だが、マルクスはデモクリトスとエピクロスから、人は宇宙のかけらからできているという哲学を取りだしたかったわけではない。マルクスがエピクロスを評価したのは、かれが物質と関係性をもつ感覚の源泉を、霊魂とそれが宿る身体に求めていたためだ、と吉本はいう。

〈この素朴なエピクロスのアトミスムは、マルクスの〈自然〉哲学における〈疎外〉に、おおきな影響をあたえた。もっと端的に人間の動物とちがう普遍性は、自然を人間の〈非有機的身体〉とさせうることにあり、そのことによって人間は自然の〈有機的自然〉に転化するほかはないという〈疎外〉観は、語彙そのものからすでに、ギリシア初期〈自然〉哲学、とくにエピクロスのものである。〉

 ここでは「疎外」という独特の哲学概念が用いられている。日本語の疎外は、うとんじられる、のけものにされるといった心理的・情緒的な用語だが、哲学でいう「疎外」とは、自分から離れてほかのものになってしまうことと理解したほうがよいだろう。翻訳はむずかしい。「外化」といったほうが正確かもしれない。
 人は自然のなかで生きざるをえない。しかし、感覚を有するようになった人間は、自然をみずからの身体の延長にある感得すべき対象(非有機的身体)ととらえるようになる。そのことによって、人間は自然から相対的に切り離された生命体(有機的自然)としてみずからを意識するようになる。
 ここに人間と自然との区別と連関が生じるようになるというのが、自然哲学でいう「疎外」なのである。人はこうした疎外のなかで生きるほかなく、疎外のなかから意識を発達させるようになる。
 こうして、吉本によれば「感覚にうつった自然も、おなじように人間の感覚的な自然となる。〈意識〉も、自己にとっての意識という特質から、自然を意識においてとらえるやいなや、意識は自然の意識として存在するというように[なる]」。
 マルクスはエピクロスの「死」にたいする考え方にこだわっている。エピクロスは死はこわくないという。「なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである」。死は人を自然に送り返すだけのことである。そして、自然のなかから、また人が生まれる。
 これにたいし、マルクスはエピクロスが人間を個々の人形(ひとがた)のようにとらえているとして、批判する。人間にとっての死は、自分と他人の関係としてあらわれる。つまり、人の死は、かならず関係する他人に影響をあたえるのであって、その点、人は類的な存在なのである。人の死は類的存在としての人に疎外をもたらす。
 人は自分を自然的存在から区別することを知っており、自己を自己意識によって対象化することができる。それは動物も同じである。だが、人と動物のちがいは、人が種族という抽象的な共通性を自覚していることだ。有機的自然としての人が、非有機的身体としての自然と相互に連関・対立しあう疎外関係を有するという関係性は、個によって築かれるわけではない。類としての人と自然のかかわりこそが、疎外の本質なのだ。そして、こうした疎外関係を有することが、類としての人に宗教や国家、経済といったシステムを築かせていく起動力になっていく。
 ぼくはあのころ吉本のマルクスからそんなメッセージを受け取り、なんだか世の中がすこしわかったような気がしたものだ。
 吉本のマルクス論、もうすこしつづく。

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